Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『A3(エー・スリー)』読了

2011年01月16日 01時24分48秒 | Weblog

森達也『A3』(エ―・スリー)を、1月に読了。冬休みの〝休み時間〟にせっせと読学。集英社インターナショナル、2010年11月第1刷発行。

 本の帯の表、「なぜ「あの事件から」目をそむけるのか?/歴史は上書きされ、改ざんされる。無自覚に。誰も気づかないままに・・・・・・。ドキュメンタリー 『A』 『A2』の作者が放つ第3弾。新しい視座で「オウム」と「麻原彰晃」、そして「日本人」の本質に迫る!」。
 裏は、「何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。多くの謎と副作用ばかりをこの社会に残しながら、急激に風化されつつある一連の「オウム事件」。何も解明されないまま、教祖と幹部信者たちの死刑は確定した―――。麻原彰晃の足跡を、新しい視点からもう一度迫る。浮かび上がるのは現代日本の深層」。

 『A』・『A2』に続く今回の「A」は、麻原彰晃氏の「A」。「吊るせ」、「殺せ」、というマスコミの作り上げたものではなく、麻原彰晃氏を別の視点から見たルポルタージュ。「詐病」と喧伝し、もはや真相の解明などに全く興味の無いマスコミ騙されていることに気づかない、気づこうとしない人々。

 プロローグ、「1 傍聴」、「2 封印」、「3 面会」、・・・「16 父親」、「17 詐病」、・・・「24 死刑」、「25 視力」、・・・「31 受容」、「32 特異」、エピローグ。

 誰がどう見ても被告席の麻原氏は「壊れていた」はずなのに、誰ひとりマスコミは報じようとしない。マスコミが煽る「民意」に引きづられ、裁判官の目も「フシアナ」。「・・・精神鑑定はただの一度も為されていない。/・・・一切の接見や面会を、麻原は一九九七年から拒絶している。・・・家族とは・・・、会話は一切交わしていない。・・・七年間、彼はだれとも口をきいていないのだ。もしもこれが演技でできるのなら、その精神力の強靭さは並ではない。まさしく怪物としか思えない」(p.15)。
 「・・・裁判官たちは本気で考えたのだろうか。・・・。/何かの冗談を聞いているかのようだ。・・・。/・・・ちゃんと仕事をしてほしい。大小便は垂れ流しで会話どころか意思の疎通すらできなくなっている男を被告席に座らせて、一体何を裁こうとするつもりなのか。どんな事実を明らかにするつもりなのか。そもそも刑事裁判の存在意義を、あなたたちはどのように考えているのだろうか」(p.56)。
 安田好弘弁護士が逮捕されるという嫌がらせ、異常事態。その後、わずか二人の弁護態勢。そのうちの一人は、「まさしく壮年です。それがいきなり車椅子で、しかもオムツをしていて、その理由は分からないって、これは普通のことですか。これを異常と感じないならば、いったい何が異常なんですか」(p.189)。

 都市伝説・陰謀論と放置していいのか? 「・・・岡崎の見解は、・・・拘置所内で投与された向精神薬が、麻原の人格破壊の原因ではないかと・・・。/拘置所内で看守たちが薬物を頻繁に使うとの噂は、確かによく耳にする。・・・常識をはるかに超えた量が投与されたということらしい」(p.63)。

 死刑存置国中の稀有な存置国。「・・・絞首刑・・・死刑囚に余計な苦しみを与えないということらし。・・・。実際に絞首刑がどの程度の苦痛を与えているのか、それは誰にも分からない。なぜならこれを体験してから語った人はまだいない。/ちなみに二〇〇八年に絞首刑を実施した国は、イランとイラク、パキスタンとバングラデシュ、エジプトにマレーシアとスーダン、ボツワナとセントクリストファー・ネーヴィスと日本だけだ。他にはない。そもそも死刑存置国は少数だけど、最後の最後に死刑囚に耐え難い苦痛を与えているとの見方が強い絞首刑を採用する国はさらに少ない」(pp.66-67)。

 腐ったジャーナリズムの典型。「「現在の麻原は訴訟能力を失っている可能性がある」との僕の主張を、ジャーナリストの青沼陽一郎が、『諸君!』(文藝春秋社)二〇〇五年三月号で「思考停止しているのは世界ではなくあなたの方だ」とのタイトルで、四頁にわたって批判している。/・・・いわばオウムを包囲する世論形成に大きな役割を果たしたジャーナリストのひとりだ。・・・。/ただし論争ならば論理的であることが前提だ」(p.67)。それは無理な相談でしょうね、この雑誌、この出版社、かつ、これらが御贔屓の作家センセでは。

 公安調査庁生き残りのための破防法。佐高信さん、浅野健一さん(p.76)。「オウム新法・・・。つまり多重に憲法を逸脱している。破防法とほぼ同様に(あるいは破防法以上に)問題点が多くある法律だ。/でも団体規制法は成立した。・・・住民票不受理や、オウムの子供たちの就学拒否などが、当たり前のように行われるようになった。つまり「オウムを排除するためなら何でもあり」的な意識が、事件直後の1995年より明らかに強くなっている」(p.77)。青木理さん、「・・・「組織の生き残り」に向け、なり振り構わぬ数々の試みに取り組んでいた。・・・次のような公安庁の内部文章を入手して唖然とさせられたことがある。/・・・公安庁にとってはオウムは、やはり〝天佑〟だったのだ」(p.67)。
 「・・・力強い何ものかにしっかりと管理や統治をしてもらいたいとの社会の思いが、強く反映されているということだ。つまりオウムによる後遺症が顕在化した。/・・・ほとんどの日本人はメディアによって、「オウムの信者は普通ではない」と刷り込まれていたということになる」(p.80)。

 安田好弘弁護士(p.87、188、358)の嫌がらせ逮捕のもう一つの背景。「・・・麻原彰晃の主任弁護人として一審弁護団を牽引していた安田好弘を逮捕した。・・・。多くのメディアは「麻原主任弁護人を逮捕」と大きく報じ、「人権弁護士にもうひとつの仮面」と見出しをつけた週刊誌もある。・・・。/・・・特に麻原法廷の主任弁護人として、また死刑廃止運動のリーダーとして、そして弁護士は在野にあるべきとして公権力への接近に明確な疑義を示していた安田の存在は、公権力と足並みを揃えつつあった中坊にとって、極めて目障りであったことは容易に想像がつく」(pp.87-88)。
 麻原氏に検察が死刑を求刑した同年、安田さんは「一審で無罪判決を勝ち取った」(p.89)。判決言い渡しの経緯は、安田さんの『死刑弁護人 ~生きるという権利~』の解説に詳しい。しかしながら、〝犬〟の裁判官により、控訴審判決では逆転有罪が言い渡され、現在は上告中。
 近代司法の破壊。民意だから仕方ない、で良いのか? 「・・・安田は低くつぶやいた。/「近代司法の重要な原理である無罪推定や検察の立証責任などの概念は、今やもうお題目に等しい。・・・」/・・・「・・・つまり弁護人が知らないうちに裁判官が被告に会っていた。・・・」/・・・。/「人権派って?」/「いろいろ。例えば市民団体とか」/「あの人たちはね、基本的には、良い人とかわいそうな人の人権じゃないとダメなの」/「・・・・・・悪くて憎らしい人の人権はダメなのかな」/「ダメだねえ」」(pp.90-91)。
 思い込み。思い込まされ過ぎ。「被害者や起訴された事件の数を考えれば、長いどころか異例なほどに短い」死刑判決までの道のり(p.91)。

 不合理、不正義。「・・・彼の子供たちは教育を受ける権利を、この社会から現在進行形で奪われ続けている」(p.142)。入学拒否した、とある大学教員の言葉、「・・・「良心的」な教員集団がした決定がこれだ、という点である。こんな近代の原則にも徹しきれない人々が考えている「平和」や「学問」とは何だろう? むしろここに恐怖を感じる」(p.151)。住民票の不受理など、「明確な憲法違反」(p.152)。
 棒タワシを使っての体の「洗浄」など、「とにかく彼は被告が本来持つべき権利をほとんど有していないのです」(p.262)。
 「・・・中学の措置に対して、問題視する世論はほとんどない。そして教育機関に義務教育すら拒絶される彼らの父親である男は、精神が崩壊したまま、門外漢の僕にすら不備や破綻をいくらでも指摘できる鑑定書を根拠に、今まさに死刑が確定しようとしている」(p.263)。

 鈴木邦男さん(p.161)、大泉実成さん(p.164)。河野義行さん(p.229)。大西巨人さん(p.230)。
 浅見定雄さんにはちょっと落胆(p.231)。
 本件では、どうも変な江川昭子氏(p.270)。

