Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●日本の腐敗した司法では、理はアベ様・スガッチ・キシダメ政権にあるのか? 辺野古新基地代執行訴訟敗訴、《理は沖縄にある》はずなのに…

2023年12月24日 00時00分46秒 | Weblog

[↑ 三上智恵監督/最新作『沖縄、再び戦場 (いくさば) へ(仮)』製作応援のお願い (https://okinawakiroku.com/images/hero_pc_l.png)]


(2023年12月21日[木])
アベ様も亡く、最低の官房長官・スガッチも内閣には居ない。キシダメ政権に何の道《理》もない。そろそろ、沖縄でもマトモな司法に戻ってはどうか? 琉球新報の社説《理は沖縄にある一歩も退くことはない民主主義と地方自治をないがしろにし、基地負担を強いる政府の専横に対する沖縄の異議申し立てはこれからも続く》。
 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/辺野古ゲート前抗議行動/埋め立て工区と大浦湾の様子】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/752b3892dffc5b2e84b0ec8833e43696)。《明日は大浦湾の軟弱地盤の改良工事をめぐり、沖縄防衛局が出した設計変更申請を国が代執行しようとする裁判の判決がある。現在の司法の状況に幻想を抱くはずもないが、これから先もゲート前や海上をはじめ工事にかかわる各所で、長いたたかいが続くことを覚悟するしかない。水深90メートルに達する軟弱地盤の改良工事は不可能だ、という専門家の意見がある。しかし、どれだけ時間と予算を浪費しようと国は工事を強行するだろう。完成することが目的ではなく基地利権が目的であり、工事を続ける限り米軍は普天間基地を使用できるのだから。》

   『●N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、
      ジャブジャブと大量の土砂を美ら海にぶちまけている
   『●最「低」裁の政治判断…新基地は決して完成しないし、決して普天間飛行場
      も返還されない。N値ゼロで、工期と費用は∞、血税を日々ドブガネ…
   『●非「地方創生」、「僕」(アベ様)が地方「僕」滅…
        沖縄の民意無視し、しかも再び八百長なその「手」で…
    「不服審査請求など論外だろう。そもそも行政不服審査法
     〈行政庁の処分その他公権力の行使にあたる行為に関する国民の
     不服申し立てについて規定する法律〉(大辞林)であり、一般国民の
     権利救済制度を使うこと自体がおかしい「個人」になりすまし
     救済を求め判断を仰ごうというのだからデタラメ過ぎる
     安倍政権は3年前にも辺野古移設で同様の禁じ手を使っている

   『●辺野古破壊を行政不服審査で強行する暴挙:
     「沖縄防衛局は…「私人」を強調するための偽装工作」
   『●アベ様という「私人」の暴挙…平和の党と共に
      辺野古破壊が目的化し、「目的達成」のためには手段選ばず
   『●辺野古新基地建設: 国が寄って集って沖縄をイジメ、司法が沖縄イジメ
     にお墨付きを与える…野党議員は団結して立ち上がってくれないのか?
   『●地方自治を蔑ろにした沖縄イジメ、沖縄差別…それを助長する最「低」
      裁は司法判断を放棄し、政権に忖度した政治判断を乱発してばかり
   『●沖縄県は《「最高裁は…違反するとは認定していない」と…反論。…「明確
     な反対の民意こそ、公益として考慮すべきだ」と民意を前面に押し出す》
   『●目取真俊さん《無駄な時間と予算を費やしても…事件や事故が起きよう
     とも、政治家も官僚もだれも責任を取りはしない。本当に腐りきった国》
   『●目取真俊さん《沖縄に住む私たちが軍事基地に反対するのは、自分
     たちが被害を受けるだけでなく、加害の立場にも立たないためだ》
   『●玉城デニー沖縄県知事の素晴らしい「辺野古代執行訴訟 沖縄県知事
     の意見陳述」、それを一顧だにせず、即日結審する福岡高裁那覇支部…

