アルパインクラブ モルゲンロート

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南ア 便ヶ島から聖岳(2015.9.19~21)

2015-10-01 06:51:56 | 会山行(2015~2022年度)

僕には、便ヶ島から出だしのトロッコ鉄道跡の平坦ルートが一番恐かったのが今回の山行だった。登山口を登りトンネルを抜けると、右下の遠山川へは70~80mの切れ落ちた崖が続き、所々の土砂崩れにより狭い道を更に狭くしている。なるべく右下を見ないように前だけを前の人の靴を見ながら進んで行き、暫らくすると渡渉用のゴンドラを引っ張るロープウェイが待っている。左に下って行くと普段は橋も掛かっている筈だが、前日までの雨による増水で外れている。前の組がロープウェイをもたもたと進んでいる。この場を早く渡り切りたく、ロープを引っ張るのを手伝って、我々も渡り終えるのに15分くらい要す。
 暫し休憩の後、ここ渡渉地点から廃屋を過ぎると急登が続く。1100m地点から1500m地点までを、16分/100mと云う快調なペースで登るも途中で足攣りもありペースダウンする。苔むした緑の樹林帯を休み休み進んで行く。多くの倒木に付いた苔やシラビソの樹林が迎えてくれ、樹林帯から漸く抜け出し視界が広がる先が薊畑の分岐。下方には木道で守られた聖平の草原が広がっている、そして左奥が今日の露営地だ。もう色とりどりのテントが在る。
 未明頃か、皆が寝静まったなか川のザーザーと云う音が耳に付くも、割と広めのスペースでぐっすりと寝ることができた。
 翌朝(20日)、出発の準備を整え聖平小屋前に行くと、管理人が下方の幕営地に居る人に向かって大きな声で何か云っている。便ヶ島からの帰りの道が崩落し、通行止めで復旧は2~3日は掛かるかも知れないとのこと。帰りの心配もあるが、多分皆の頭の中もこれから登る聖岳のことしか無いと思う。今は余り気にすることもなく、聖岳に向かう。

 分岐点の薊畑に再び着くと、ここにリュックを置く。空身だけあって、小聖岳まで40分で着く。ここから一旦下り、左側に深く崩れ落ちた尾根を伝って行く。
途中、水のゴーゴーと云う音が聞こえる。こんな高い山(2600~2700m)の中でもこの山域は水が豊富だ。ここだけでなく、廻りを遠くの方に目を向けて見ていても、白い筋状の水が至るところで沢伝いに流れ落ちている。聖岳までの稜線を見上げると、頂上まで高さは200~300mはあろうかと云う登り道を30~40人くらいの人達が小さく点々と続いている。

 ザレ道をジグザグと漸く登り終えると目の前は一気に360度の展望、「日本アルプス最南の3000m峰」の聖岳頂上だ。広い山頂には50~60名の人達が思い思いに佇んでいる。兎岳、大沢岳、塩見岳、赤石岳、荒川岳、笊ヶ岳と布引山に富士山そして上河内岳に雲が掛かった光岳などをしっかりと記憶の中に焼き付けて置く様に見ていると、もうすぐにでも行きたくなる様な気持ちに引き攣られ、来年は赤石岳~荒川岳だとの声が上がる。
 帰りは坦々と下る。羊歯や苔の緑の世界が再び向かえてくれる。ヒヤッとしたのはトラバース道で1人転倒したことだ。そこは危険箇所なのか、丁度転落防止ネットがあり助かった、お蔭で20~30mの滑落を免れたことになる。
 さて、便ヶ島からの帰り道だが、今日(20日)夕方から通行できるよう仮設道路を整備していると云う。だけど、もう予定より遅くなったので、便ヶ島でもう一泊することになった。翌朝(21日)、仮設道路の通行開始の8:00前に一番に乗り込む。規制された市道出口には、市の職員とTV信州の人達。TV信州の記者から運転席のTさんが代表して、孤立して困っていなかったのか等と、車の窓越しに数分のインタビューを受ける。
 色々とハプニングのあった今回の山行、至るところにある豊富な沢水の流れ落ちる白と、苔の緑に赤い石、そして空の青と自然がもたらす色が心に残る南アルプス聖岳であった。
メンバー:荒、井、會、北、田、河(記)


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