 サイキックハンター。「・・・多くの知識人や科学者たちがオカルト超能力に興味を持ち、降霊術なども頻繁に行われていた。これらのトリックを精力的に暴き続けたのは、奇術師ハリー・フーディーニだった。ところが・・・、亡き母親との交信を望み続け、さらには霊界空の交信を試みるとの遺言を妻に残して死んでいる。/でもその死後、ついに一度たりとも、妻に霊界からの交信はなかったという」(p.166)。妻との交信の経緯については興味深い話があり、ぜひ、本城達也さんのWP超常現象の謎解き』(http://www.nazotoki.com/)を参照(「フーディニの暗号」、http://www.nazotoki.com/houdini_code.html)して下さい。

 囃したて嘲笑する外野。その気味悪さに気づかない不気味さ。「転び公妨」、実際は「転ばせ公妨」(pp.227-228)。「ところがこのとき、警察官のこの違法行為に抗議の声をあげる人はいなかった。それどころか群衆は、警察官が信者を道路に押し倒したとき、歓声を上げながら拍手した。カメラを回す僕のすぐ後ろにいた初老の男性は、「・・・本望だよな」と大声で言い、多くの人が笑いながら「そうだそうだ」と同意した」(p.228)。

 読まねば。『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』(現代人文社)(p.417)。
 光市母子殺害事件(p.417)。
 メディアの暴走。麻原氏とその取り巻きの関係と、メディアと民意との関係の相似形。「・・・麻原がほとんど盲目で、・・・側近たちは張りきった。危機を訴えれば訴えるほど麻原に重用されるのだ。要するにオウム以降のメディアと民意の関係だ。危機を訴えれば訴えるほど、視聴率や部数は上昇する」(p.472)。

 途中から、宗教用語とその難解な論理についていけず。考えてみると、事件と同時進行では、メディアの情報で洗脳されていないためもあるのか?

 ゴタゴタ言うな、とにかく死刑にしてしまえ!、という民意。それも今や誰も思い出しもしなくなるほどに風化か? 「・・・朝日新聞社界面に降幡賢一・・・。/・・・。/戦後最大級といわれる事件なのに、「犯行計画の詳細を一体誰が決めたのか」すら、いまだに明らかにされていないことを、降幡は指摘している。あらためて考えれば、いやあらためて考えるまでもなく、とても異常な事態だ。でもおそらく多くの人は降幡のこの重要な指摘を読みながら、とても異常だとは思わない。さっさと読み飛ばしてしまうのだろう」(p.504)。
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●『ふたたび、時事ネタ』読了

2011年01月15日 00時00分22秒 | Weblog

『ふたたび、時事ネタ』、12月に読了。斎藤美奈子著。中央公論社。2010年6月、初版発行。
 全編、とにかく面白かった。想像以上の面白さ! 小田嶋隆さん的ユニークな視点。
 
自民党政権崩壊から政権交代後まで激動の3年間。帯から、「安倍首相のもと自民党が参院選で大敗した2007年、福田・麻生政権迷走の2008年、鳩山連立内閣が誕生した2009年、そして・・・・・・」。『DAYS JAPAN』のエッセイでおなじみの著者。

 安倍晋三氏についてしつこいくらいに(p.32、43、63、66、67、71、83、156、256)。
 麻生太郎氏(p.158、163、171、174、186、257)。自民党や国民のセンスの悪さ。
 石原慎太郎氏(p.49,136)。
 橋下徹府知事(p.108)。「・・・ああいう都知事を三選させた東京都民の私がいうのもなんだけど、懲りてません大阪も」。「大阪府知事の思いつき語録」(pp.141-143)プチ小泉改革、民尊官卑。
 
新自由主義路線(p.165)。
 
「検察の暴走と「小沢問題」」(pp.189-192)。
 
古賀選対委員長との対話での、東国原氏の「日本中があきれた瞬間」(p.216)。「土建化せんといかん」。

 
タウンミーティングのやらせ問題(p.11、38、64)。

 
「大悪」でなく「中悪叩きの法則」(p.22)。原発検査偽装事件など「大悪」をメディアが報じることはない。

 
「米下院も敵に回した意見広告の墓穴の掘り方」(pp.55-58)。「火に油を注いだ」意見広告。「・・・事実のねじ曲げ方以上に「墓穴の掘り方」「火事の広げ方」を学ばせて頂く格好の教材といえる」。ここら辺の発想や表現の仕方だたまらない。広告主には、愛知和夫・稲田朋美・河村たかし・西村眞悟・平沼赳夫氏らが。

 
原発推進派のアル・ゴア(p.84、86)。英国の裁判所では、あの映画『不都合な真実』について、「・・・科学的な誤りがあるとし、学校で見せる場合は、内容の偏りについて説明しなければばらないという判決・・・」。「あの映画は科学的というより、政治的なプロパガンダに近い、ともいえるのである」。
 一方、日本では、「原発は安全だといいきる裁判所の大胆不敵」(pp.87-90)。柏崎刈羽原発。東電批判、電力会社批判は、この国のメディアの大きなタブー。「安全性はもちろん、コストの面から考えても、事故が起こった際のリスクが大きい原発が有効な代替エネルギー源とはとうていいえない」。

 ロス疑惑の狂騒(pp.115-118)。推定無罪の原則なんてクソクラエの検察・警察・裁判所・マスコミ。この件に関して、こんなまっとうな論にはほとんど巡り会えない哀しい状況。
 「断固拒否したいです、裁判員制度は」(p.121)。
 「死刑制度が「プレゼン力」で決まる恐怖」(pp.126-129、132)。山口県光市母子殺人事件。「だとすれば一、二審の供述の方がむしろ「虚偽」だったのではないか」。綿井健陽さん、安田好弘弁護士。
 「和歌山カレー事件の判決は妥当か」(pp.200-202、208)。「・・・物証なし、動機も不明状況証拠だけで下された異例の死刑判決」。これも推定無罪の原則なんてこれっぽちも、誰もマスコミから声は上がらない。まさに「暗澹たる気持ち」。
 飯塚事件、「本人が否認したまま死刑が執行」(p.209)。

 田母神〝論文〟のお粗末さと「トップがこんなアホとバレては・・・」(p.167)。
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●何度書いても書き足りない裁判員制度

2011年01月14日 04時48分03秒 | Weblog

ゲンダイネットに出ていた記事のコピペ。前半部分の内容や表現方法には賛成しているわけではありません。とくに、「平成の毒婦」といったマスコミ用語の部分など。一方、「憲法違反」の視点など、結論部分には大いに同意します。

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http://gendai.net/articles/view/syakai/128282

裁判員裁判 大丈夫か!今年は重大事件の審理目白押し

                                【政治・経済】 2011111日 掲載


市橋、上田、木嶋ら凶悪犯がゾロゾロ

 
制度導入から3年目に入った裁判員裁判。裁判員法で定めた制度見直しの検討を来年に控え、今年は死刑求刑の可能性がある重大事件の審理が目白押しだ。
 
千葉地裁で3月までに公判期日が決まる見通しなのは、英女性殺害事件で殺人や強姦致死などの罪に問われた市橋達也被告(32)。弁護側は殺意なしと主張し、裁判員の判断に注目が集まる。
 「平成の毒婦」事件も裁判が始まる見通し。鳥取連続不審死事件では、男性2人に対する強盗殺人などの罪で起訴された上田美由紀被告(37)が、公判前整理手続きで全面否認。検察側は、上田が持っていた睡眠導入剤と同じ成分のものが2人から検出された点などの間接証拠を基に立証する方針だ。一方、埼玉などの連続不審死事件で殺人罪に問われた木嶋佳苗被告(36)は、さいたま地裁で一括審理される見方が有力だが、公判予定のめどは立っていない。

   「これらの事件に共通するのは、被告が犯行(殺意)を否認し、直接証拠に乏しい点です。
    ともに逮捕、起訴する際にマスコミで大きく報道され、公判では裁判員の心証は真っ黒だろうが、
    客観的証拠がない中で『疑わしきは被告人の利益』という原則がどこまで貫けるのか。
    注目事件だけに裁判員の精神的負担も相当重い。あらためて裁判員制度を考える上で、
    重要な事件です」(司法ジャーナリスト)

 裁判員制度を「憲法違反」として反対している九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法学)はこう言う。

   
「すでに一部の審理でみられるように、感情的な判決公判前整理手続きによる
    法廷形骸化などが指摘されているが、この制度はやればやるほど国民から敬遠され、
    定着しなくなる可能性が高いと
思います。今後は今以上に死刑と正面から
    向き合うような重大事件の審理が増える。せめて重大事件は裁判員制度から
    外すなどの抜本的な改革をするべきです」

