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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

わたしの中のあなた

2010-08-15 | 休み
90年代以降のハリウッドのビッグバジェットモノのコメディや感動系は駄目なのばっかりだなぁと思っているけど、これは。


わたしのかなのあなた


姉を救う為に遺伝子工学で人工的に生み出された妹が両親を親権一部停止を求めて訴える、という強すぎるギミックに惹かれたんだけど、実のところ内容はというと堅実な家族描写を誠実に行っているんだという驚き。堅実というのは、もちろん盛り上げる作りにはなっているんだけど、感動っぽい音楽を適当に当ててそれっぽく仕上げるなんていう邦画みたいな安っぽいことはせずに、感情を積み上げて感動を作り上げてる。

もっとも感心したのは白血病の姉、キャサリンの恋愛を描いている点。何度も悪口を言うのは何だけど邦画みたいな中途半端な恋愛描写じゃなくて、ちゃんとキスをしてセックスもする。もちろん直接的ではないけれど、何故恋愛をするのかという当事者二人の切実さを、当事者同士の独特のユーモアで描いているのが良いなぁと。単純に感動系なら恋愛は描くけど”性”は排除しそうなものだけど、ちゃんと描いてる。

しかもエピソードをそれぞれの回想として少しずつ交錯して描くので、単なる時系列を追うだけの構成だと単純に帰してしまいそうなところを巧妙に逃れていて、退屈しないしテンポもすごく良い。構成としてはある種の敵として、母であるサラが設定されているけど、決して悪人ではなく母親としての母性が肥大化しすぎた存在として描いているので、対立する存在として理解できるけど、そこにちゃんと見ている人の共感も挟み込める。親が子を思う気持ちという点でその行動も理解できて不快な敵じゃない。

ラストの妹、アナのモノローグが印象的で、「姉の死には意味なんて無かった、死はただの死だった。」といった一連のモノローグが少し言及しすぎな気もするけど、感動系作品の過剰な死の意味づけに対してメタ的でシニカルな視点から今作のラストを含めた全体の物語を構築しているのが良く分かる。感動できるけど、決して涙強盗のような強引な押し付けがましい感動映画じゃないところが非常に好感が持てる。


ギミックの回収やその真意もとても心地良い良い映画だと思う。何で妹がそういう非常手段に出なければ成らなかったのかという点も合点が行く合理的な説明が待っている。妹役のアビゲイル・プレスリンはもちろん登場シーンは少なめだけど、アレック・ボールドウィン演じる弁護士も良いキャラ(アレック・ボールドウィンは「30ROCK」から復活したのか?)。

スペル

2010-08-15 | 休み
面白いとは聞いてたけど、まさかここまでとは。糞面白い!



『スペル』(オフィシャルサイト)
スペル


心優しい女性であるクリスティンが勤務先の銀行の次長職を前にしていた折に、彼氏の母親が自分の出自や社会的地位に不満を抱いていることを知り、是が非でも次長職を得るべく支店長の意向に沿うように働く。そんな時にロマの老女の3回目のローンの延長申請を断ったことで、老女から襲撃と呪詛を受けてしまい…という設定で絶対怖いだろうと、もちろん冒頭は怖いし、中盤でも怖い部分はあるのだけど、基本的に怖くないというか真逆。

アメリカンホラー映画の古きよきテイストというか定型を活かしつつ、その表現は過剰。でも明確なホラーコメディではない。でもサム・ライミ監督なので確信犯的な過剰さでギャグに成ってる。でもホラーの定型は見事に再現されているの突発的な登場など演出で、音でビックリさせられる。つうか、ビックリして、笑えるってなんてお得な映画なんだろう。ストーリーもステレオタイプではないけれど、流れはある種の類型なのでラストは誰もが予想は付く。付くけれど、面白いんだよな。


退屈なシーンがほぼ無いし、突発的なホラー演出でドキドキさせられるし、何よりホラー描写が過剰すぎて1週回って面白い。面白さが堅実に面白いんだよなぁ。薄っぺらく無い。何て言うんだろう、こういうの。

