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─光る波の間─

現在ほぼツイッターまとめ投稿。アート(名和晃平、奈良美智他)映画・音楽・食べ物(日々のご飯)・雑貨etc...

わたしのマトカ

2006-04-29 22:47:07 | 
『マチベン』見終わったところ。ん~~オモシロいねぇ。。。 ̄ー ̄
見ごたえありますな。NHKならでは。
今期のドラマに弁護士ものが多くて、『弁護士のくず』も好き。
(『7人の女弁護士』はパスしたけどね)
ま、それはさておき、


片桐はいりさんの『わたしのマトカ』
読んでいますがこれ!面白いよ!(まだ途中だけど)
初めて書いた本だということですが、
なぜ今まで書かなかったの?!と問いたい。

話の中心は、『かもめ食堂』のロケのため滞在した、
フィンランドでの出来事なんだけど、
そのエピソードに絡めながら自身の旅での様々な体験が
綴られているのです。
そういうのを、どうしても頭の中で映像化しちゃうじゃないですか。ね。
もちろん片桐はいり主演で。
だから余計に可笑しくて、たとえばフィンランドで“ニラ”を見つけた嬉しさに、

 わたしは手に入れたにらの束を高くかかげて走りだしたい気分だった。
 聖火ランナーのように。


なんてのを読んだ日にゃ、ニラ持ったはいりさんの爆走シーンしか想像できないでしょ?!
笑いが止まらなくなるってーの!!ヾ(^□^゜ノ゛

ところでこの本でやっと知ったのですが、『かもめ食堂』のスタッフの中に
圭子・森下ヒルトネンさんがいらっしゃったのでありました。
パンフでは単に「森下圭子」となっていたのでピンと来なかったんだけど、
ほぼ日で以前『サンタの国、フィンランドから。』というコンテンツがあって、
そこで書いてたのがヒルトネンさんだったのでした。
そのコンテンツを読んだ印象では、物静かな人かしらと思っていたんですが、
かなりエネルギッシュで声も大きい人だそうだ。

はいりさん、これを機にもっともっと書いてくれるといいな。
きっとすんごいたくさんのネタを持ってると思うんだ。^^
さて、続きを読もうっと♪

*



みずうみ

2006-04-16 16:42:24 | 
昨日、『なんくるなく、ない』のことに触れておいて、
今日さっさと『みずうみ』を読んでしまいました。

とにかく、小説といったらばななさんばかりの最近。
しかしハードカバーの新刊を買うのは珍しい。(といっても昨年の作品だけど)
前書きもあとがきも一切無いのが潔くていい。

内容には細かく触れないでおく。
“いつもの”と言ってしまえば“いつもの”だ。
登場人物も“いつもの”だけど、私にとっての“いつもの”とは、
文章から想像される、男子の見てくれなのだ。
細くて、白くて、少し猫背。
頼りなさげなのに、妙な存在感を持っているのが、
分かる人にはよく分かる・・・というようなその佇まいが、
ある友人によく似ている感じがして、
私の頭の中では、しょっちゅうその人が登場人物を演じてしまう。苦笑


誠実すぎて、正直すぎて、
自覚しすぎて、知っていすぎて、
とても消耗しながら生きてる人々。

点々と、ひっそりと存在しながら、
限られた仲間と細く繋がって、
でもどうにか、お互いのために、
生きなくちゃならないことを知ってる人々…。

そういう人々を書いて、ばななさんの小説には必ず、
必ず光があって、微笑みが生まれる。


*



なんくるなく、ない

2006-04-15 18:19:14 | 
まぁあいかわらず、ばななさんなんだけど。

沖縄の旅日記だ…って、
最初はあんまり買う気がなかった。
けど、

“(ちょっとだけ奄美)”

というのに引っかかった。笑





奄美に行ったのはもう…何年前だっけ?