 
国民参加の司法制度といえば聞こえはいいが、要は負担を国民に押し付けているだけ
 
小手先の見直しでなく、即刻、廃止すべきである

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●都知事選展望

2011年01月13日 05時05分01秒 | Weblog

東京新聞の記事です。

 現都知事が立候補しなければ、(祝日に自身は国旗を掲揚しない〝非国民〟との噂があるにもかかわらず)国旗・国歌問題での教員差別などなどなどなど、現都知事より悪い方向には行きようが無いのですが・・・、候補に挙がっている名前が「最後の切り札」議員や「ヤルヤル教の教祖議員(現在、ブログ主は、ポットチャンネルで見た「おいおい教」教祖のドクにやられてます・・・。教祖の口から「EM菌」という言葉まで出る始末で・・・。あっ、でも、「EM」は宗教なのでオッケーなのか!?)では、まっ、私は都民じゃないので誰でもかまいませんけど、傍目に見てて哀しい気分にはなります。このどうしようもない老人(ブログ主は決して年齢差別するつもりはありませんが、この方のみは例外です)さへ4期目を務めなければ、取りあえずは最悪の選択は回避できるでしょうかね? でもこの御両名や、石原氏のお気に入り〝副都知事〟猪瀬氏や、都知事選に色気を見せてる、ビートたけし氏の最初の弟子〝そのまんま東〟氏・・・が天下の東京の選択すべき都知事候補では都民の皆さんはどう感じているのでしょう? 長妻昭氏の名前がすごく立派に見え、都政に対する手腕は全く未知数、かつ、おそらく高くはないとは思われますが、すごく期待の持てる名前に見えてしまうのが不思議です。「公務員絶対批判主義者」に見えてしまう部分は残念ですが、後藤雄一元都議が立候補されないですかね。これまでの過去3回の都知事選を見る限り、他のオルタナティブの候補でも当選は覚束ないでしょうね。

 
現都知事の進める「非実在青少年都条例」を梃子に、子どもを守るために必要などと虚偽で父兄の気を引き、石原支持への選挙行動につながりはしないかという懸念があります。実際には、思想統制につながる、現都知事の差別丸出しの発想から出てきた都条例で、かつ、警察権力・権限の拡大と強化につながるだけの、どうとでも解釈可能な無意味でかつ危険な条例でしょう。こんな条例が支持され、他の都市にまで波及されてはたまったものではありません。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011011002000027.html

都知事選見えぬ構図  投開票まで3カ月

2011110日 朝刊

統一地方選最大の注目となる東京都知事選の投開票日まで十日で三カ月となった。しかし、候補者の顔触れはいまだに決まらない。その要因は、三期目の任期満了を迎える石原慎太郎知事(78)の去就がはっきりしないためだ。政権与党として初の都知事選に挑む民主党も、党内の混乱で候補者擁立が難航する。浮かんでは消え、再び浮上する著名人も。各陣営のにらみ合いは直前まで続きそうだ。
 
「去就は物事の流れの中で決まること」。七日の定例記者会見でも、石原知事はけむに巻いた。
 
東京都の二〇一一年度の予算規模は十一兆七千億円、韓国やノルウェーの国家予算に匹敵する。「国家の中の国家」ともいえ、石原知事も「都知事の権力は絶大。東京でなければ知事なんてやらない」と椅子の重さを公言して、はばからない。
 
今月二十日で宮崎県知事を退任する東国原英夫氏(53)も、次の選択肢に国政進出と並び、都知事を挙げるのもそれが理由だ。
 
しかし、明確に出馬へ名乗り出る人はまだいない。「石原知事が引退を表明した途端、乱戦模様になる。知事の人気を重しにして出方をけん制する、いわば抑止力だ」。知事与党の自民党都連幹部はそう解説する。
 
そもそも今期限りの引退は既定路線のはずだった。前回選挙で「最後のご奉公」と一六年夏季五輪の招致を公約に掲げ、失敗。直後に「三期でやらない。いい年ですから」とも発言していた。
 
去就表明の節目は、来月八日に始まる都議会定例会になる。ただ、築地市場移転をめぐって都議会最大会派の民主党と対立しており、予算案審議の難航は必至だ。このため「定例会最終日の三月十一日以降にずれ込む」との観測すらある。
 
こうした知事の「あいまい戦術」に、他の陣営も戸惑いを隠せない。独自候補の擁立を目指すある陣営幹部は「石原都政の転換か継承かを問う選挙なのに、知事の去就表明なしには対立軸が定まらない」とこぼす。
 
一方、逆風にあえぐ民主党の菅直人首相は都知事選の勝利を支持率回復のきっかけにしようと「とにかく勝てる候補を」とげきを飛ばしているという。
 
党内からは長妻昭前厚生労働相(50)らの名前も挙がる中、「最後の切り札」と注目されるのが、蓮舫行政刷新担当相(43)だ。昨年七月の参院選東京選挙区では過去最高の百七十一万票を集め、圧倒的な人気を見せつけた。蓮舫氏は当初「可能性はない」ときっぱり否定していたが、七日の会見では「要請があれば検討するのは政治家として当然」と微妙な変化を見せている。
 
とはいえ、党内には「政権が弱体化した今、人気者を手放すわけにはいかない。他党をけん制しつつ候補者選びを進める時間稼ぎだ」との意見もある。
 
最後は知名度が物を言う都知事選では、手の内を明かさない「後出しじゃんけん」が有利との見方もある中、新党改革の舛添要一代表(62)の名前も取りざたされるほか、勢いづくみんなの党や、共産党が参加する市民団体も独自候補の擁立を検討している。
 
選挙は三月二十四日告示、四月十日に投開票される。
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●「氏・名」考

2011年01月12日 00時00分41秒 | Weblog

inti-solさんのブログに、英語表記について標記に関する記事http://plaza.rakuten.co.jp/intisol/diary/201101100000/)が出ていました。

 
私も、名刺を作り始めた頃ですから、20年以上前から、英語での自己紹介やアルファベットでの表記を自分の生活習慣に応じた「氏・名」の順で発音・表記しています。つい忘れてしまって、非日常的に「名・氏」の順番で自己紹介してしまうこともあるので(学校教育?の影響がなかなか抜けません)、可能な範囲での実践です。「メダカ社会」への蟷螂の斧。

 
動機は、inti-solさんがお名前を上げておられる方の影響でした。同氏による、もっともお薦めする著書『日本語の作文技術』の中に出てきた話ではないかと思い、今確認しましたが、違っていたようです。いずれにしろ、『貧困なる精神』の「すずさわ」シリーズの初期のころだったと思いますが、書庫を探して確認する時間がありません。名刺の表記の仕方が例図されていて、それも真似をさせていただいています。ついでに、アルファベットによる住所表記方法も自分の生活習慣に応じた順番にしています(つまり国名・県名・市名・・・)。これもその方の影響。
 
名刺の氏名では、「氏」はすべて大文字のアルファベット、「名」は頭文字以外は小文字で表すことで、「氏」・「名」の区別を相手に理解してもらいます。実際は、「氏」と「名」の間に「,」を入れて、どちらが「氏」であるかを強調しています。ちなみに、職業上の肩書きは特に入れていません。聞かれれば説明しますが、それで特に不便はありません。名刺で連絡先さへ分かればよいのですから。これら全て、同氏の影響。
 
ローマ字も訓練式かベボン式かどうか、などという議論もあります・・・。それについて確認しようと、再度、『日本語の作文技術』を見てみたところ、同氏の著書の冒頭にいつも掲げられる凡例の部分にここら辺の同氏の〝こだわり〟が簡単にまとめられていることを思い出しました。

 自己紹介で特に問題が生じたことはありません。どちらが「氏」かという誤解を避けるためや、語呂から、基本的に「氏」しか言わないことも多いです。「氏」と「名」の単純な発音の長さから、「氏・名」で言うと、語呂やスワリが悪いと感じています。ですので、「氏」のみを言うことが多いです。
 
問題は、公文書(あえて、曖昧に書きますが)的な何らかの文章化した際です。検索などで、「名」を「氏」と誤解されてしまうことがあります。
 
また、単記の場合には自己責任の範疇で、臨機応変に記名しますが(可能な範囲で、「氏,名」の方法)、連名の場合には問題が生じます。特に、私の生活上の習慣とは異なる「氏名」の表現法を用いている方との連名の場合です。どちらの方法も複数人いたりすると、悩みの種で、私のみ私独自の方法で表現するのも変ですし。私は変ではないと思うのですが、私のみ「氏,名」方式で記述しても〝ハジカレ〟てしまう場合が多いですね。
 
