あげちうのブロマガ

売春婦を買いに行くニート

ニートと言うのは、どういう存在か?

簡単に言えば、”働き”もせずに、親のすねを齧って、毎日遊んでる奴の事だ。

「クズが」

だがそれを言う前に、まず「働く」の定義が必要になる。問題になるのは採算性か?社会貢献性か?或いはアーティスティックか。利益に成らなくても必要な仕事はあるし、社会的には必要性が無くてもお金に成る事はあるし、アートはそもそも何の為に必要なのだろう?それへの従事は、仕事とは言えないのか。

「テレビ」なんかは、その疑問が集中する職場かもしれない。雛壇芸人らが意味不明にケタケタ笑っている、そう言うバラエティーは必要なのか?微妙に面白く無い漫才や、どうでも良さそうな街並みの散歩は、意味があるのか。視聴率が低くても続けねばならない番組もあるだろうが、その製作費は誰が負担するべきか。「意味あるの?」その疑念と、本来は常に戦わねばならないのが、テレビではある。近年は「その辺が上手く行っていない」事で、テレビその物も売れなくなったし、関連して景気も悪くなった。自分の理屈だが、「創作が利益性を持って無いと、経済は不景気になる」構造がある。毎日、人はご飯を食べる結果、社会的な「お金の担保」をどんどんと目減りさせる、生活しているだけで経年劣化は避けられない。価値は創作などにより補充し続けねばならない、のだが。本来?は、テレビはそれを補充し続ける為に存在する、はずだ。

「王の権威」が、そこに重い権限を持って居れば。

「王の権威」それが「良い」と言う、そこに主な”価値”は発生する。昭和の頃に名作が多いのは”だから”だろう。その頃は、王の認証が得られやすかった、と言うか「意向が通りやすかった」のだと思う。現場的には、利益性と引き換えに何らかの不自由さに憤慨は有ったのかもしれないが。ちょうど映画産業が壊滅した、後だ。生活を続ける為には、テレビと言う巨大な箱の言う事を聞かねばならなかった。理想の喪失でも。しかし、”現れる結果”がそれを次第に、固定概念化していく。テレビにとって仕事とは?「王の権威」その意向を満たす行為の事である。

…だが平成に入って多分、その構造が崩れた。

「王の権威」は後継者に譲渡されたが、現場的には”それ”を王とは認めなかった。いろいろあって、王の権威が創っていた「黄昏の狩人」と言うルール、「王の印籠」が盗まれ、”皇帝”の手に渡った。一般の人々には、皇帝と王の権威その区別など付かない。業界的に有利な存在で有れば良かった…そして「王の印籠」は、「王の権威自身が創った物」だ、それさえ持って居れば暫くは?皇帝は王の権威に成りすます事が、出来た。

この状況は逆説的に、問題になる「独裁性」を弱める事にもなった。「実は違う」のだ、あくまでも「被せ」ているだけ。オリジナルより「被せ」た方が評価?ウケが良いのは”だから”で、作者はトレースしただけ、オリジナルはその作品を描いていない。「誰が作者?」非常に、解りにくくなる。この結果はテレビとして必要な「人気」?は、安直に得られる、MMD動画とかで、「被せ」た物が盛んに創られる理由。平成は、”そんな感じで”始まってしまった。

と言うのが、現状での理解。「誰が?」皇帝は誰?そこは籠池氏の話並みに水掛け論的には成るので、ここでは割愛する。しかし想定が正しいならその皇帝は、インターネットやらなにやら、平成の諸文化”全て”に関与していた可能性があって…「王の権威」に理不尽な排斥をし続けた結果で、世界的な恐慌を招いた事になる、訳だが。流石に「おお?!・・・おぃ?」と言うのは、利益性が無い。盗品は盗品である、流石に神様は…その辺、見逃さなかったと言うべきか。ともかく故に、”それ”は世界レベルに影響を及ぼす事になる…この場では、多少慎重には成りたい。

 結局、この「王の権威を騙った皇帝」にはその後、権力こそ有っても”利益性は一切発生しなかった”様だ。単刀直入に言えば、

テレビは、テレビと言う機械を売る為に、”面白い”利益性のある番組を提供せねばならないし、”それ”を追及せねばならない、それが仕事であって。それを果たさねばならない責任は発生する。その時、間違った情報を報道する、それは間違いなく、倫理に反し商品価値を損ねる。

籠池氏は安倍首相を相手に詐欺をした、名誉棄損をした、偽証罪も成立しそう。そこを追及せねば、テレビは「その責任を果たしている」とは、言えないのではないか?何故、まるで安倍首相の方が悪い!様な報道に成って行くのだろう?籠池氏が言い張る事を、何故メディアは相手にするのか?

その理由が、実は”ここ”に有るのではないか?

テレビと言う構造その物が、正直言うと「視聴者の意向はどうでも良い」構造をしてる、大事なのは「王の権威」その理解。しかし昭和を築いた重要なメディアだ、その神通力には重い依存が有る(或いは既得権益もある)。「王の権威を騙った皇帝」は、その構造の中央にまんまと収まった、訳だが。利益性を発揮できないまま、ただ「俺は神様だぞ?!」それを言うだけの、ちょっと問題ある状態に陥ってしまった、のではないか?いわゆるニートな状態。仕事は絶対に出来ない、本物の王の権威その意向を満たそうとしたら?自分の存在を自分で否定する事になる。

だがテレビは、維持せねばならないのだ。その為には重いお金が必要になる、スポンサーは捻出せねばならない。昭和の成功例は重い枷になる、王の権威を頂点に掲げ、その意向を世界へと広める事でこそ、昭和と言う黄金期は実現したのだ!前例は大事である。

故に、最近問題にする、「100億円のビルを建てたので誰か金を払え!」も、こういう経緯から、発生してしまっているのでは…ないか?もちろんそれは問題を多々起こす。本来なら”ある程度は売れる筈”なのだ、買い手が付かない筈が無い、王の権威その必要性は世界の必要性である。”それ”が?皇帝が関わってる事で、評価はされても、売れない。

しかし、如何に問題あるニート状態であろうと皇帝は皇帝な訳で。中央の皇帝さえまともなら!それに皇帝の言う事を信じるなら、彼は「黄昏の狩人」を書いた本人な筈、なのだ。それが何故、今は出来ない?皇帝の存在故のアーティスティックさを具現化し継続せねば、テレビは、続かないでは無いか。事実であろうと無かろうと、そうで無ければ、困る。

この経緯が、結局はマスコミの、「籠池氏押し」に成って行くのでは?

独裁性は、利益に成らない。実は昭和だって”そう”だ。テレビの伝統を守る限りは、売春婦は絶対に必要になる、”そここそが”実は、利益性の要だったりする訳で。何故、一般的には利益性が殆ど無さそうな過激?と言うか不快感有る内容にAVは成るか?人間の価値を貶める事が目的だから、だ。それによって相手を否定しその財産を略奪する事で、独裁創作は利益性を持ちうる。AV女優に自殺者が多いのは、その辺の経緯による。

今日も、テレビの中央に居るニートは、売春婦を買いに行く。決して利益を出せないまま、消費し続け、人を食いながら。

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