ちょっとしたブームになる直前くらいで、
しかも梅雨の、1年中で最も観光客がいない時期。

この島での思い出の一つである、
陶芸家の奥さんの喫茶店の話が載っていた。
あの素敵な奥さんは、あいかわらず素敵なようだ。

とりあえず、奄美のとこだけ読んじゃいました。^^


*



友だち(のだんな)が本を作ったヨ

2006-01-11 20:59:51 | 
今日は友だちが訪ねてきてくれました。
だんなさんが作った本を
持ってきてくれたのでした。

『からまるくん』 という、
スイトピーのつるが主人公の
かわいらしい写真集であります。
すべて自宅の庭で撮った写真だそうです。

2月1日、文芸社から発売です。

こつこつと作っただんなさんには
“大変よくできました!”ハンコを差し上げます。




そして、友だちにも
“大変よく頑張りました!”ハンコを
差し上げたいと思います。
奥さん!あんたエライ!(詳細はヒミツ)

ちょうど→の写真のような夫婦ですね。^^
(と、ヨイショしておくw)

身近なものごとに物語を想像する。
想像をカタチにする。
お子様もよくわかる本です。

せっかくなので、“作家先生”になられただんなさんに
サイン をお願いしてみましたが、頑なに却下されました。笑

*



小川未明

2006-01-08 22:06:41 | 
『赤いろうそくと人魚』で有名な小川未明。
先日の帰省の折、<赤い鳥の本>シリーズの中にもありましたので、
1冊読んでみました。

なにが面白いって、童話にありがちな、
“○○はこういうことをしたからこうなった。
 また、そういうことをやった△▼は、こういう目にあった”
という、慣れきった展開じゃないところ。


ちゃんと名前が与えられてるからって、
そいつが主人公とは限らない。 とか、
誰が悪いんでもなくただ本人の心栄えの悪さから
自ら怯えて暮らすはめになった。 とか、
そういう意外性がある。

それから必ずしも全ての人物の存在に
理由があるわけでなく、通りすがりだったり、
まったく意味がないようにすら思える場合がある。
つまり、“何故無しに”というやつだ。



なにもかも理由がなくちゃならないとか、
なにもかも説明できなくちゃならないという、
強迫観念に毒されていない物語。
だから活き活きとしていて、
結末のあっけなさに肩透かしを喰らったりして面白いのだ。

童話について、本の序文に寄せられた未明の言葉。

----
 詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は
 自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに
 気付かない人達です。
 人間は、一度は光輝な世界を有していたことが
 あったのを、憫むべくも自ら知らない不明な輩です。
 芸術はほんとうに現実に立脚するものです。
 童話は、芸術中の芸術であります。
 虚無の自然と生死する人生とを関連する不思議な鍵です。
 芸術の中(うち)でも、童話は小説などと異って(ちがって)、
 直ちに、現実の生命に飛び込む魔術を有しています。

*



『なるほどの対話』でなるほど!と思った。

2005-12-14 21:45:04 | 
帰省のおともはなんの本にしよう‥と考えて、
『キッチン』読みかけだったんだけど、それは寝かしておくことにして、
吉本ばなな×河合隼雄の対談本、『なるほどの対話』を持っていくことにした。


そして、なるほど!!
何度もうなずいたのである。

なるほど!
そうそうそうそう!!
いや~‥凄まじいですね。。
目からウロコですわ~


という感想を繰り返しながら読んでました。
とても吉本さんほどじゃないけど、似た体験というのはあるので、
学校時代の話などは共感してしまうし、
小説を書くための、また、“偶然を捕まえるための技術”という話も
とても興味深かった。
そしてカウンセリング、臨床心理のエキスパートとしての河合先生のお話も、
いつもながらやさし可笑しくて、なるほど!と思うことしきり。
私もわずかながらカウンセリングやリラクセーションという分野に携わっているので、
思わず姿勢を正してしまうこと多々。

少し抜書きしてみましょう。

---- ----

<社会復帰について>
「・・そういう人たちにとっての見えない圧力、つまり“自分は普通に生きている”と
 思ってる人たちの圧力は、すごいもんですよ」
「自分を殺して復帰したのでは、意味ないです」
「いま現代人たちはみんな“社会”病にかかっているんです。なにも社会の役になんて
 立たんでもええわけですよ。(・・中略・・) だいたい社会というものが、
 あるのか、ないのか。それからなんで貢献せないかんのか、とか。
 全部、不明でしょ、ほんとのとこは。」
「流行り、ですよ。昔は天皇陛下のために死ぬことが流行ってたというように、
 時代によって流行りがあるんですよ」

