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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

WALL-E

2010-02-16 | 休み
金曜ロードショーで『崖の上のポニョ』が2月の頭に放送されていて、もちろん予約録画したんだけれど何故か結果は所さんの番組が録れていた。観る気になっている時に観られないのはカレーだと思って帰ったら晩ご飯が刺身だったみたいな心持がして収まりが悪いので『ポニョ』をDVDで借りに。そしてそれだけだとなんなのでその他も。


WALL-E


前評判通り、主人公のウォーリーのアニメーションが素晴らしく可愛らしく愛らしい。卑怯なほどに。ついでにウォーリーの唯一の友達?である、地球上で唯一?のゴキブリの動きまで素晴らしくアニメ的で可愛らしく面白い。ゴキブリなのに。目指すモノも表現方法も違うのにフルアニメーションという点では『ポニョ』も『WALL-E』も非常に最先端。よく出来たアニメには科白すら必要無いことを教えてくれる。いや科白はあるけど。『ポニョ』とは違う眼福。


面白かったのは今作のディストピア像。地球の環境が悪くなったから、良くなるまで宇宙に居ようという少し『宇宙戦艦ヤマト』ちっく設定で、人類は住環境が整った巨大な母船に乗り込んで700年間宇宙で生活をしていた。その間人間は移動する椅子に乗って生活し、ロボットたちが全ての世話を妬いてくれた(管理された)おかげで他人と直接コミュニケーションを取らなくなり、肉体は肥満体になり運動機能も退化してしまったという描写。

ディストピアに関わらず、SF的な未来人の描写は『スタートレック』のカーク艦長のようなスマートな人たち(カーク船長役のウィリアム・シャトナーは見る影も無く太ってしまったけど)という描写が多いのに、今作の未来の人類は何不自由ない生活の結果として、全員モニター付の移動する椅子に一日中座っていた結果として徐々に肥満化し、退化してしまっている。誰一人痩せていなくて、皆太ってる未来がディストピアってユニーク。

もちろんこれは高度大衆消費社会誕生以来のカウチポテト族(死語)から続くテレビやPCモニタの前に座って娯楽を享受しているだけの人たち(ぼくを含む)がモチーフになっているんだろうし、それを揶揄したのが何でも出来るモニター付の椅子に一日中座って生活する未来人。そんな人類と外でコツコツ仕事をし、イヴを追いかけてどんどん積極的に行動を起こして、成し遂げてしまうウォーリーとの対比が気持ち良い。人類を救うのもロボットだし。

太ってしまって、運動能力も退化し、何事にも消極的になってしまった。でも人類はそれに不満は無いというディストピアってそれまでのディストピア描写と比べて、科学的な推論に基づく最悪な未来予想なSFというよりは現代的な問題意識の反映、提起くらいのノリ。感情の発露が悪、読書が悪、記録することが悪、みたいな捻った設定じゃなくて、現代人の生活自体を皮肉ったディストピア。でもそんなに本気でそういうことを言いたい訳ではなさそう。


気になったのがロボットの扱い方。ウォーリーやヒロインのイヴ、壊れてしまったポンコツロボットたちは愛嬌のある善玉として描かれていて破壊の対象から逃れているんだけれど、そうではないシステムに従順で正常なロボットたちは冷徹な悪玉として描かれていて彼らを捉えようとするとイヴとかに破壊されてしまう。悪の親玉?である自動航行装置ロボットのオートも大統領に権限を委任されて人間の為に管理してただけで別に悪意は無いのだし。なのでちょっと違和感。

あとラスト。オートの強力な電気ショックによって電子回路を破壊されてしまったウォーリーをイヴが地球に帰って真っ先に直すんだけど、光学部品とかならまだしも心臓部っぽい電子回路まで逝かれてしまったウォーリーは当初は記憶?を失くして、愛嬌の無い単なるロボットになっちゃう。戻っちゃう。普通に考えたら記憶とか戻りそうもないし、悲しいけど映画的には単なるロボットになっちゃった方が現実的だし、完成度も高まったように思う。『ミリオンダラー・ベイビー』っぽいけど。