人様が私の名前を記載して下さる際にも不満があるのですが、私のみに「氏,名」方式を採用して頂くことが憚られる場合も多いです。

 別件ですが、同記事に対する常連さんのコメントが付いています。ハンガリーのブタペストについて。名前は忘れましたが、有名な鎖のつり橋なども含めて、本当に印象に残る街です。
 とある用事で知人と二人。ウィーンかどこかから、ハンガリーに移動しました。たしか35℃を超える猛烈な暑さでした。いや、40℃近かったかもしれません。少し歩いては、冷たいものを求めた記憶があります。安宿(夏休みを利用した寄宿舎?)でコーヒーだけがおいしくなかったことを除けば、何の不満もない思い出深い旅でした。
 ついでに、知人の所属するその集団(職場、その家族や恋人を含めた場)では、男女年齢に関わらず、お互いを「名」で呼び合います。その国(オーストリアでもハンガリーでもない、ヨーロッパの国です)の全体の習慣ではなく、彼の所属する集団内のみ習慣のようです。同国の他の集団でもそういう習慣はあるようですので、その国では別に珍しいわけではありません。敬称をつけて年上の方に「氏」で呼び掛けると、出会ったその日に、〝友人(?)〟なのだから「名」(あるいはそれを縮めたニックネーム、「ジョセフ」なら「セフ」とか、私であれば「名」の前半部分だけとか)で呼ぶように言われたこともあります。このケース(一般論としても)、日本では絶対にそんなことは出来ません・・・。つまり、社長や部長、その家族に向かって、敬称もなく、「花子」とか「太郎」と呼びかける、ということです。慣れるまでには、相当のためらいが・・・。

 Inti-solさんの記事に触発されて、上記のようなことを考え、思い出しました。
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●EM菌に感謝状

2011年01月11日 05時04分29秒 | Weblog


kikulogに載っていた記事の一部。『カルト資本主義』で指摘されている通り、まさにカルト化しています。様々な人に感謝状を出しているようですが、よりによって、とい感じ。いろいろな地域で、いろいろな人々が安易にEM団子などを適用しており、無駄というより環境を悪化する懸念もある。

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http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1293641866

宮崎県の口蹄疫対策でEMに農水大臣から感謝状

 宮崎県の口蹄疫騒ぎの際、比嘉さんが無責任にも「EMを使えば大丈夫」発言をしていたわけですが、あろうことかその件で農水大臣から感謝状が出たのだそうです。
 EM
のサイトで比嘉さん自身が書いています。


   http://www.ecopure.info/rensai/teruohiga/yumeniikiru40.html


 読んでまず驚かされるのはこれ


.....................
 
私はなぜ、「絶対に大丈夫」という発言をしたのか、ということです。
EM関係者の間では広く知れ渡っているように、EMは結界をつくる性質があります。畑の4隅に、EMセラミックスやEM1号の活性液をペットボトルに入れてつり下げておくと、カラスはまったく来なくなり、ヒヨドリ等もほとんど侵入しなくなります。同時に、その内側にある作物がいつの間にか安定的に生育するようになります。もちろん、4隅だけでなく、畑を囲むように4~5m間隔につり下げるとさらに効果的です。
 
畜産農家でEMを使い悪臭が外部に広がらなくなると、かって悪臭が感じられた範囲にEMのバリア(防護帯)が形成され、その中には口蹄疫のウイルスをはじめ鳥インフルエンザなどの有害な微生物の侵入をくい止める場が形成されます。EMを使っている農家は絶対に大丈夫と発言したのは、そのためです。
.......................


 うーん、ペットボトルにいれて吊り下げておくと結界ができるというのは、完全にオカルトの世界ですが、もし本当になんらかの効果があるのだとすると、中身はただの水でもいいのでしょう。猫よけにペットボトルというのは現代の迷信らしいのですが、カラス除けにCDを吊るすなんてのもあります。そのたぐいの効果はあるのかもしれません。EMが「場」を作るというくだりは、ニューエイジの典型的な説明を借りてきた感じです。
 
いや、笑っている場合ではなく、驚くべきなのは、これほど薄弱な根拠で口蹄疫対策ができると断言してしまったこと、そして、それを信じた人たちがいることです。これ、オカルトでしょう。というと、儀式の手順もなにもきちんと決まっていませんから、本当のオカルトの人には怒られそうですが。


 (中略)・・・・・・

[追記]
 
まあ、感謝状は結構たくさん出てるんだということではあると思います。ボランティアで協力したかたがたとか、さまざまな企業とか。そういう意味ではボランティア活動に対する感謝状なのでしょう。ただ、どんな感謝状であれ、このように利用される危険はいつだってあるわけですね
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●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(前半)

2011年01月10日 00時07分29秒 | Weblog

後半へのリンク

松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 扉の写真は、甲山事件裁判第一審完全無罪判決、日出生台ゲート前での米軍実弾砲撃訓練抗議など。

 「Ⅰ 反原発」、「Ⅱ 死刑と政治囚」、「Ⅲガサ入れ」、「Ⅳ 甲山事件」、「Ⅴ 日出生台」。
 解説は渡辺ひろ子さん、「一匹のアリとして」。
 新木安利さん、「勁草の人 『松下竜一未刊行著作集』編集後記」。全5巻に関する解説。

 少しくらい不便でも良いじゃない、原発なんて要らんよ。〈暗闇の思想〉(p.14、64、74、109)。「・・・電力が足りないのなら足りないで結構だ・・・。・・・それよりはきれいな自然環境の中に住みたいのだと全員が言いきるなら、・・・」(p.64)。非核平和館(p.74)。「〈暗闇の思想〉から十七年 脱原発―――原発社会の対極を考える」(p.107)。かつて、〈暗闇の思想〉を嘲笑した愚かな山本七平氏・・・、松下センセの「文章を読まずに一方的な解釈を下しているずさんさ・・・」(p.127)。
 四国電力による伊方原発(p.18、220)。「「辛酸入佳境(しんさんかきょうにいる)田中正造の言葉)」」(p.21)。センセ宅のガサ入れは、この原発反対運動支援に対する嫌がらせも含む。「・・・警察のやりかたはきたなすぎる。・・・くじけんでがんばれよ」/「・・・きたなすぎるという印象・・・」/「・・・やり方が露骨過ぎます」(p.219)など全国から激励が殺到。
 
中国電力の上関原発反対! 山口県上関町の祝島(p.146)。
 風船による死の灰実験! 鹿児島県川内原発(p.69、98)。「この風船が届くところには、確実に死の灰が届きます」(p.69)。風船は宮崎や熊本まで。「・・・原発反対者を一人一人生み出して行くのなら、・・・決して無意味ではないのだ。それこそが原発を撃つ風船爆弾ではないか。・・・。/・・・本来その苦悩は国民全部で担うべき苦悩のはずなのだ。/・・・原発現地の人々に押しつけて知らぬ顔をしているのだ・・・。まず彼らの苦悩を共有することからしか、本当の原発反対行動は始まらないだろう」(pp.70-71)。「実は核爆弾も原発も本質的には同じなんだということを、無残なまでに実証してしまったのがチェルノブイリ原発事故なのだ。核の平和利用などという幻想は一挙に吹き飛んでしまったと知らねばならない」(p.142)。
 大盛況の「非核平和館」(p.72)。当初、「非国民」(p.109、122)とまで呼ばれて、警察の嫌がらせとしてのガサ入れを受けるほどのセンセは、「・・・環境権裁判を戦う私は〝困った存在〟・・・。・・・〝過激派〟の烙印・・・。/・・・私が指摘していた通り、周防灘総合開発は中止となったし、強引に建設された火力発電所は早くも運転を中止するといった有様の中で、一貫して反開発の主張を曲げなかった私の頑固な姿勢が、ようやく評価されるに至った・・・。人々が高度経済成長の夢から醒めた・・・」(p.73)。 電力不足というペテンや恫喝と原発という壮大な無駄。「・・・もうこの発電所は操業を止めていた。・・・豊前火力は不要となったのだ。・・・。/・・・「・・・三十%以上が原子力にたよっています」という殺し文句は、豊前火力を見るだけでもペテンだとわかる。既存の火力や水力を動かさずに、原発を優先的に動かしているだけのことで、三十%という数字は作られた数字に過ぎないのだ。/・・・玄海原発一号機が・・・緊急停止したとき・・・九州電力は「既存の火力があるので大丈夫です」と表明している。/・・・。/つまり、信頼できない不安定な原発を動かしている以上は、いざというときにピンチヒッターとなる火力や水力は欠かせない予備軍という存在になる。これを逆にいえば、100万キロワットの原発を動かすには、予備軍として100万キロワット相当の火力や水力が確保されているということ・・・」(p.112)。原発が無いと明日にも電気が止まってしまうぞ、といわんばかりの「恫喝」(p.114)。
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●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)

2011年01月09日 00時05分31秒 | Weblog

前半へのリンク


松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』、11月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。2009年6月第1刷発行。

