─光る波の間─

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Part1 『イ・ブル-私からあなたへ、私たちだけに-』展

2012-03-22 22:28:49 | 名和晃平( KOHEI NAWA )

 

─ …依然として「人間とは何か」「なぜ私たちは生きていくのか」という問いは
  やはり自分の中に残ったと思います。─ (PUBLIC IMAGE ORGインタビュー)

入場して最初に出会うのはモンスターたち。
これらのおかげで、私はイ・ブルの世界にガシッと捕まえられることになり、
スムーズに鑑賞することができたのだと思うのです。「なぜ?」・・そのわけは後ほど。

会場はいくつかのセクションに分けられています。
作品の多くが吊るされているのだけれど、サイボーグなどは人の出入りによる空気の動きに反応して、
ゆらりゆらりと揺れるのが、私たちと呼応しているようで、固定された作品とは違って、
互いの影響が目に見えるのがとてもおもしろかった。

スタジオを再現したセクションでは、たくさんのアイデア、試作品が並び、
それらが展示作品へと繋がっていく様子が具体的に感じられるように組み立てられています。

最も印象深い作品の1つで、最後のセクションにある最新作「秘密を共有するもの」は、
外界に向けて光の破片を吐き出している犬の姿で、外からの光を受けたその煌きがとても美しかった。
だけど、近づいて見るとプラスチックや鏡、ビーズやワイヤーなどが鋭利であり、
見ているだけで「痛い」と感じるのです。

吐き出された光の破片は散らばっていて、単純に美しいけれども、
それらはワイヤーで繋がっていて、否応なく縛られている何かを表現しているようにも感じました。
この作品は昼と夜で全く表情を変えるようです。

また、建築的な作品も数多く展示されていました。
美術家の創るものは幻想的で、現実の建築としては成立しないかもしれません。
しかし私は先日、せんだいデザインリーグ2012で600点あまりの建築模型群を観たばかり。
必ずしも現実的でなくとも、自由なイマジネーションから制作されることが許されていて、
学生たちが自分のイメージを模型にして表現していたわけですが、イ・ブルさんの作品は、
空想的でありながらそのリアリティの強さは、大半の建築学生のそれをはるかに超えていました。
それは大きさや使用素材の問題だけではないと思いました。

60年代の韓国に生まれ、育ったイ・ブルさん。
当然。といえば当然なのかもしれない、政治・社会・環境の創造への影響。
海外での展示では、「なぜこのような表現を?」と問われて説明をしても、
「それは残念なことでしたね」というところまでで、感覚が共有されることはなく、
逆にそれら外側にある事柄については、自分の意志で退ければいいのではないか?
と言われることがあるそうです。

しかし、イ・ブルさんはこう言います。
「自分の意志云々の問題ではない。そうであった事実は、私には無視することはできないのです」

私はどちらかというと「事実は自分が決める」と考える、あるいはそうしようと努める方だけど、
しかしそれは、ややもすると臭い物には蓋的な、安易な逃げになってしまうという欠点がある考え方
だということは解っています。
しかし「逃げることも1つの方法」という場面は多々あり、芸術家のそれと比べるのは難しいことだけども、
少なくとも私自身については「向きあう」ということにもっと真摯にならなくてはな~、
と姿勢を正されました。(ちょっとだけねw)

名和晃平さんとのトークセッションについてはPart2で。

展示の様子と解説が見られます→
http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=122




画像は PUBLIC IMAGE ORG より


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