第9地区

2010-08-15 | 休み
『第9地区』(オフィシャルサイト)
第9地区

映画を見る前はエイリアンをスラムに閉じ込めるというアイデアは南アフリカのアパルトヘイト政策がニール・ブロムカンプ監督の今作のインスピレーションになったのだと思い込んでいたけど、オーディオコメンタリーを聞くとそれも無くはないんだろうが、直接的には現在南アフリカで問題になっている移民へのホスト側の蔑視的な感情によるのだとか。そこが意外というか新鮮だった。

でも単純な差別と被差別の関係ではなく、完全なる加害者としての悪と完全なる被害者としての善ではなくて、人間はエイリアンの突然の襲来と滞在に迷惑を感じて、帰ることが出来なくなったエイリアンは必ずしもマナーが良いとは言えない描写がいくつもある。エイリアンは確かに抑圧されてはいるが、人間を殺したりもしている。でも究極的にはやはり人間はホストであり、エイリアンはゲストであり、力関係は明らか。

主人公に起こったことを第三者の視点として、冒頭とラストでドキュメンタリー風に描くんだけど、ドキュメンタリー風がとても上手くてそれなりにドキュメンタリーに見える。細部のこだわりはドキュメンタリー部分に限らず、日常の背景と言うか部屋の美術がとても細部にまで描かれていて好感が持てる。特にエイリアンの居住区であるスラムや彼らの家の内装、スラムのエイリアンの服までが現実ではありえないものだけれど、非常にリアリティを持って描かれてる。

エイリアンがやってきた経緯、エイリアンが居住区に追い込まれスラムになった。そこにナイジェリア人移民のギャングが住み着いて、エイリアン相手に裏ビジネスを行っていて、そのボスは黒魔術的な力への執着から人間には扱えないエイリアンの武器などエイリアンに関するものを集め、時にはエイリアンも食べてしまうという描写がそれなりに違和感無く並べられラストに収斂していく。中盤のアクションからラストまで怒涛のアクション展開。批評性はあるけど、前面には決して出しゃばらずエンターテイメントとして素直に楽しい。


そしてラスト。ラストカットがとても哀愁があって。下手なハッピーエンドではないし、現実はあまり変わってないので、むしろ主人公にとって見れば悪くなっている以外の何ものでもないけど、終盤のエイリアンの台詞で単純なバッドエンドを回避して、ハッピーエンドの可能性をわずかながら留保したラストになってる。だからこそ哀愁だけに終わらない、単なるバッドエンドとして取らずに済むようになっているのも良いなぁ。

月に囚われた男

2010-08-12 | 休み


『月に囚われた男』(オフィシャルサイト)
月に囚われた男

3年間の契約で一人月面基地で働くサム・ベルが作業中の事故によって重傷を負い、気が付くと基地に居て治療を受けていた。回復したサムが今一度掘削現場に行ってみると、そこには事故を起こした掘削機が残されており、中には負傷者が生存していた。しかもその生存者が自分と瓜二つの男だったと言うSFオカルトと言うか、SFミステリー。

実際は二人ともオリジナルのサムのクローンで、3年が経過したり、その間に事故死などをすると交換される存在だったというSF描写。このクローンの交換と言う描写が映画内の描写でとても効果的に演出されていて、観ている側も劇中のサムと同様にサムが作業中の事故によって意識を失い、AIによって助けられたために基地に戻ったのだと極自然に納得させられる。物語の主人公も最初のサムも途中から新しいサムに切り替わる。

新しく要員を雇う変わりにベテランの作業員であるサムを利用し続け、サムのクローンを使い続けた会社が悪っていうのは面白い。それも陳腐なSFに観られる荒唐無稽な悪徳企業ではなく、新自由主義的企業倫理にも通じるような、企業利益優先の人権軽視という比喩に単純に置き換えられるほどの現代社会への批評性が垣間見られる悪意なんだよなぁ。現代社会への批評性という点は伝統的なSFとして、単純に物語が格好良い。

