─光る波の間─

現在ほぼツイッターまとめ投稿。アート(名和晃平、奈良美智他)映画・音楽・食べ物(日々のご飯)・雑貨etc...

Pulse ─ つながる

2012-03-31 09:53:49 | 名和晃平( KOHEI NAWA )

なんのきっかけで浮かんできたのかわからないけど、ふと、
人と近づいたり離れたり、つながったり離れたりって、そういうのはたぶん
縁が紐のようにより合うというより、リズムが一致する瞬間瞬間が連なって、
線のように見えてるってことじゃないかなって思った。

ずーっとつながっていると思うのは願望でしかないような気がして、
人々が(私も)夢見るような”つながった/つながっている”を実感しているには、
それを事実とするためには、その間中”私は◯◯とつながっている”という思いを
発信し続けてなくちゃいけないんじゃないだろうか。
それこそ、24時間- 86400秒絶え間なく。。。

「深いところで皆つながっているんだよ」それは知ってる。それはそれ。

だから、じゃあ誰かや何かと”接触”するときっていうのは、何が働いてるんだろう?
そう思ったら見えたのは、”-・・-・ 信号を打っている ・--・・・-”というイメージだ。
変光星/パルサーのように、強くなったり弱くなったり、
強く連続して打ってるときもあれば、弱く間が開いた信号なこともある。
意志が必要だけれども、意志だけでコントロールはできない信号。

パルスを打つもの同士の、刻むリズムのタイミングが重なる/共鳴した瞬間が、つながった瞬間。
ランダムに見えた律動が、一致して刻まれる時間。
だから、より”数多く”その瞬間を持ち続けられる可能性を持つ人と出会えることは、貴い。
でも、それに執着はしちゃいけないんだろう。とも思う。



ところで、”パルス”っていえば……。 
DOVERSTREETMARKET・GINZA の1Fから6Fまで貫かれた、名和晃平さんの作品のタイトルだ。。
あの「Pulse」にこの考えを重ねると、あの空間に見出せる意味も自分なりの捉え方ができる。
そこに居る人々、通りすぎる人々、様々なアイテム、建物自体などが発信するパルス/各々が刻む律動 が
あちこちで一致したりバラバラになったり、つながったり離れたり…
そういう邂逅の場と時間を象徴しているように見えてきた。

それと、"アートは間に在るもの”という考えが元からあった。
人と人、人と人ならぬもの、人ともの、ものともの、この領域とその領域、その分野とあの分野…
アートはアートとしてそこにあるけども、遠くと遠くをいとも簡単に融合させることができるものでもある。
また訪れる機会があったら、前とは違う気持ちで見つめることができるかも。
…と言っても、現実的には商業空間なので、服じゃなくてエスカレーターの方ばかり見ている客がいたら
キモチワルイでしょうけどね(笑)販売員してたこともあるので、そっちの気持ちもわかる。



*


最新の画像もっと見る

コメントを投稿