 『草の根通信』(p.78、159、223)。ガサ入れという警察の嫌がらせで購読者が減るどころか、ますます増加。警察は地団駄でしょうね。
 盟友得さん(p.82、148、219、297、310、324、373、387)。『明神の小さな海岸にて』、梶原和嘉子さんとの問答(p.297)。

 〝殺人〟は絶対に否定されなければならない・・・でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか、には耳を傾ける必要がある。『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』。東アジア反日武装戦線〈狼〉の大道寺将司さん(p.159、163、183、186、194、199、209、218、221,226、233、242)。
 
オウム・麻原氏に関する森達也さんの『A3』でも感じたこと。「・・・拒絶反応だと断じざるを得ない。/・・・私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」(p.160)。
 
反日集会での一人の若者からの質問に対して松下センセは、「・・・つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」(p.162)。「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」(p.2101)。
 
司法や警視庁の横暴。荒井まり子さんと田中伸尚さん(p.198、247、249)。田中さんも同件でガサ入れ、しかも、ガサ国賠裁判一審判決で不当な敗訴(p.237)。ガサ入れの無茶苦茶な令状を発布した裁判官を訴えた国賠訴訟に、「国家権力を相手の国賠裁判では、民を全面的に勝たせるほどに気骨のある裁判官はこの国の司法界には存在しないのだろう」(p.232)。「今回の一連の令状を出し続けているのが東京簡裁で、司法段階でのチェック機能が全く放棄されているとしか思えない。・・・東京簡裁の自省を求め、これ以上の令状乱発を阻みたいがためなのだ。/・・・。/『草の根通信』を受け取り拒否してきた人が一人、・・・いるが、逆に新規購読申し込みは・・・九十人にも達している。凄いとしかいいようのない勢いである。警視庁さん、くやしいでしょうな」(pp.222-223)。「・・・八年余の歳月を強いられたわけで、それ自体理不尽である。・・・/・・・。/・・・被告に二名の裁判官を特定した・・・。そもそも家宅捜査の令状を発布するのは裁判官なのだ。警視庁からの・・・令状請求を、裁判官がその段階できちんとチェックしていれば、百数十人にも及ぶ捜査令状は乱発されていなかったはずなのだ。/しかし一審を通じて、東京地裁はついに、令状を乱発した二人の裁判官を法廷に呼ばなかった。・・・。/・・・。/ちなみに、勝訴した私は十万円を貰ったかというと、それは貰えない。・・・賠償金の何倍もの出費を強いられるわけで、まことに国家権力に刃向かう民草の立つ瀬はないのである」(pp.238-239)。大赤字の勝訴(p.240)。「簡易裁判の(家宅捜査)令状請求に対する却下率は0.0六五九%、地方裁判所でも0.二七%という。・・・つまり警察の請求した令状を却下する数は限りなくゼロに近い・・・(しかも、ガサ裁判では令状を出した裁判官の罪は一切問われることはないままに終わった)」(p.253)。
 
田中伸尚さんらの控訴審で福島瑞穂弁護士からの要請で松下センセが意見陳述(p.245)。「大逆事件」、「横浜事件」(p.251)。
 
『腹腹時計』(p.218、225)。
 
在りし日の『朝日ジャーナル』に載った記事、「出かけようとして踏み込まれる側の論理」(pp.224-228)。伊方原発での出力調整実験反対運動に対する〝運動つぶし〟、「東京簡裁は司法サイドのチェック機能を全く放棄してしまっているとしか思えない」。
 
大道寺あや子さん、浴田由紀子さん、重信房子さん(p.234)。

 
『豆腐屋の四季』と〈いのちき〉(p.165、368)。緒形拳さん(p.171)。

 
大分県臼杵市の風成(かざなし)の漁村のお母さんたちの大阪セメントに対するすさまじい闘いを描いた『風成の女たち』(p.176)。そこで指摘された松下センセ自身の足元の問題が周防灘総合開発計画。

 ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(p.191、207、214、219、240、244)。『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』。
 『豆腐屋の四季』が取り持つ縁。鎌田俊彦さん(p.196)。

 完全無罪判決後も無謀な追及を続ける警察。記憶の闇、甲山事件と山田悦子さん(p.257)。伊藤ルイさん(p.265)。無謀な神戸地検(p.265)。浅野健一さん(p.266)。判決前に、冤罪被害者と確信しての『文藝』に一挙掲載された長編ノンフィクション『記憶の闇 ―――甲山事件[1974←1984]』(p.268)。

 
遺族には申しわけないが、暴走する検察審査会(p.270)。

 人殺しの練習(p.327)。日米合同軍事演習に凛と反対を唱える伊藤ルイさん(p.334、345)。
 井上澄夫さん(p.351)。
 下筌ダム反対闘争の鬼と化した室原知幸さんについての『砦に拠る』(p.365)。〝拠る(よる)〟とは、立て籠もること。
 アメリカ空軍の射撃場にされた「梅香里(メヒヤンリ)」(p.368)。
 福島菊次郎さん(p.378)。
 「・・・こうして通い続けることが私の答えなのだ・・・。/・・・風成の闘いの中で・・・。/・・・黙っているかぎりはその人は賛成にかぞえられているのだから、と」(p.383)。
 「・・・自衛隊が米軍とともに戦争をする軍隊へとさらに進むことを意味する。・・・「集団的自衛権」を否定した憲法に抵触するものであるとともに、そのようなかたちで自衛隊員らを、殺し殺される戦場に送り出すことを私たちは絶対に許すわけにはいかない」(p.396)。

 新木さんの解説から。「「疾風勁草」・・・。松下さんは激しい風の中でも、「強靭な意志」を峻立させて踏ん張った勁草であった。・・・負けても負けても闘い続ける草の根の一灯は、一隅を照らし、社会の木鐸となる。「斃(たお)れて止まざるは我道なり」と田中正造は言っている。・・・。/松下さんが増田宋太郎を描いた『疾風の人』は「疾風怒濤」という言葉からきていると思われるが、松下さんは「疾風勁草」の「勁草の人」である」(pp.422-423)。「・・・魯迅は「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となる」・・・。小田実さんは「環境」という言葉は、松下さんたちの努力・たたかいがあって社会に定着してきたのだと言っている」(pp.429-430)。

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●『創(2010年12月号)』読了

2011年01月08日 00時04分26秒 | Weblog

『創』(2010年12月号)、12月に読了。

 カラーグラビア「和歌山県太地町/イルカ漁をめぐる攻防/「ザ・コーヴ」上映後の地元には・・・」(p.18-19)。

 
特集「検察の犯罪とメディアの責任」。
 弘中惇一郎弁護士、「驚くべき取り調べの実態/今こそ全面可視化を」(pp.34-41)。「・・・取り調べ中に作ったメモはすべて廃棄した・・・」。「・・・特捜の捜査がとにかく杜撰・・・。・・・公判前整理手続きの段階で、石井一議員の調書がこの段階ではまだ存在していなかったのです」。
 江川紹子氏、「これは権力犯罪だという本質を見逃してはいけない」(pp.42-45)。
 三井環さん、「今こそ検察全体の責任を追及せねばならない」(pp.46-51)。「・・・この問題を検証する機関の座長に、千葉景子法務大臣が決まったようですね。でも千葉さんは現職の大臣のときに何をしましたか。・・・裏金問題について・・・従前の政権と同じ答弁ですからね。そういう人をよくも任命したなと思います。人選があまりにもおかしいですよ」。
 浅野健一さん、「朝日「検察の証拠改ざん」スクープを犯罪報道の転換へ」(pp.52-60)。「検察ファッショ状況にある中で、この記事は「すごいことで、本当に大特ダネ」・・・であり、見事な調査報道だ」。「―――FD改ざんをスクープした朝日新聞の板橋記者らについてどう思うか。/弘中 記者としてきちんと問題意識を持ち、自分の足で動いて徹底的に取材し報道する、あれが正しいジャーナリズムだ」。板橋洋佳記者。
 板橋洋佳記者インタビュー(聞き手/浅野健一さんら)、「FD改ざんを私たちはこうしてつきとめた」(pp.62-66)。
 矢崎泰久[元『話の特集』編集長]・上杉隆氏対談、「検察権力の威信失墜と共にメディアのあり方も問われている」(pp.68-77)。「起訴後有罪率99%という日本のシステムの異常」。「崩壊しつつある記者クラブを誰が壊すのか」、「矢崎 ・・・亡くなった元読売記者の本田靖春とか、・・・本多勝一らが中心になって、こちら側から廃止しない限りは、このシステムは無くならないと」。

