医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

エッセネ派神殿の美14

2007年06月08日 08時50分32秒 | Weblog
 キリストの死後、使徒らによって、またディアスポラによりキリストの教えは広まりました。

 301年にはアルメニア王国が初めてキリスト教を国教と定め、ローマ帝国では313年コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって公認され、380年にはキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しました。

 一方エルサレムは、7世紀からはイスラムが支配します。

 日本では聖徳太子が17条憲法を定めたのが、604年とされております。

 7世紀にはエルサレムを、シリアのダマスカスに首都を置いた、アラブ人によるイスラム国家のウマイヤ朝が治めます。

 ウマイヤ朝カリフはシリア在住ですから、サウジ・アラビアにあるイスラムの聖地メッカとメディナが遠くて、自分の影響力も乏しかったのでしょう。

 このエルサレムのユダヤ教徒の神殿内、アブラハムがイサクを屠(ほふ)ろうとした「聖なる岩」を囲うように、イスラム教の第三の聖地として、イスラムの「岩のドーム」を建立したために事態がいよいよ複雑化してしまうのです。

 そのため、ユダヤの神殿の跡地=聖地「嘆きの壁」の上に、皮肉なことにそれはそれは美しいイスラムの聖地「岩のドーム」が建つという、世界にも類を見ない悲劇が続いているわけです。



 この場所がどっちのものか?と言われても、僕たち日本人には竹島や尖閣諸島以上に難しい問題ですよね。

 それからのエルサレムは、11世紀にはヨーロッパのキリスト教国による十字軍が奪回してエルサレム王国を造りますが、12世紀にはエジプトのイスラム下に、16世紀からはオスマントルコが支配しました。

 進んだ文化を持ったイスラムから見れば、ヨーロッパ、特にギリシャやローマ以北の現在の主流の国々は遅れており、野蛮に見えたことでしょう。

 十字軍は1096年から200年間派遣され、名目はエルサレムの奪還です。

 そして十字軍によってエルサレムを奪還してから、1198年にフランスの貴族が中心となって創設されたのが、謎の多い「テンプル騎士団」です。

 「テンプル騎士団」は、「騎士修道会」といって、ヨーロッパのキリスト教徒がエルサレムに巡礼する際の、イスラム教徒からの保護が目的です。

 つまり騎士修道会は、会員が戦士であり、かつ修道士でした。

最新の画像もっと見る