<癒しについて>

「“治る”っていうときは、反対の力が大きく働くというのが本当だから、
 すっごく気持ちよくて、ただ心地よくて治っちゃうということは絶対ない。」
「“フワーッとして、それで癒される”というイメージが強すぎるんじゃないでしょうか。
 本当のヒーリングは命がけになってくるからね」
「アメリカ人見てたら思うねえ。なんていうかなあ、“ナイスウイークエンド病”に
 かかってる感じがするね。なんとかしてリラックスしようと思って、必死になって、
 疲れ果てている。彼らには“ごろ寝”というのがわからんのやね。
 “ごろ寝”はすばらしいんやけど」

<自己実現について>
「“自分をたのみにする”というのは、言葉の響きのよさとは反対に、
 情けなーい、かっこ悪ーいことの方が多いと思う。
 他にできないからしょうがない。“自分をたのみにする”のは消極的なことなんです
「“自分がやる”ということは、ぜんぜんわけもわからん、自分が思ってもみないことが
 いっぱい起こる。そういう意味では、“自己実現”という言葉が、まったく誤解されて
 使われていますね。
 あんな、わけのわからん、苦しくてかっこ悪いことはないのに」
「だから僕は、<“自己実現”は“他己実現”や>言うてるんです。
 他人が素晴らしいと思うことをやってるだけやって。」

---- ----
あはは~と楽しく読みながら、ときにこういう ギクッ が来る。
対談本なだけに、さらっと読めるぶん逆に大事なことがするするっと
こぼれていっちゃうこともある。
でも対談本だから、何度でも気軽に読める♪

さて、『キッチン』の続きを読むか~。

*



読書の冬

2005-12-08 14:47:56 | 
美術展も見た、新譜も買った。
なのに・・満たされないこの心はナニ?

あ、そうか。 活字が足りてないじゃん。

たまには集中的に、甘そうな切なそうな、
女っぽいものとかレンアイっぽいのを読むのも
悪くないかなぁ・・などと思いつつ、
なんかヒジョーにベタな感じの作品(作家)ばかり(笑
選んでしまったかなぁ。 まぁいいや。



最初に手をつけたのは
『モンテロッソのピンクの壁』。

江國香織さんの、児童文学や文庫絵本は
なかなか好きである。
『ぼくの小鳥ちゃん』や『ホテルカクタス』も
とても印象深い。

この『モンテロッソ・・』もまた私の期待を裏切らなかった。
夢に見た場所に行く。どうしても行かなくちゃならない。
理由などないけれど、確固たる思いに従って旅する猫、ハスカップ。

かわいらしい文体ではあるけれど、ときどきギクリとする。
ハスカップは猫だから、当然ねずみを捕まえて食べる。
「なんておいしそう!」と堂々と言う。
ヘタな動物アニメなんかだったら、肉食も草食もみんな仲良く、
「君のことを食べるなんてできないよ」とかなんとかで涙を誘おうとするだろう。
もしくは食べる行為を見せないかもしれない。

ハスカップは甘え声でエサをもらうよりは自分の力で食べ物をとり、
(その後しっかりニンゲンに調理させてしまうが)
必要な嘘はいくらでもつく。
相手がどういうタイプかよく見極め、わきまえた行動をする。
しかし援けたいと思ったなら、それがどんな悪事をやらかした相手でも
命がけで援けようとする、自立した猫なのだ。

ときおり、居心地の良かったおばあさんの家を思い出しても、
けして戻ろうとはしない。
やがて彼女は夢の場所で、彼女自身が夢の一部となっていく。。。

絵もとても良い。
未確認だけど、『ぼくの小鳥ちゃん』と同じ作家さんだと思われる。
色彩がすばらしくきれいで物語の世界にぴったりだった。


─ごく稀にですが、世の中には、どうしても
 モンテロッソのピンクの壁に行かなくちゃならない猫
 というのが、いるものなのです。─


飼い猫が、ふいっといなくなってしまったら、
モンテロッソに向かったのかも しれないね。

*



今日の音読

2005-11-22 20:21:35 | 
意味はわからずとも、美しき日本の言の葉、響きとリズムを楽しむべし。

 ・・・・・
 さもあれ 御身は如何なる人ぞ

 (さもあれ おんみはいかなるひとぞ)