サムをサポートする基地内のAI、ガーティはてっきり『2001年 宇宙の旅』のHAL9000のような人類に対し、ほの暗い悪意のようなものを持ったAIかと思っていたけど、あのピースマークのGUIを持ったケヴィン・スペイシーボイスのAIが終始主人?であるサムに献身的であったのは意外で、面白かった。この物語においては悪意はAIといった文明ではなくて、企業だけなんだよなぁ。


良く出来た佳作SFなんだけど、ただ、ただ1つにして最大の問題がある。それは音。冒頭から月面ではヘリウム3という鉱物資源を発掘するための掘削機(タイヤを持った可動式)が登場するのだけれど、その掘削機は車内ならまだしも月面から掘削機を写したカットにおいても駆動音がし、掘削時に放出された砂利も舞い上げられる際、地表に落ちる際に、音がしてしまってる。こういう点を見てしまうと、ダンカン・ジョーンズ監督ってSF映画は撮ったもののSF者じゃないんだろうなと思ってしまう。

ダーティーハリー

2010-08-09 | 休み
ブルーレイの良い所はマイナー作品もブルーレイでは新譜として店頭やレンタル店に今一度並ぶことと、DVD以上の優位性を示すため?にDVD版では収録されていないテレビ放送時の日本語音声(現在とは異なり、特に80年代までは映画のビデオパッケージは一般的ではなかった)が収録されているところ。


ダーティハリー


もちろん『ダーティハリー』のブルーレイ版には現在流通しているDVD版には収録されていない日本語音声が収録されている。つまりは山田康雄がいる。今だとクリント・イーストウッドの吹き替えと言えば納屋吾郎や野沢那智とかだろうけど、ぼくらぐらいの年齢まではクリント・イーストウッドと言えば、山田康雄だった。

最近の映画はなるべく字幕で見るけれど、昔の映画はなるべく日本語吹き替えで観たい。それもテレビでの映画放送当時の吹き替えで観たい。最近でこそ当時のテレビ放送時の吹き替えを収録したことを売りにするDVDが発売されたりしているが、最近までは字幕のみや放映当時の吹き替えではなく近年に新たに収録した吹き替えを収録しているものがほとんど。


そして『ダーティハリー』。別の小さな事件で”汚れ役”であるハリーの人となりを描写し、本筋であるゾディアック事件のゾディアックをモデルとしたスコルピオというシリアルキラーの話に。銃撃戦、逃走劇など前半から中盤にかけて山場がありハリーがついにスコルピオを追い詰める。だが権利の説明無しの逮捕や令状無しの家宅捜索でスコルピオは釈放。スコルピオが今一度事件を起こし最後の山場に。

何だろうか、これは。作品全体の構成にしても、スコルピオの犯行手段にしてももはや教科書レベルの完璧さ。山場を随所に配置したり、序盤事件とと終盤の事件でのハリーの台詞をシンメトリーにするなど今見ても流麗で格好良い。スコルピオの行動(刑事を公衆電話に引っ張りまわす、猟奇的な異常者像、自身を被害者とすることでのマスコミの利用)は再三後の作品で引用されまくったために、今見ると若干弱い気はするけれど。

そんな映画の中に山田康雄の声をしたクリント・イーストウッドがいるわけで。ただでさえ格好良いハリーがますます渋く、格好良くなるんだよ。色味以外には画質的にはブルーレイの恩恵を過去作はあまり得られないけれど、テレビ放送当時の音源が収録されているというこの一点のみで十二分にその存在一があるんじゃないだろうか。


山田康雄が60代で亡くなり、イーストウッドが今も存命であることの齟齬と言うと誤解があるけど、この二人が共に生きていないのって言うのは日本のファンにとっては非常な損失。『グラントリノ』は確かに傑作であったけど、イーストウッドの吹き替えに山田康雄がいないことの寂しさ。コワルスキー爺の口から山田康雄の声が聞こえてきたら。