Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

上林暁

2022-05-25 08:08:37 | 読書
 上林暁「聖ヨハネ病院にて 大懺悔」講談社 (文芸文庫 2010/11)

この「私小説」作家の名を聞いたのは高校時代.この頃よく高校時代に聞いたことを思い出すが,もっぱら国語と英語であって,退職時は物理の教師だったのに,理科系は授業も先生も思い出さない.
国語の先生は若くて,当時上林も流行作家と言って良いかもしれない.終戦直後 1946 年には2冊,1947 年には5冊を刊行しているのだ.しかも以下に書くように,面白い小説ではない.世相と作風が共鳴したのだろうか.
上林が当時の大学入試に出るとも思えない.現代国語の授業は,先生が好き勝手なことを言っていればいいと言う時代で,好き勝手だったからこそ こちらの心に響くものがあったのだろう.

Amazon の紹介*****
半身不随の病苦の中で一字一字刻みつけた魂の言葉。「私小説」の佳品10篇
文学への純粋な情熱を胸底に78年の生涯を私小説一筋に生きた上林暁。脳溢血で半身不随、言語障害を患った晩年も、左手と口述で一字一句、彫心鏤骨の作品を生みつづけた。川端康成に賞賛された出世作「薔薇盗人」、心を病む妻を看取った痛切な体験を曇りない目で描く「聖ヨハネ病院にて」、生と死のあわいを辿る幻想譚「白い屋形船」(読売文学賞)等、人生の苦悩の底から清冽な魂の言葉を響かせる珠玉短篇集。*****

この紹介文には意義あり.「私小説」の佳品10篇とあるが,初期の「薔薇盗人」は私小説ではない.「聖ヨハネ病院にて」では妻を看取ってはいない.

巻末の年表によれば「聖ヨハネ病院にて」は 1945 年 9-11 月,43 歳のときのこと.ほとんど食うや食わずの時代を病室に寝泊まりして妻を監護する.
夫婦生活,というよりも,人生では期待と諦めの比率が年歳とともに変化していく.この小説での夫婦の間にあるのは諦めばかり.われわれ 80 台と 70 台の場合と似ている.それでもたまには つかのまの諦め満足を感じられるのが救いだ.最後は (看取るのではなく) 犬が引くリアカーで転院する.

「大懺悔」は山田という仏教の伝道師が主人公の毛色の変わった作品.青山光二だったら長編にするところだろう.著者とは熊本五高・東大で交渉があったらしい.その時代の描写が生き生きとしているのが,主人公の晩年は書き込まれていないと感じた.

私小説は私生活を暴露することで成り立つ.「聖ヨハネ病院にて」では目が見えない病妻に「 (私のことを) 書いて発表するんでしょう」と看破される.「姫鏡台」ではモデル問題がもっとストレート.オールドミスの妹をテーマにする原稿を締め切り間際に本人に見られてしまう.本当にあったことかどうかわからないが,多少はハッピーエンドらしくもある短編にしたててしまうあたり,著者は職人的私小説家 ?

半身不随・言語障害を患った晩年の,「白い屋形船」「上野桜木町」「ブロンズの首」にはこれといったストーリーがなく,頼りない.著者も頼りないことを自覚しているらしいのが味わいになっている.

図書館で借用.


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