 N値ゼロのマヨネーズ状軟弱地盤問題はどこに行ってしまったのか…。
 再び、目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/死ね、腐り日本=ヤマトゥ/代執行訴訟の不当判決を糾弾する街宣活動】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/315f250065086d031aa1f0fb2d18fc05)。《三権分立司法の独立など、いまの日本には望むべくもない地方自治の尊重、沖縄の民意など踏みにじる対象でしかないようだ。沖縄は日本にとって武力による威嚇で併合した植民地である。日本「本土」の平和と安全のために利用して何が悪い。そう言わんばかりに沖縄に居丈高に対していれば、沖縄の中に反ヤマトゥの怒りと憎しみを育てるだけだ。午後4時から判決を糾弾するヘリ基地反対協の街宣活動があったので参加した。雨の中10人ほどが集まった。準備不足で短時間の街宣となったが、那覇だけでなく名護でも声をあげるのは大事なことだ。来週は国の代執行が強行され、見せつけるように大浦湾で工事の動きがあるかもしれない。ちるだい、しぴたいや、やみらやー。うっちんとーしちやならんどー。ちゅーたるがきさんぐとぅ、現場んかいくーよー。》

 予想されたこととはいえ、あまりに酷い…。《辺野古新基地建設の公益性》がどこにあるのか? 《判決は県の不承認について社会公共の利益を侵害するものと断じた》(琉球新報)…。
 琉球新報の【<社説>代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2604977.html)。《特に問われたのは承認の公益性、ひいては辺野古新基地建設の公益性であった。裁判で県は普天間問題の「唯一の解決策」として新基地建設を強行し、設計変更申請の承認を求める国による公益性に関する主張に反論してきた。判決は県の不承認について社会公共の利益を侵害するものと断じた》。

 N値ゼロのマヨネーズ状軟弱地盤問題はどこに行ってしまったのか…。
 沖縄タイムスの記事【大浦湾側の工事、年明けにも着工か 高裁、玉城知事に25日までに承認するよう命令 辺野古代執行訴訟の判決】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1277558)。《名護市辺野古の新基地建設を巡り、国が玉城デニー知事に代わって沖縄防衛局の設計変更申請を承認する代執行に向けた訴訟の判決で、福岡高裁那覇支部(三浦隆志裁判長)は20日、国の主張を認め、知事に対し変更申請を承認するよう命じた。県側が敗訴した。期限は25日で、従わなければ国が地方自治体の事務を代執行する国内初の事例となる。軟弱地盤が広がる大浦湾側の工事は年明けにも始まる見通しで、重大局面を迎える。(社会部・新垣玲央、政経部・東江郁香)》、《判決を受け、玉城知事(池田竹州副知事代読)は「民意に即した判断を期待していただけに極めて残念だ」とし、今後の対応は判決内容を踏まえて検討するとコメントした。国が地方自治体を相手に起こした代執行訴訟は2度目で、判決は今回が初めて。県側は1週間後の27日を期限に最高裁に上告できるが、代執行を止める効力はなく...》。
 最早、沖縄イジメ、それに裁判所が手を貸すとはね…。

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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2604977.html

<社説>代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ
公開日時 2023年12月21日 05:00

 裁判は厳しい結果に終わった。しかし、辺野古新基地建設が普天間の危険性除去、沖縄の米軍基地負担の軽減につながらないことに変わりはない。私たちはこれからも建設計画の非合理性それを強行する政府の不当性を訴え続けなければならない。

 辺野古新基地建設で、斉藤鉄夫国土交通相が玉城デニー知事に代わって大浦湾側の軟弱地盤改良の設計変更申請を承認するために提起した代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部は玉城知事に承認するよう命じる判決を下した。

 裁判では、県の不承認対応について(1)法令規定や大臣の処分に対し違反があるか(2)他の方法では是正することは困難か(3)県対応を放置することは公益性を害するか―という地方自治法上の代執行の3要件が争点となった。判決は国の主張を全面的に認めた

 特に問われたのは承認の公益性、ひいては辺野古新基地建設の公益性であった。裁判で県は普天間問題の「唯一の解決策」として新基地建設を強行し、設計変更申請の承認を求める国による公益性に関する主張に反論してきた。判決は県の不承認について社会公共の利益を侵害するものと断じた。

 この判断は到底受け入れがたい。沖縄から見れば、普天間飛行場の危険性を放置しているのは国である。しかも、工事の長期化によって危険性は継続するのだ。新基地建設の公益性は乏しく、多額の費用を考えれば建設計画の合理性にも欠けている