 佐高信さん、「ニッポン文化低国を撃つ!/筆刀両断!/憲法改正を叫ぶ単純タカ派 塩野七生」(pp.78-79)。

 鈴木邦男さん、「言論の覚悟/怨み・憎しみ。そして赦し」(pp.80-83)。原田正治氏、『弟を殺した彼と、僕』(ポプラ社)。「・・・彼を赦(ゆる)したわけではない。しかし死刑にして問題が解決するわけではない。・・・そして何と死刑執行停止を求める上申書を裁判所に提出する。・・・しかし原田さんの「願い」は叶えられず死刑は執行される。虚脱感の中、死刑制度に関心を深め、死刑廃止運動にも関わるようになる」。死刑存置派に聞かせたい原田さんの言葉、〈単に「被害者遺族の気持ちを考えて死刑に賛成する」という声に、僕はさびしさや怖さを感じます。このような人は、僕のようなものを、/「家族を殺された彼らは、平穏に暮らす自分より気の毒でかわいそうな人」/と、一段下に見ていると感じます。その上、自分のことを偽善者よろしく、/「いわれなくても被害者遺族の気持ちを推し量ることができる自分は、人間らしい上のある者だ」/と、心のどこかで考えている気がします。被害者のことなど真剣に考えてはいないのです〉。鎌田慧さん財田川事件大道寺幸子基金。安田好弘弁護士。宇賀神寿一氏(東アジア反日武装戦線さそり」)。

 森達也さん「極私的メディア論/第56回 巨大メディアと記者の姿勢」(pp.88-91)。戦場写真家ジェームス・ナクトウェイ。「・・・アメリカがイラクに侵攻した大義は存在せず、イラク戦争は起こす理由のない戦争だったのだ」。「・・・かつて「自分は戦争を終わらせるために写真を撮る」とまで発言したナクトウェイは、「写真では戦争を終わらせることができない」と最近は語っているという。その真意と苦悩の言葉を聞きたい」。

 金平茂紀氏(TBS「報道特集」キャスター)、「衰退しつつあるメディア界に「蟻の一穴」を」(pp.108-113)。「今のテレビは劣化していないか」、「少数派になることを恐れず強大なものをチェックする」。

 本紙編集部、「民族排外主義とネット活用が特徴/右派陣営の新潮流/「在特会」拡大の背景」(pp.120-127)。

 「永六輔[放送タレント]×矢崎泰久[元『話の特集』編集長]のぢぢ放談/第17回 ノーベル賞なんて知らない!」(pp.130-137)。
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●FECにつながる「地給率」

2011年01月07日 00時11分59秒 | Weblog

THE JOURNALに出ていた山下惣一さんの記事をコピペさせてもらいました。飼料の輸入の話など、いろいろと勉強になりました。後半の「地給率」の話は、内橋克人さんのFECにつながるものと思いました。

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【http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/post_720.html】

山下惣一: 「自給率」より「地給率」── 私がアジアの農村で得た教訓

 国の食料自給率は、需要に対して国内生産で賄うことのできる割合のことで(自給率=国内生産量÷国内仕向量×100
)で算出される。数多くの食材を品目別に表示するのは不都合なため価値を統一して計算する。一般に使用されているのが「カロリーベース」と「金額ベース」である。
 40%と公表されているのはカロリーベースの自給率だ。ところがこれも必ずしも実態を示すとはいい難い面がある。日本の農業は穀物(主に飼料主体)を輸入して単価の高い果実や野菜類に特化しているため、サクランボ、イチゴ、ミニトマト等をいくら生産しても自給率には寄与しない。そのために日本農業の実力を過小評価しているとの批判から金額ベースの自給率も同時に示されることになった。これは(国内消費仕向額
÷
食料の国内生産額)で算出され平成20年度は65%となっている。
 しかし、これも誤解を招きやすい。カロリーベースで40%なのに金額ベースでは65%というのはいかにも日本の消費者が不当に高いものを買わされている印象を与えるからだ。ひとくちに自給率といっても一筋縄ではいかない。が、ともかくカロリーベースでは昭和40年の73%から50年には54%へ、そして現在40%。国民の6割が外国の食料で生きていることになる。生産農家からいえばその分職場を失った勘定である。
 十数年前、アイガモ交流のメンバーにくっついてベトナムへ行った。当時のベトナムの食料自給率は70%と公表されていた。ところが南のメコンデルタを除けばきわめて零細で1農家あたり20アール、30アールの規模なのだ。米の2期作でかろうじて食いつないでいる状態だった。それでも国民の7割が農民なら自給率は70%になる。
 次に大野和興さんに誘われて北朝鮮へ行った。「ちょっと国に残ってください」といわれるのが怖くて写真もメモも一切とらなかった。少し馴れてきたころ偉い人との会見があったので思い切って「共和国の食料自給率はいかほどですか?」と質問してみた。相手は笑って答えなかったがそばにいた通訳兼工作員が「100%に決まっているじゃありませんか」という。「へぇーそうなんですか」と言ったら「そうですよ。外国からは一切入ってきていないんだからすべて国内産ですよ」「なるほど。100%では餓死者が出るんですね」「そうです」 食料自給率が高いことがかならずしも国民の豊かさや幸せを意味するものでないことは事実だ。
 日本では国内農産物の値段が高く、その分消費者の家計負担が重く、食品加工業などの国際競争力の桎梏になっている等の経済界からの批判が強く、農政は「規模拡大」「コスト低減」「国際競争力の強化」の路線を推進してきた。周知のように日本は国土の7割近くが山で耕地は13%しかない。いかに無謀な政策であるかは小学生にもわかる道理だ。農業、農村の現状はその結果である。たとえば1ヘクタールの水田を耕作する農家が100戸あったものを1戸で100ヘクタール耕作したところで自給率が高まるわけがない。99戸の農家が駆逐されるだけだ。
 また、「規模拡大」「コスト低減」でもっとも成果をあげたのは採卵鶏をはじめとする畜産でこれらは農業から独立した「畜産業」となっている。飼料の自給率は24%である。自給率が高いのは酪農だが豚、ニワトリなどはほとんど輸入飼料に頼っており、豚肉の場合国内生産量は50%を維持しているが、国内飼料による生産はわずか5%だ。つまり、食料自給率を向上させようと国内産の豚肉や卵を食べるほど飼料の輸入が増えて逆に自給率が低下するという構造になっている。さらに集中化、大規模化が口蹄疫や鳥インフルエンザの被害を集中させ、対策としては外界との遮断、抗生物質等の多様が必須となり、生産する側も消費する側も文字通り「命がけ」である。
 私は以前から「自給率」ではなく「地給率」を提唱してきた。それぞれの地域で足元の地給率を高める方向で農業は考え直すべきだと主張してきた。これはアジアの農村を訪ねる旅で得た教訓でもある。アジアの村々を訪ねての農民同士の交流の中で、彼等がどのような農業を営み地域社会を作れば生き延びられるのか、それを考えることは、とりも直さず日本の百姓の来し方、行く末を考えることでもあったのだ。
 アジアの先頭に立って近代化を推進してきたこの国の農政はもはや破局であり、それがひとり農業だけの問題にとどまらないことは誰もが感じていることだろう。やがて市民皆農の時代がくる。
         (「アジア農民交流センター」会報(2010年10月号)より本人の許可を得て転載しました)

【プロフィール】山下惣一(やました・そういち)
 1936年佐賀県唐津市生まれ。
 農民作家。中学卒業後、家業の農業を継ぐ。
 生活者大学校」教頭、「農民連合九州」共同代表、「アジア農民交流センター」共同代表。1969年「海鳴り」で第13農民文学賞、1979年「減反神社」(1981年)で第7回地上文学賞を受賞。著書に「惣一じいちゃんの知っているかい? 農業のこと」「直売所だより」「安ければ、それでいいのか!?」など。

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●「死に神」どころか

2011年01月06日 05時02分40秒 | Weblog

『創』のウェッブページに出ていた篠田博之編集長の記事をコピペ。「死に神」どころか、鳩山邦夫法務大臣がここまでノウテンキだったとは・・・。被害者・被害者家族への思いなど何もなく、死刑執行への懊悩もなく、単なる思いつき!!、とは恐れ入る。

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http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2010/12/29-1.html

29日夜のTBS系番組での鳩山邦夫元法相の宮崎勤死刑執行についての放言
                                                                                   
 今朝の朝刊で一部新聞もフォローしているが、1229日夜のTBS系たけしの番組での鳩山邦夫元法相の死刑をめぐる発言には驚いた。番組自体は死刑制度の賛成反対両派3人ずつのディベートで、「テレビ討論では声のでかい者が勝つ」という定説通り、存置論の方が優勢に見えたのだが、それはともかく、驚いたのはVTR出演した鳩山元法相の放言だ。「本当なら30人~40人は執行したかった」などと言いたい放題だった。そのなかで「新事実」として明かしたのが、「宮崎勤死刑囚の執行は、凶悪事件なので自分の方から指示して検討させた」という発言だった。
 