でももちろん映画の結末の方が圧倒的に正しい。物語の山を作るためには阻むものが必要なわけで敵としてのロボットは有意だと思うし、ウォーリーは元の記憶を取り戻して、人間と共に生きていくのは元よりイヴや仲間と仲良く暮らすっていうエンディングの方が誰もが喜ぶエンディングだとも思う。そして何より結果としてすごく面白い冒険譚になっていてさすがアカデミー賞アニメ部門の作品賞。アニメーション自体や演出は凄いけど物語を志向していない『ポニョ』が取れなかったのは当然と思う。



ホントすごい完成度。アニメーションとして素晴らしいだけじゃなくて、アニメーションの演出力が見応えがあるし、物語としても十分な強度がある。おまけに過去作品や他の映画のパロディ(「ツァラストラはかく語りき」をBGMに艦長が初めて直立に立ち上がるという『2001年 宇宙の旅』の猿のパロディしか分からなかったけど)までやっちゃう。エンドロールの人類が新たな歴史を作っていく演出も素敵。ドット絵の表現も。

Ver2.22

2010-02-08 | 休み
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」ブルーレイ&DVD、5月26日発売決定!(eiga.com)
昨年6月27日に公開され、09年度映画興行収入ランキング8位となる興行収入40億円、観客動員290万以上を記録した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のブルーレイ&DVDが、5月26日に発売されることが決定した。

発売されるブルーレイ&DVDは、劇場公開版(EVANGELION 2.0)から再調整をかけたデジタルリマスター版となる「EVANGELION 2.22」。特殊ボックス付きデジパック仕様で、解説ブックレットを同梱し、映像特典としてAR台本と劇場版特報、予告編、TVスポットなどが収録される予定だ。ブルーレイは税込6090円、DVDは5985円でキングレコードから発売される。
(上記リンクより一部引用)


ヱヴァ:破


劇場公開からDVDオンリーの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 Ver1.01』がリリースされたインターバルとほぼ同じ間隔で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のBDとDVDがリリースされるみたい。注目すべきなのは、今回は初めからVer.2.22でのリリースで、前回『序』のVer1.01とは異なりテレシネ処理されたものではなく、デジタルマスターでの収録との事。

これで前回のVer1.01の時のようなゲンナリを経験せずに、劇場と同じデジタル特有の明るいメリハリのある画を家のテレビで堪能出来ます。出来るぜ!とは言いつつも、あのゲンナリが無いのは少し寂しいような気もします。また今回は初めからVer2.22と言うことで、Ver1.01初回版に同梱されていたフィルムも同梱されていないわけで、残念と言えば残念です。


(追記)
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が5月にBD/DVD化-Blu-ray同時発売。デジタルマスターの「2.22」(AV Watch)
さらに、初回生産分には劇場上映生フィルムコマが付属する。装丁は特殊BOX付デジパック仕様で、解説ブックレットも同梱。DVDの映像特典、初回生産分の特典、装丁の仕様はBD版と同じ。
(上記リンクより一部引用)
生フィルム付くのなら、がっかりテレシネ仕様のぼったくりVer2.02はいらないや。ということで即効で予約が吉な気がします。前回は男便所の立小便器のみのカットっという残念なフィルムだったので、もすこしマシなものが入っていたらと。


まぁ、それでもアレを家で何回も観れると思うと、嬉しい反面怖い気もします…お金無いけれど速攻でアマゾンで予約したぜ!新型PS3に買いなおさないとかもです。アンプも欲しい…美学の「序・破・急」が「序・破・Q」になったのは『ウルトラQ』から由来してるとは思うけど、「旧」で『旧劇場版』の意とかじゃないよねぇと妄想しながら、待ち焦がれたいと思います。



エンプティネス

2010-02-04 | 休み
「原研哉氏トークイベント採録」(くらしの良品研究所・無印良品)


やっぱデザインって哲学であり思想であり思考であり、究極的にシンプルに言うと説明なんだな。この日本の美意識の源流に関する原さんの「emptiness(エンプティネス)=からっぽ」という枠組みの提示ってさすがだなぁ。日本文化特殊主義とかすぐさま日本は凄いと言う礼賛に結びつける言説って大嫌いなんだけど、原さんの日本文化に対するまなざしは、これは単純に美しい。