 ところが判決は、新基地建設の実現以外には「普天間飛行場の危険性の除去を図り得る方法が見当たらない」と断言した。辺野古唯一として新基地建設に固執する国へ追随姿勢は明らかだ。

 設計変更申請の承認を県に迫る国交相の勧告や指示、代執行訴訟の提起という一連の手続きは、地方自治に基づく沖縄の意思決定を否定するものでもあった。国が地方に委託する法定受託事務などで対立が起きた場合、国が代執行訴訟を提起し、国の意向に沿う司法判断を得れば、今回のように地方の意思決定を制限することが可能となる。

 地方自治の否定は沖縄だけの問題ではない。そのことを日本本土の国民も重く受け止めるべきだ

 新基地建設に抵抗する沖縄の闘いの根底にあるのは民主主義と地方自治、そして自己決定権の行使である。

 海上基地の賛否を問う1997年の名護市民投票からきょうで26年である。当時、市民投票を提起した市民の合言葉は「自分たちのことは自分たちで決める」であった。この精神は、その後の選挙や県民投票にも継承され、困難な局面を切り開いてきたのだ。

 理は沖縄にある一歩も退くことはない民主主義と地方自治をないがしろにし、基地負担を強いる政府の専横に対する沖縄の異議申し立てはこれからも続く。
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●恐ろしくて「原発人災」国民投票など・・・・・・

2011年12月07日 00時00分31秒 | Weblog


東京新聞のコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011112702000040.html)。asahi.comの11月27日付社説(http://www.asahi.com/paper/editorial20111127.html)。

 元大阪〝ト〟知事の市長選乗換えの結果を見ると、恐ろしくて国民投票なんて話に乗る気が失せます。反原発ポーズ(?)以外に支持できる政策や発言なんてありましたっけ、何か? 安田好弘さんに対する、氏の弁護士にあるまじき行為が私の頭からは離れません。断言するが、市政や〝ト〟政は市民や府民にとって良い方向に行きはしない。現実に、〝ト〟政は何か良い方向に変わったのか、考えるべきだ。
 3.11直後ならまだしも、今国民投票をやっても、喉元過ぎれば直ぐに忘れ、原子力ムラにだまくらかされて安易に原子力維持・推進の方になびきそうで、怖くてしょうがないです。言っちゃ悪いが、熟慮の末の賢明な選択など、とても期待できそうにない。
 ただ、「理性的な判断は国民にできない、という蔑視」とまで言われると、受けて立つべきかとも思ってしまう。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011112702000040.html

筆洗
20111127

 俳優の大滝秀治さんのナレーションが、とても味わい深く響く。<原発、いつ、やめるのか、それとも いつ、再開するのか。それを決めるのは、電力会社でも 役所でも 政治家でもなくて、私たち 国民一人一人。通販生活秋冬号の巻頭特集は、原発国民投票>声と字幕だけの短いテレビCMが今、話題になっている。「通販生活」を発刊しているカタログハウスがテレビ朝日の夜の番組で流そうとしたが、拒否され幻になったCMだ原発をこれからどうするのか。政府や官僚任せではなく国民投票をして決めよう-。そんな特集の記事を宣伝する「商品広告」とカタログハウス側は考えていた。どこかタブーに触れたのだろうかテレビ朝日側は「民放連の放送基準などに則(のっと)った当社の基準をもとに考査、判断している」と説明。個別のCMの判断については「お答えしておりません」という原発の是非を国民投票で決めようという市民運動が広がっている。ただ政治家の関心は鈍く、批判的な声すらある。そこには、理性的な判断は国民にできない、という蔑視が潜んでいるように思える原発稼働の是非を問う住民投票条例の制定を求める署名活動が、来月から東京都と大阪市で始まる。電力消費地の住民が自らの問題として受け止めようという思いから始まった。主権者が意思を示す第一歩に注目している。
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http://www.asahi.com/paper/editorial20111127.html

