NO MUSIC、NO LIFEなんて言うコピーがあるけれども、確かTOWER RECORDか、音楽の特権意識を強調した非常に腹立たしい広告だ。さも音楽だけは文化の代表であるかのような顔をして何をしても許される(ROCKなんかは排撃されたけれども今は昔)。インターネットやその他新しげなものは次々と攻撃されてきたにもかかわらず、ガジェットとしての音楽、音楽プレイヤーは排撃なんぞされるどころか、おしゃれアイテムだと抜かしやがる。
本当にそうなのか。害を説いたのはイギリスあたりの研究所。ipodが流行したころに、将来難聴になるとアナウンスしたくらいだ。本当にそれだけなのか?携帯電話ですら未だに有害論がくすぶっているというのに。本当に害があるかは僕ら位の世代が老人になるまでは解らないらしい。
ゆらゆら帝国の歌詞の中に「いつも頭ん中で 爆音で音楽がなってるから 聴こえねぇよ!!」っていうのがあったが、まったくその通り。耳にイヤホン、もしくはヘッドホンという名の蓋をしているんだから、聴こえねえのは当たり前。歌詞では頭ん中だけれども。まぁあんまりにも聴いていると頭ん中でも聴こえているので聴こえない。
周囲の音とか声だけなら良いけれど、自分の頭ん中の声すら聞こえない。それは本を読んだり、人の話を論理的に理解するときに復唱する僕の奥の中の声。そういったものも聴こえない。頭ん中はいつでもぼんやりさん。もちろん科学的根拠はないけれど。
聴こえやしない。だから何も考えられない。ポストモダンって何だっけ?大きな物語と小さな物語ってどんな関係だ?それってモダンでもあった概念?東さんの本とか(鹿)読んでない。ガンダムはモダン的ポストモダン?なのか?エヴァンゲリオンはポストモダン的ポストモダンなのか?明日のゼミ、出るのやめようか・・・
音楽があれば人生は豊かになると思う。でもそれは音楽プレイヤーのイヤホンで聴く音楽と人生の豊かさがイコールではない。むしろ最悪。頭悪くなる。