2008年6月の宮崎死刑囚への執行は、私も驚いた。死刑確定から2年余という速さでの執行だったからだ。当時100人前後いた死刑囚のうちで、なぜ順番が繰り上がって彼の執行がなされたのか謎だった。再審請求の準備が動き出していたから、その機先を制して急きょ執行したのではないかとも言われたのだが、何のことはない。当時の法相の思いつきで決まったというわけだ。特に凶悪だからというが、鳩山元法相が他の死刑事件も含めて資料を精査してそう判断したわけでなく、ただ報道で知っていたからという程度のことのようだ。この宮崎死刑囚の執行によって、早期化に向けての大きなアピールがなされたのだが、いわば法相のパフォーマンスだったわけだ。
 
私は宮崎死刑囚と12年間つきあって、どちらかが死ぬまでつきあおうと決めてもいたので、その最期があんなに早く訪れたことに当時ショックを受けた(それについては当時出版したちくま新書『ドキュメント死刑囚』に書いた)。まだほとんど事件そのものが解明されておらず、宮崎死刑囚の心情を少しずつ聞きだしていた私には、「今執行することに何の意味があるのか」と当時憤りを覚えたのだが、その理由がこんなに軽いものだったとはこの鳩山という人には、他人に死を強いることに伴うべき苦渋も苦悩も感じられない
 
死刑に向き合おうとしていないように見えた宮崎死刑囚だが、確定後はさすがに幾分か身近に死を意識するようになったようで、私への手紙にも死刑について言及することが多くなった。そして自ら、多くの弁護士に再審請求を頼めないかと手紙を出していた。さらに、私は、執行後、宮崎死刑囚が遺書のようなものを残していたことを知ってさらに驚いた。面会していても全く表情を変えず、死の恐怖など感じないかのような印象の強い宮崎死刑囚だったが、死刑については本などを読んでいたから、執行の状況も、そして自分の順番がどのくらいかもある程度知っていたと思う。だから逆に、思いがけない早期執行に、宣告された瞬間、驚愕したはずだ。
 
執行翌日に宮崎死刑囚の母親から電話をもらい、「長い間お世話になりました」と言われた。その時母親と交わした会話を、先日も『週刊新潮』記者から電話があって少し話したら、何やら違うニュアンスで記事にされたのだが(匿名の知人になっていたが)、宮崎死刑囚の関係者にとっては、この事件及び本人の存在はいまだに重たい影を残したままだ。鳩山元法相の軽い発言を聞いていて思うのは、法相という死刑執行を決定する立場にある者は、執行に立ち会うなり、死刑囚と向き合うなりしてもう少しその重さを感じてもらいたいということだ。そのうえで、「だが法にのっとって自分は執行命令を出す」というなら理解もできるが、昨夜の元法相の発言には改めて落胆した。

 
それと話は違うが、TBSの番組がVTRの中で宮崎勤死刑囚が著書『夢のなか』に載せた自筆のネズミ人間のイラストを出典も明記せず、無断で使用していたのにも驚いた。私が担当編集者として著作権についても管理を任されていたから、たぶん了解を求められれば、「出典を明記すればいいですよ」と言ったと思うが、連絡もしてこなかった。ちょっとひどすぎると思う。
 
ちなみに宮崎死刑囚はそのあたりについては細かい人物で、例えば佐木隆三さんも朝日新聞社から宮崎事件の傍聴記を出す時、イラストを転載させてほしいと言ってきたのだが、宮崎本人に確認したら「断る」と言ってきた。佐木さんが、宮崎死刑囚については詐病説をとっていたから、本人は反発していたのだろう。宮崎勤という人物は、何も考えない人間だと世間から思われているが、実はそうでもない。彼について論者が論評した記事なども、きちんと読んでいたのである。
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●貧困〝ビジネス〟

2011年01月05日 05時03分27秒 | Weblog

CMLの記事に、NHKのETV特集の紹介がありました。「大阪の不動産業者が全国各地で路上生活者を集め、大阪に連れてきて生活保護を受給させアパートに住まわせることで、空き部屋を埋め家賃収入を確保するという新たな動き」って、酷い話です。人の弱みにつけ込み、なんでもビジネスとやらに結びつけ、恥ずかしくないのでしょうか? 小泉氏や学者大臣先生前後あたりからの流れでしょうかね。教育〝産業〟とか、シルバー〝産業〟などと同じで、虫唾が走る。「民間企業のノウハウ」っていうのも気になる言葉。いわゆる民営化私企業化を連想させて。現政権も、企業減税なんてやる前にやることあるでしょうに。

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http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html

12月26日(日)放送


大阪“非常事態”宣言 ~生活保護・受給者激増の波紋~

 
最後のセーフティネットと言われる 「生活保護」 をめぐって異変が起きている。ここ数年で受給世帯が激増し、いまや全国135万世帯187万人。受給者数は1990年代半ばの倍を超え、膨れ上がる生活保護費は国や地方自治体の財政を直撃している。なかでも最も深刻なのが大阪市で、受給者人口136600人。この数字は市民の20人に1人が生活保護を受けていることを意味する。22年度に計上した生活保護費は2863億円。市税収入の半分に相当する額で、このまま受給者が増え続ければ財政がたちゆかなくなるのは明らかである。
 
危機感を抱いた平松邦夫市長は、去年秋、市役所に「生活保護行政特別調査プロジェクトチーム」を起ち上げ、激増の実態と背景の解明を急いできた。現在は患者のほぼ全員が生活保護受給者である市内16医療機関に対する調査を行うなど、医療と「貧困ビジネス」との結びつきにメスを入れようとしている。また、大阪の不動産業者が全国各地で路上生活者を集め、大阪に連れてきて生活保護を受給させアパートに住まわせることで、空き部屋を埋め家賃収入を確保するという新たな動きも明らかになってきた。
 
一方、民間企業のノウハウを導入して、受給者に履歴書の書き方や面接の受け方から指導するなど就労支援にも力を入れているが、低迷する経済情勢のなか受給者の再就職は困難を極め、ようやく就職できても生活保護を廃止できるほどの収入にはならないケースが大半である。税金をつぎ込んでようやく自立(保護の廃止)までこぎつけても、失業や派遣切りによってその何倍もの人数が新たに生活保護に落ちてくるといういたちごっこなのである。
 
不況が最も深刻な大阪で起きたことは、やがて全国で起きると言われる。番組は苦悩する大阪市の生活保護行政最前線に密着取材、「セーフティネットの最後の一枚が破綻しつつある現実を描き出す。
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●最後の切り札だってさ!?

2011年01月04日 00時02分53秒 | Weblog

ashahi.comの記事をコピペ。「最後の切り札」だってさ。都知事もお好きでしたね、そういえば。「熱上げる」のは、こんな方向でいいのでしょうか? 「全国民を勝負師に」でっすって。「観念的に、いい子ちゃん」と言われてる大阪人は・・・。

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http://www.asahi.com/politics/update/1223/OSK201012230089.html
 

カジノ誘致、利益か弊害か 熱上げる橋下知事に慎重論も
                                          201012232211

【マカオ=宮崎勇作】大阪府の橋下徹知事は22日夜から23日未明にかけ、訪問先のマカオでカジノを核とするリゾート施設を視察した。知事はこれまでも「カジノは(自治体が)稼ぐエンジン」と経済効果を強調しており、大阪に誘致しようと熱を上げる。だが、カジノを合法化する法案が成立する見通しは薄いうえ、「ギャンブル」の弊害を心配する周辺首長からの慎重論も根強い。
 テーブルゲーム220台、スロット380台を備えるカジノ場。午前0時を過ぎても多くの人がバカラなどを楽しむ様子や、従業員でごった返す食堂を見て歩いた後、橋下知事は興奮気味に語った。

   
 「日本再生の切り札じゃないか。カジノ、これしかない。停滞する日本経済に明らかに
     効果が見込める観光施設を否定するのは間違いだ」

 マカオは11年前にポルトガルから中国に返還され、外交などを除き自治を認められた特別行政区。現在30を超えるカジノがあり、歳入の7割をカジノからの税収が占めるという世界最大級のカジノ都市だ。
 橋下知事は、米ラスベガスに本社を置く会社が4年前に開き、7500人が働くリゾート施設を視察。カジノの経験がないという知事は、従業員らに「子どもと一緒に来た人はどうするのか」と質問を浴びせた。富裕層を狙ったスイートのみ600室のホテルやレストランも見学し、施設の責任者に「(カジノを合法化する)法律ができたら、ぜひ大阪へ」とPRした。
 視察後、報道陣に「ここは大人が楽しめる一級のリゾート。これ以上の経済対策はない」と強調。「7500人の雇用に感動した。(税収を)福祉、医療、教育の財源確保に使い、地域経済の活性化につながると打ち出せば、国民の圧倒的多数には納得してもらえる」と、持論のカジノの「効用」を繰り返した。
 「小さい頃からギャンブルを積み重ね、全国民を勝負師に」という発言が批判されたこともあるが、この日も知事はカジノで一般客が5千円程度から遊べると聞き、「ゲームセンターへ行ってもみんなそれくらい使っている。反対する人は観念的に、いい子ちゃんになって言っているとしか思えない」と語った。