 いや人とははづかしや 真ハ我ハ非情の精
 (いやひととははずかしや まことはわれはひじょぉのせい)
 芭蕉の女と現れたり
 (ばしょぉのおんなとあらわれたり)

 そもや芭蕉乃女ぞとハ 何の縁にかかゝる女体の
 (そもやばしょぉのおんなぞとは なにのえんにかかかるにょたいの)
 身をば受けさせ給ふらん
 (みをばうけさせたもぉらん)

 その御不審ハ御誤り 何か定めハあらかねの
 (そのごふしんはおんなやまり なにかさだめはあらかねの)


 土も草木も天よりくだる 

 (つちもくさきもあめよりくだる)

 雨露乃恵みを受けながら
 (うろのめぐみをうけながら)

 我とハ知らぬ有情非情も
 (われとはしらぬうじょぉひじょぉも)

 おのづからなる姿となりて
 (おのずからなるすがたとなりて)

 さも愚かなる
 (さもおろかなる)

 女とて
 (おんなとて)

 さなきだに あだなるに芭蕉の 女の衣ハ薄色の
 (さなきだに あだなるにばしょぉの おんなのきぬはうすいろの)
 花染ならぬに袖の ほころびも恥ずかしや
 (はなぞめならぬにそでの ほころびもはずかしや)

謡曲『芭蕉』(檜書店)/作:金春禅竹



----
なんで謡曲なんぞを?
それは、中沢新一の『精霊の王』という本の中に登場して、
その内容がなにやら凄くて関心を持ったから。
狂言や能、まとめて猿楽はたしか室町時代のこのころは、
まだまだ大衆の余興という面もあったと思うのですがねぇ‥。
逆に芸能の、初期の本質的な姿が現れてるのかもしれない。
そんなわけで謡曲本を入手してみたのでありました。(物好き)

この『芭蕉』の内容は・・・、
山奥で法華経を読んで暮らす僧侶が、
あるときから何者かの気配を感じて、見ると一人の女人がそこにいた。
その女人は、「人に生まれるのが難しく、真理の教えに接することも稀な環境なのに、
こうして接することができたことが嬉しく、花を捧げ礼拝をしていました。
どうか仏縁を結ばせてください」といった。
僧は中に入れ、色々話してみるとその志と仏法の理解の深さに驚いてしまった。
実は女人は庭の芭蕉の精であった。(この後が上記の内容になります)

 僧は聞く。
 「あなたはどういう因縁で人間の女性の身になったのですか?」
 すると女人は答えて、
 「そうのようなご不審がそもそも間違っています。人間や動物は意識を持つがゆえに
 有情と呼ばれ、私たち植物には意識作用が無いというので非情と呼ばれていますが、
 もともと両者の間には、決定的な違いなどは存在しないのです。
 存在の真理を、空から降ってくる雨のようにして、たえまなく受け取っていながら、
 それに気づいていない有情も非情も、自分の受け取っているものの素晴らしさに
 気づくことのないまま、それぞれの自然状態に留まっています。
 芭蕉である私も、自然のままに存在する植物として、人間の自然体である女性に
 変身するのです。」


そのあとの、<さなきだに..>は、女性の外見の様子を説明している文です。
上記の短い言葉から、ここまで訳せるものなのか。^^;
もちろん中沢さんが親切に、理解を援ける言葉をたくさん入れてくれてるんでしょうが。
原文を読むだけならさほどの苦労は要りません。
漢文じゃないので、ふつうに上から下へ読めばいいだけだから。

ただ、読み方の記号がわからず、 どこが文章の終わりかとか、
どこまでがセリフでどこからが情景説明なのかが、じつはなかなか解らないのが
むむむ…なところであります。
でも読んでると、気持ちがいいんですよね。リズムと響きがさ。
では、ラストシーンをば。

