─光る波の間─

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Part2 イ・ブル×名和晃平トークセッション/『イ・ブル-私からあなたへ、私たちだけに-』展

2012-03-24 00:09:06 | 名和晃平( KOHEI NAWA )

>>Part1から続き

トークは、14:00から16:00までという長い時間での開催。

まずイ・ブルさんのプレゼンからスタート。一番前に座ったものでときどき見つめ合ってしまいました(笑
「私は自分の認識が覆ることを恐れていない。今話していることも明日には変わっているかもしれない。」
「作品と芸術家自身(創る側としての自分)はできれば切り離したい、そうすべきと思っている。
 鑑賞の妨げとならないように、アーティストの名を消したいと思うことがある。」
「芸術家として、人として、生きることという2つの穴に足を突っ込んだ。私は何をするのか、
 どうして生きるのか。これは、芸術家としてのことだけを述べているわけではないし、
 すべての人々の問題だ。」

同時通訳はかなり素晴らしかったのですが、イ・ブルさんのお顔を見つめてしまうと、
韓国語の音の方がどうしても聞こえてしまうので、かなり大雑把になってしまいました。
大意は合っていると思います。
Part1にも彼女の発言を載せているので合わせて読んでもらえれば。

次に名和晃平さん。
画像を見せながら論理的に説明していく、「学会発表のような」と形容されるいつものスタイル。
作品の作り方について、
「1つ作っていると別のアイデアが出てくる。出てきたら試したい。試しているとまた
 別のアイデアが出てくる・・というふうに繰り返していく。
 この、循環・ループしていく作り方が自分に合っているということを発見した。
 なぜこういうやり方がいいのか、自分でもまだわかっていない。」
ここではイ・ブルさんの”直線的に作品が進化していくイメージ”と比較していました。

ふと、たしか小谷元彦さんは真ん中に「彫刻(の概念)」があって、
放射状に作品・シリーズが伸びてると仰っていたような…と思い出しました。
図形で表現される制作スタイル・・並べてイメージするとおもしろいです。

名和さんの現在の作品は、イ・ブルさんとは対照的に、”パーソナルな物語や感情を排除する”
という考えがベース。講演やインタビューでもそれを説明されることが多いようですが、
今回は驚いたことに、学生時代のまさに”自分の物語”を表現した作品群を題材にされました。
作品が移り変わっていく経緯は、雑誌インタビュー等で触れてはいたはずですが、
実際にご自身により語られると腑に落ちる度合いが全く違いました。

お一人ずつのプレゼンが終了し、後半はキュレーターの片岡真実さんが進行役でのトークセッション。
素材を研究して実験を重ね、素材の振舞いから作品が生まれることも多いという名和さんに対し、
素材そのものから作品が生まれることはなく、イメージを作り上げることがまず最初にあり、
それに合う素材を求めるイ・ブルさん。
徹底してパーソナルであり、自分を取り巻く歴史や環境・社会の問題を取り上げずに創造はできない
とするイ・ブルさんに対して、個人的な感情や物語は削り落とし、現代における寺院の役割を
果たすような、神聖なるものへ「接続」する入口を創りたいという名和さん。
更にそれは創った自分自身も、その前に行くと「接続」できるというものでありたいと。
(「神聖」と言語化してしまうとあまりにも意味を狭めていると感じますが、他に適切な言葉が
 見つかりません。名和さんも少し言葉に迷われているように見えました)

イ・ブルさんは、「私が離れたくても離れられない、逃れられない”罪の意識”から自由である名和さんが
羨ましい」との発言がありました。最初にプレゼンで仰ったことと、ここで繋がります。
”罪の意識”とは何に対してのかという質問も後でなされましたが、「わからない」という答えでした。

名和さんの方は、彼女の作品のうち、最新作を観たときに強い刺激を受けたそうです。
今後の行き方を考えた時、自身が為すべきこととして、
「いずれもう一度、パーソナルな表現をやるだろう。やらなくちゃならない」という予感があり、
そこで犬が嘔吐しているカタチである作品「秘密を共有するもの」を観た時に、
飼っていた犬の死とそこから生まれた初期のパーソナルな作品が重なりあったというお話でした。
つまり、パーソナルな作品に再び取り組むということが強く方向付けされて、明確に宣言されるに
至ったということになったようです。これは聴いていて非常に興奮するものでした。

そして、お互いに相手の行動力が羨ましいと発言したのには、なんだか微笑んでしまいました。
私はお二人とも羨ましいです笑

さて、Part1の最初に述べた「モンスター」たちの件。
タコのようにうねうねと触手のようなモノが伸びる不可解な姿のモンスター。
これを観た瞬間、「こんなところに”いた”!」と、その”再会”に驚いたんです。
私が子供の頃に繰り返し見た夢の1つに登場していたワケのわからない、モノ。
それが現実に塊となってここにある!驚き以外のなにものでもなかった。

不思議なことに、子供の頃はあれほど怖かったのに、”再会”した時は嬉しいなどとも思ってしまった笑
その夢は、もう少し無彩色な感じで、もっと巨大で千切れ千切れしながら西の空からやって来る
それが、ゆっくりと家の中を通り抜けて行くというもので、私以外の人には見えていないので
ドキドキしながら怖さをこらえて様子を見つめているというものでした。

それで私はどうしても気になって、最後に質問させていただきました。
イ・ブルさんのモンスターは、彼女の中にある「恐怖」をイメージとして創り上げたものだとのこと。
最初に夢やイメージがあったのではなく、「恐怖」を形にしようとしたそうです。
私はかえってこの答えに納得しました。
というのも、子供のころはそれに名前を付けることができなかったけれども、
オトナになって分析してみたとき、やはり「恐怖」や「強迫観念」がああいう形になったのだと
結論づけていたし、最も相応しいものとして、「魑魅魍魎」と表現していたから。

トーク終了後にもう一度、今度は入り口に向かって逆行しながら作品鑑賞。
なんとも、晴れ晴れとした気分に浸りながら。
『イ・ブル-私からあなたへ、私たちだけに-』展は森美術館で、5月27日まで開催。
下階の『ワンピース展』が気になる方が多いだろうとは思いますが、ぜひもう1階上がって
見て欲しいと思う、ステキな展覧会でした。

展覧会サイト→ http://www.mori.art.museum/contents/leebul/index.html


(イ・ブル展カタログ表紙/カタログは全国の書店でも購入できます)


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