─光る波の間─

現在ほぼツイッターまとめ投稿。アート(名和晃平、奈良美智他)映画・音楽・食べ物(日々のご飯)・雑貨etc...

絵巻という映像

2006-04-23 21:35:46 | 音楽・映像・アート
たとえば、歌舞伎の不思議なポーズは、
「ストップモーション」だったり、「スローモーション」だったり、「クローズアップ」だったりする。
そういう約束事、“あると見立てる” “無いものとする”っていうような、
イマジネーションの豊かさは日本人の凄さなんだよなぁ。

今日の『新日曜美術館』は<絵巻物>についてでした。
絵巻物って、展覧会の展示ではたいていが有名な箇所をだーっと広げて、
ガラス箱の向こうに鎮座ましましていて、なんだかよくわからなかったりするんだけど、
本当は下に置いて、両手でくるくると巻きながら見ていくものなんだそうだ。

その1枚のなが~~い紙の上に繰り広げられる物語は、
まさに映画であり、アニメーションであり、漫画なのだ。
いや驚くねぇ~!!
時間の経過、視点の変化、フェードイン・フェードアウトなど、
800年前にすでに確立されちゃってたんですね。


日本がアニメ大国になるのはごく当たり前のこと。
劇画によくある、スピードを表す風の線も、
その時代すでに描かれていた。
絵巻物自体は中国からきているもので、
そっちはそっちで優れたものがたくさんあるけれど、
何が違うかというと、日本はフィクションを描くことに
優れていたそうなのだ。


日本は平地が少なくて、地震が多くて、湿気も多いし、変化が激しくて、
何かをなが~~く保って持ち続けるのは難しい。
だから江戸時代なんか、モノをなるべく持たないし、徹底的にリサイクルだし、
体一つで身軽に動く。
そういう風土だからこそ、無常を感じて感傷的になったりもすれば、
さっさと切り替えて忘れ去ったりもするんだね。
落語みたいに、扇子1本で何もかも表現して、それを想像して見る力も持ち、
あうんの呼吸だとか、暗黙の了解だとかが成立するんだろう。

目に見えるとか見えないとか、手に掴めるとか掴めないとかにこだわらず、
その場や状況に応じて臨機応変に対応していく力。
そういうもんがあるから、西洋絵画の遠近法の厳密さみたいなものは発達しなかった。
『源氏物語絵巻』にみられるような、
「俯瞰図なのに人物の顔が正面から見える」なんてことは、
西欧から見れば“技術の未発達”“不完全”とみなされたかもしれない。
(もちろん現在は優れた美術品として認識されているでしょうが)
一見リアルとは程遠いようだけど、展開される映像・物語のリアリティっていうのは、
写真のような精密な描写よりもずっとずっと迫力があるんだよなぁ…。ふぅ~

えーと、京都国立博物館で『大絵巻展』開催だそうです。
この記事読んでもさっぱり分からないだろうことも、こちらのサイトで解説してます。
もう少し近いとこだったら見に行くんだけど、残念。

*



今夜は・・・

2006-04-23 19:13:43 | 食べるもの・食べたもの
肉じゃが!!

肉じゃがにするぞぉ~~^0^
と、スーパーに行ったらなんと、
ジャガイモ1袋99円&豚肉オール4割引!
ラッキィ~♪



豆腐キムチ。
白菜キムチが残ってたんで混ぜてみました。

絹ごし豆腐を水切りして、
キムチの素と、酢やごま油と混ぜておく。
食べるときに白ゴマなどをトッピングしましょう。
少し漬けとくほうが美味しいよ。^^



アサリの豆乳味噌汁。
今日使った豆乳は、おぼろ豆腐が良くできた。
メーカーが違うと出来も違うの。


はふー・・・ 
お腹いっぱい・・・ めむひ(ネムイ) ( =_=)


*




ウィスキージャム

2006-04-23 14:28:19 | 食べるもの・食べたもの
近くのパン屋にあったジャムです。
今までここで買ったことはなかったんだけど、
ぽけっと見てたら、
“オレンジ&モルトウィスキー”と。

およ。興味津々♪
ちょっと高かったけど買ってきました~^^


お行儀悪いですが、指で掬ってぺろりんこ。
モルトの香りがふわっと来ますねー。
オレンジの苦味とはやはり一味違います。
うまぁ~いぃ~♪

ロシアンティーもかなりオトナっぽくなりそ。

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さてテレビは今、江原さんのハワイ旅やってます。
以前も別の番組で見たけど、
ハワイの岬もほんとはすごく神聖なんですよね~。
そこが今乱されてただの遊び場になってたりするらしいです。

世界のどこでも岬は神聖な、異界との境目、交信スポット。
日本でも山の上に残された貝塚などは、ゴミ捨て場じゃなくて、
彼岸へ送り出す埋葬の場所だった。
石器時代の人々が、食したものたちに感謝し弔った場所でもあるわけで、
現代人よりよほど精神性が高かったといえましょう。
さ、続き見よっと。

*



今日の音読

2006-04-23 01:34:24 | 今日の1枚

 §慈しみの瞑想§

私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に智慧の光が現れますように
私が幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも智慧の光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも智慧の光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように


私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも智慧の光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも智慧の光が現れますように


生きとし生けるものが幸せでありますように


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テーラワーダ(上座仏教)に帰依している方々ならば、
毎日唱えていることでしょう。
この言葉の中の、「智慧」というところは本当は「悟り」なのですが、
言いにくいなら「智慧」で良いことになっています。
私には「智慧」のほうがしっくりくるのでそうすることにしてます。

私は真面目な瞑想実践者では、全然ありません。
また仏教は好きだけど、真剣に仏道に励んでいるわけでも全然ありません。
が、うつうつとして晴れなかったり、悪感情に囚われたり、
どうもだらけていたりとかしたときは、何かしらこういった、
瞑想や祈りの言葉を口にしてみると、とにかくまずは背筋が伸びて、
視界がはっきりしてくるのです。

都合のいいときばかり利用して申し訳ないような気もするけれど、
まぁそのためにある言葉なんだしいいじゃないか、と。
言霊・音霊の力を、おおいに借りようではないか、と。

それにしても初めは、この言葉の中にある、
“嫌いな人々”や“嫌っている人々”に対しても幸せを祈るというのは、
正直びっくりしました。
でも、言ってみると「なるほどな」と感じるものがあります。
須藤元気さんがよく言う、“WE ARE ALL ONE.”と、ちょっと共通するかな?

…などと、ごちゃごちゃ書くよりまず瞑想 しましょうか。^^

*