20111127日(日)付
政治を鍛える 国民投票―原発の将来みんなで決めよう

 自分の声を政治に届けたい。国の命運にかかわる選択には、私のこの一票を投じたい。
 国民のあいだに、こんな機運が高まりつつある。
 東日本大震災のあとも、いがみ合うばかりの与野党に任せてはおけない。主権者として、もっと政治と真剣に向き合おう、という思いの表れだろう。
 東京と大阪では市民団体が音頭をとって12月から、原発の是非を問う住民投票の条例制定を求める署名運動を始める。いずれは、日本全体での国民投票の実施をめざすという。
 国民投票は、日本ではなじみが薄い。憲法改正には必要だが、実施の見通しはない。
 しかし、海外では直接民主主義の手段として使われている。欧州連合(EU)のほとんどの国に制度がある。ことし6月、イタリアが原発再開凍結を決めたことは記憶に新しい。
 ただ、過去には独裁者がみずからの支配を正当化する隠れみのとして、国民投票を利用した悪例も多い。このため「○か×か」を問うような単純な手法が、ポピュリズム(大衆迎合政治)をあおりかねないという慎重論は根強い。

■民主主義の教室に
 だが、それでもなお、私たちはいまこそ、日本も国民投票を導入すべきだと考える。
 主な理由は三つある。
 第一に、いま直面している原発問題は国民投票にふさわしいテーマであるからだ。
 国の将来を10年単位で左右する。国民のだれもが影響を受ける。しかも世論が割れている。これぞ、みんなで議論し、学びつつ、考えて答えを出すべき課題ではないか。
 ギリシャがやろうとして撤回した「経済救済策」とは訳が違う。あれは一刻を争う危機管理の問題であり、時間をかけて議論を詰める国民投票には、そもそもなじまなかったのだ。
 二つめは、国民と政治との失われた接点を取り戻す機会になるからだ。衆参ねじれのもとで動かない政治に、人々はいらだち、疎外感を募らせている。もっとモノ申したいし、政治参加の実感がほしい。その具体策になり得る。
 三つめは、制度を導入する過程が、民主主義の教室になるからだ。政権交代は実現したものの、政治風土は旧態依然だ。原発問題を考える国民投票は、議論の技術や、合意のつくり方を学ぶよい好機になる。

■諮問型で時間かけて
 具体的には、諮問型を提案する。投票結果に法的な拘束力はないが、政治は結果を重く受け止めるタイプだ。
 国政は「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」(憲法前文)する間接民主主義が基本だ。現代の複雑な課題に敏速に対処するには、議員が議論して決める議会制が適している。諮問型は、この路線を崩さない。
 憲法を改正する必要もなく、導入しやすいのもいい。
 実施するには、二つの大きな前提が欠かせない。
 ひとつは、慎重かつ丁寧な制度の設計だ。だれが発議をするのか。国民に問う文章をどこでどう確定させるか。周知期間をどれほど設けるか。拙速は禁物であり、すべてを詰めるには、2年くらいはかかるだろう。
 スウェーデンの先例が参考になる。投票はスリーマイル島事故の翌年の1980年。「新設を含めて容認」「新エネルギー開発を強化する条件つき容認」「早期全廃」という三つの選択肢で問うた。その結果、2010年までの全廃が決まった。
 ところが30年後には、議会が古い原発を建て替える方針に転換した。国民と議会が対話しながら試行錯誤していくのだ。

■問われるメディア
 もうひとつの前提は、議論する作法を国民一人ひとりが身につけることだ。
 この20年間、日本の世論は時として大きく振れ、政治が興味本位の劇場型になった面は否めない。個人が自由に意見を発信するインターネットが、政治をめぐる言論空間を大きく変えつつある。
 冷静に国民投票をするには、国民もメディアも、まずは民主主義は時間がかかることを覚悟する必要がある。政治家の気の利いた表現に飛びつくのではなく、人物像や政策の中身に目を凝らそう。その判断材料を提供するメディアの力量は、いっそう厳しく問われる。
 民主主義が古代ギリシャで生まれてから2500年になる。都市国家の直接民主主義から、主権国家単位の議会制民主主義を経て、いまはグローバル社会のなかで、発信する有権者と向き合わねばならない。
 新しい議会制民主主義の時代だからこそ、政治を鍛える視点で国民投票を考えよう。
 自分たちのことは自分たちで決める。その責任感を国民が持つことが大事なのだ。
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