舞をひとさし舞ったのち、かき消すように消えた芭蕉の精と、
あとに残るは風に破れた芭蕉葉。その静けさを語ります。

----

 これも芭蕉の 葉袖を返し
 (これもばしょぉの はそでをかえし)
 
 返す袂も芭蕉乃扇の 風茫々と物すごき古寺の

 (かえすたもともばしょぉのおおぎの かぜぼぉぼぉとものすごきふるてらの)
 庭乃浅茅生 女郎花 刈萱
 (にわのあさぢう をみなめし かるかや)
 面影うつろふ露乃間に 山颪松の風
 (おもかげうつろぉつゆのまに やまおろしまつのかぜ)
 吹き拂ひ吹き拂ひ 花も千草も散り散りに
 (ふきはらいふきはらい はなもちぐさもちりぢりに)
 花も千草も散り散りになれば
 (はなもちぐさもちりぢりになれば)
 芭蕉ハ破れて 残りけり
 (ばしょぉはやぶれて のこりけり)

*




今日の音読

2005-10-31 22:52:21 | 
自分の中の<子供>に、読み聞かせするつもりで。


 ・・・・
 「<いんげん>を見たのかい?」
 とジェームズが言いました。
 「それを言うなら<にんげん>だろう」とロジャー。
 「その<にんげん>を見たのよ」
 とハリエットは言いました。
 「そして向こうも私のことを見たのよ」

 「それはお前のことを追いかけてきたかい?」
 「そいつはあなたのことを蹴飛ばした?」
 「そいつは何か投げてきたかい?」

 「いいえ、私が空を飛んでいるのをただじっと見ていただけ。
 目をまん丸くしていたわ。まるで猫みたいに」


『空飛び猫』(講談社文庫)/作:ル=グィン、訳:村上春樹




空を飛ぶ猫?空を飛ぶ猫?
なんだって?読んでみなくちゃ!…と、
何年か前、本屋の友人を通じて取り寄せ。

このお話の存在を知ったのは、
『猫だましい』という、河合隼雄さんの本からでした。
心理療法の大先生ですが、ダジャレ好きで
アソビ心を忘れない方です。
さまざまな猫を主人公にした童話や文学から、
人間のたましいのはたらきを語っておりまして、
エジプト神話の猫女神から、少女マンガの猫まで、
幅広く紹介していてとても面白かったのでした。




『空飛び猫』は、
なぜかはわからないけど、翼のある子猫が4匹
誕生してしまったことが始まりであり全て。
河合さんが仰るように、他に何もないのだ。笑

「なぜなしに」ということが、もっとも大事なことで、
なんでもかんでも「その理由」を尋ねられ、
釈明しなければいけない人間社会とは正反対。
だからこそファンタジーなんだけれども。
でも現実に自分が感じたり思ったりすることには、
「なぜと言われても困る」ことの方がよほど多いよね。

『猫たましい』の<解説>は、大島弓子さん。
本文中でも大島さんの作品を取り上げており、思わずニヤリ。
そして<解説>というとたいていは、“この作家のこの文章にしてやられた!”という、
決まり文句のようなセリフのオンパレードになることろ、
さすが漫画家、4ページの<感想マンガ>を描いてくれた。

それがまた、思わず にこり としてしまうマンガだったのでした…。

*



『アンジュール』

2005-10-21 22:13:28 | 
今日の音読・・といきたいところだけど、この本にはあいにく、文章がない。


鉛筆だけで描かれた本。

とうとう買っちゃった。
江國香織さんの『絵本を抱えて部屋のすみへ』
で、初めて知って、
本屋でぱらぱらめくって・・・泣きそうになった。



すぐ買ってもよかったんだけど、
なぜか、本屋にあるってことが良くて、
ときどき立ち読みしては、
また棚に戻し、を、繰り返してた。

車の窓から捨てられ、
ある日突然野良犬になったアンジュール。

戸惑い、悲しみ、放浪。
主の姿を探し、遠吠えし、追い払われ、
とぼとぼと汀を歩くアンジュールの後姿。
途方に暮れる黒い影が滲んで見える。
そして最後は・・・・・。

絵だけが全てを物語る。
これぞ 絵本。

*