    ◇

 橋下知事のカジノ誘致論には、関西の首長の間でも意見が割れる。京都府の山田啓二知事は「関西広域連合としてカジノをつくり、利益が関西全体の発展につながれば」と橋下知事を側面支援する。
 一方、関西広域連合長を務める兵庫県の井戸敏三知事は「日本はパチンコを含め、相当なギャンブル王国魅力にのめり込み、生活を壊すケースも考えられる」と、カジノ実現には反対する姿勢だ。
 「大阪都構想」をめぐって橋下知事と対立する大阪市の平松邦夫市長は「まだ法整備もされていない。もっと時間をかけて検討すべきだ」と主張する。米国のカジノに何度か行った経験を踏まえ、「カジノのおもしろさはライブのエンターテインメント。負の側面を埋めて、さらにカバーする(メリットが上回る)形でないと。知事が(勝負師発言など)昔のギャンブルのような過激な表現をしていたら、本当につくりたくてもつくれない」とクギを刺す。

    ◇

 橋下知事は昨年9月、大阪湾岸部へのカジノ誘致を打ち上げた。今年3月に限られた域内でカジノを認める「カジノ特区」案を政府に申請したが、6月に「特定地域での特例は不可」と却下された。
 それでも知事は7月、府に有識者による検討会を設け、カジノ先進国を参考に、依存症や犯罪の防止、青少年や地域環境への対策などを検討中だ。大阪府以外でも、神奈川県の松沢成文知事、千葉県の森田健作知事らがカジノ誘致に取り組んでいる。
 こうした自治体の動きを受け、国内では禁じられているカジノを合法化しようと、超党派の国会議員が今春、議員連盟(カジノ議連)を設立した。議連によると自治体や民間団体などの誘致活動は約20カ所に上るといい、特別法制定に向け来年の通常国会での法案提出を目指している。
 しかし、カジノ合法化へのハードルは高い。超党派で法案を出したとしても、各党内に慎重論を抱えるうえ、ねじれ国会の中で成立にこぎつけられる見通しは立たない。
 こうした状況に、橋下知事は不満を隠さない。マカオでの視察後も「国会議員が腹をくくれないのは、選挙が気になり、声の大きい反対論に振り回されているからだ」とまくし立てた。
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●自分で自分の首絞めてる人々

2011年01月03日 11時51分53秒 | Weblog

表題の人々とは、(表現者だったらしい)首長、(マスコミ屋・ジャーナリスト屋)読売新聞・産経新聞です。THE JOURNALに載っていた『創』 篠田博之編集長の記事をコピペさせてもらいました。「非実在青少年」の件です。単純な話だと思うのですが、なぜこうなるんでしょうかね? 篠田さんの最後から3番目のパラグラフの事柄だけでしょうに。表現者自らが推し進め、ジャーナリストが後押しするという救いようのない状態。(どう贔屓目に見ても決して表現者ではないし、自身でそうではなくなったと思っているのであろう)この首長を表現者などと呼びたくもないが、皆で自分の首絞めてどうすんだ?

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2010/12/1215.html


篠田博之の「メディアウォッチ」

1215日、性表現規制強化の都条例改定案が可決成立してしまいました。

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月末に東京都議会に提出された性表現規制強化の都条例改定案ですが、1213日の都議会総務委員会、15日の本会議と、あっという間に改定案成立まで突き進んでしまいました。
 この間、反対運動も盛り上がりました。前回春に反対声明を出している日本ペンクラブを始め多くの団体が改めて反対を表明しました。中野で開催された6日の集会は会場に入れない人が多数出るなど千人を超える規模となったのみならず、会場には漫画家はもちろん国会議員や都議会議員も参集。「春の段階では反対しながら今回はこの時点で賛成に傾いていた民主党都議からは、今回は賛成に回らざるをえない、などと率直な発言も。改定反対集会に参加してこの発言をするというのも異例のことですが、会場からは野次を飛ばすでもなく、みんな真剣に聞き入っていました。何せ、都議会の力関係が刻一刻と変化していくという流れに、誰もがこれからどうなるのか、と見守っているという切迫した状況。会場にも緊張感がみなぎっていました。
 その後、大きなニュースになったのが、石原都知事が実行委員長を務める東京国際アニメフェアに、マンガを発行している大手出版社で構成するコミック10社会がボイコットを表明したことでした。最初にその態度を表明した角川書店を始め、集英社、講談社、小学館など漫画出版界を代表する会社によるこの反対行動のアピール度は大きなものでした。新聞報道もこの前後から一気に大きな扱いになりました。その中で、紙面で読売・産経が規制は必要だとのキャンペーンを展開するなど、報道機関も二分されました。
 そして改定案が可決成立してからも、出版労連や劇作家協会などが抗議声明を発表するなど、動きは続いています。
 何といっても残念なのは、春には少なくとも3カ月様々な議論が行われ、結局否決された改定が、今回2週間ほどで成立してしまったことです。提出前に民主党への根回しが行われていたとも言われていますが、あっという間に通ってしまったという印象です。反対運動が拡大しないうちに短期決戦で可決をという戦略は明らかでした。表現に関する大事な問題をこんなふうに片づけてしまってよいのかと思います。
 表現に関わる人たちの間では改定が誤りなのは自明という雰囲気でしたが、考えてみるべきことは、一部PTAなど規制推進の人たちも同時期、陳情に動いていたことです。
 私も東京新聞でもこの問題について書いたりしましたが、翌日、それを読んだ母親らしい女性が反論の電話をかけてきました。本当は表現の自由を主張する側と、子どもを守るために規制は必要だと主張する側とで、もう少しきちんとした議論が行われるべきなのですが、それは今回皆無でした。
 私が今回の改定に反対したのは、表現に関わる社会的ルール作りが必要だとしても、それは行政や警察の介入を可能な限り少なくする形で行うべきだという理由からでした。お上からの規制という点では、現行条例で十分です。
 今回、見直したのは角川書店など大手出版社が石原知事という権力に明らかな形で叛旗を翻したことでした。これだけ鮮明にお上にたてつくということを大手マスコミはあまりしないという印象を持っていたものですから。
 表現規制をめぐる問題、これで終わったわけではなく、大阪など他の条例改定の動きもあるし、国レベルでの児童ポルノ法をめぐる動きもあります。やるべき議論もせずに議会の多数派工作で物事が決まっていくというあり方はやめるべきだと思います。
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●事件の歴史を問い直す: 『A3』

2011年01月02日 14時38分34秒 | Weblog

THE JOURNAL記事のコピペ。森達也さんの映画『A』『A2』に続き、いつか必ずと言っておられた『A3』が本の形で。

 
これまた入手済みながら、まだ未読。

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http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/12/post_718.html

森達也×二木啓孝:捏造されたオウム真理教事件の歴史を問い直す

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あなたに知ってほしい。
立ち止まって振り返ってほしい。
ここまでの足跡を確認してほしい。
目を凝らせばきっと見えてくるはずだ。
そして思い出してほしい。考えてほしい。
あの事件はなぜ、どのように起きたのか。
彼と事件によって、この社会はどのように変わったのか。
現在はどのように変わりつつあるのか。
彼とはいったい、何ものであったのか。
何を思い、何を願い、何をしようとしていたのか・・・。(本文より抜粋)
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 地下鉄サリン事件から15年、日本中を震撼させたオウム真理教による一連の事件とは何だったのか──

 ドキュメンタリー映画『A』『A2』でオウム真理教の内側に深く入り込み、信者と日本社会の本質に迫ってきた森達也さんが、11月にその続編となるA3』(集英社インターナショナル)を刊行した。
 17日には、事件当時に記者として活躍した二木啓孝さんとトークイベントを開き、集まった約70人の聴衆を前にオウム真理教の本当の姿や麻原彰晃裁判の問題点、そしてメディア報道のあり方まで語った。
 二木さんはオウム真理教の一連の事件について、「麻原彰晃がすべてを指示していた」とするこれまでの一面的な報道を批判。森さんは「これほどあからさまな歴史の捏造がなされてしまって、その結果日本の社会が変わってしまった。それを変えたい」と、この本を執筆した思いを語った。
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