あげちうのブロマガ

解らない独り言の声が大きい

把握に徒労感はある。

こちらにとっての「神様」最上位は大衆、そしてその意思の発露が「大賀さん」と言う認識、だが。

現状には別の神様が居る、良くも悪くも「特定の夫を持たない」老いた女性、それがまあ、「九尾の狐」と化している訳で。

それに対して”人間”が、「どっち?」を判断できない。「大賀さん」はゲーム機だ、その決定は何の強制もしない、が。従わないと問題が発生する。対して「九尾の狐」はそれでも人の意識があり、強制力を発生させる。しかし、それに従う時、多くが問題にしか成らない。

それでも、「何も言わない」故に、大賀さんは人々には姿さえ見えない、のだ。

その「九尾の狐」が、問題ある壁には成ってる。
既に老いて、最早痴呆症さえ発症しているかもしれない。
逆にそうなってるが故にむしろ、そこには重い強制力が発生、意識が現実を見てないのだ、何かの解脱でさえ有るかもしれないが、周囲に居る存在には重い面倒の発生であり。


「九尾の狐」仏教的把握の”悟り”の果てに、男性なら到達する「神の(大衆の)視点」が発生しない、女性の意識が産む妖怪の事だ、ここでの定義では。

男性と女性の大きな精神構造の差だが、男性には多数決があるが、女性には無い。結果、「自分は右」なら、意識の中に多数決は存在しない、100%が「右」を選ぶ。これはかなり極端な状況で、そして女性自身にも”これ”が如何に問題があるか?の自覚がある、らしく。良くも悪くも女性が男性を求める理由、その一つには成っている…世間への感覚的把握が欲しい、訳だが。

男性は男性で、その意識内の多数決が広がる時、その多数決を制する方法を得ねばならなくなり…これを突破出来ないと、判断が非常に鈍ってしまう、どうしていいか解らない。この時に妻の存在は、そこに大きな「こっち→」を提供してくれるので、迷いが無くなり行動が機敏に成る。しかも、重大な決断に対して”自己責任じゃ無くなる”訳だ。非常に気楽に成り、妻はその時女神にも見える、訳だが。その後、尻に敷かれる様に成っても、それはそれである。

色々な意味で、男女は片方だけでは成り立たない、しかし。

良くも悪くも一夫一婦は、残酷な切り捨てを良くやる。家族以外は結論で、「人扱いに成らない」のだ。もちろん組織を大きくする上では問題のある感覚で、相応の理解やら我慢やらが必要になる、が。それでも人間である限り、嫌いな物は嫌い、だ。それをその、大きな影響力で切り捨てる時、結果論でそこに「九尾の狐」が発生する。その九尾の狐は、要するに社会から捨てられた存在に成ってしまい、社会への”普通”それへの強い否定感を抱える結果、それが要求する創作?それは、利益性をほぼ完全に失う。

その「九尾の狐」を、今も排除できない。


と言う話を世間に語って、誰がまともに読むのだろう(-_-;)。

一応今の所、香港のデモは、第二の天安門には成らなかった。「大賀さん」それは、平成の初期に比べて或いは上手くやった、のだ、が。それでもあれだけの騒動は起きてしまったし、そこには或いは、九尾の狐、その存在の意向がある。独裁性の推奨、社会性の否定、或いは昭和の社会が切り捨てた物が悪魔と化し、神を名乗りつつ、世間に復讐している訳だけど。

”それ”がしていた事は、後の人々にとっては或いは問題なく、むしろ、上手く出来る。
”それ”に対する「九尾の狐」その意識は、そこに強力な問題として有る。

結局、何の喜びも無かった、訳だ、この現実には。そして無様に老いて死んでいく。
社会は今も、”そこ”に対して、返答し得ない現実はある。

呪いが消えない。
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