デザインの授業とか受けたことないんで分からないけれど、デザインっていうのは思考であり思索であり言語なんだぁ。どういう意図で作ったのか、何を伝えたいのか、それを明瞭に伝えられるのが良いデザインなんだと。原さんのサインデザインとかを見ると非常にそう思える。だから駄目なデザインって言うのは形だけを真似ているので伝わるものはないし説得力も無いから駄目だと。


更新
(上記リンクより画像を引用)


「更新」というフレームを原さんはここで述べているんだけど、上がそれを図表化したもの。満たされたものではないからこそ保存ではなく、更新することで伝承を繰り返してきたと。西洋的な考えだと保存することは変わらず維持することだけれど、日本の場合保存することは同じものを維持し続けるのではなくて「更新」することで伝承すると。完全に同じものではないからこそノイズが混じって、それが繰り返されることで「国風化」に至ったと説明する。

「シンプル」と「エンプティネス」は似てるし共通するところあるけれど、異なると原さんは指摘。「シンプル」は中世までの王権時代からの脱却、近代市民社会以降の合理主義がもたらした、モノを機能と直線で結ぶデザインだったと。それに対して「エンプティネス」はどこにも定着しない八百万の神を入れるための思想から始まり、それらを入れるために「からっぽ」(=エンプティネス)だったと。「エンプティネス」には何かが入る余白がある。



思考が非常にストレートでつるっと入る。読んでいてとっても気持ち良かったです。1ページが多く、しかも5ページもある(そもそも1時間の講演の文字起しなので)けれど、それをしても読むべき講義録。

セカンドシーズン

2010-01-30 | 休み
「佐野元春のザ・ソングライダーズ」(NHK)
「佐野元春のザ・ソングライダーズ」、セカンドシーズンの放送が決定!
7月からはじまる新シリーズにもご期待ください!
(上記リンクより一部引用)


現在再放送もされています、遂に第2シーズンが放送決定です。またもや立教大学の12号館から元春さんがアンニュイな語り口で質問をされ、ちょっと否定するゲスト、みたいな構図が見られると思うとわくわくします。一年経ったけれどフォロワーがあまり出てこないのも珍しい。元春さんにしか出来ない芸当です。「太田総理」と似たニュアンスを感じます。

もうゲストのブッキングは済んでいそうですが、第1シーズンは70年代、80年代に活躍した人、男性、ニューミュージックとかなり偏った人選だったので90年代以降に活躍した人、半分は女性、ロック(オールドスクールな)とかであればなぁと夢想したりします。井上陽水、甲本ヒロト、チバユウスケ、坂本慎太郎、YO-KING、くるりの岸田君とか観てみたいなぁ。


でも知名度やJPOP史的なことから考えると、椎名林檎、桜井和寿、秋元康あたりが妥当なのか、どうなのか、そうなのか。そして自分の範囲外のミュージシャンが全然分からないということに愕然。チャート的なものは把握はしてるけど中身は分からないし、良さも分からないおっさんなんだなぁと。どっちにしろ妄想の域を出ませんが、誰か一人でも観られれば御の字。とにかく7月が楽しみです。

マッシュドアップ

2010-01-29 | 休み
2003年ごろ、youtubeがはやりだしていたころアメリカだとmush-upがはやっていて日本でも流行るとか思われてたのに結局流行らなかった。アレはmush-upと言う行為は如何にもポストモダンチックだけれど、hiphopやDJカルチャーの範疇だったのが日本で流行らなかった理由とか思う。

でも去年くらいからIKZOこと吉さんとかPerfumeや一連のボーカロイドからちょっとだけmush-up動画が増えている不思議。サンプリングの概念がDJカルチャーではなくコンピュータカルチャーから来てる的な感じ。

―吉幾三 vs JACKSON5 [俺ら Want You Back](Youtube)


DJカルチャーとか渋谷系のサンプリングはまさに個人の音楽的教養の発露だった。でも今のそれはネット的データベースの共有。一部の音楽エリートだけのものではなくなった。極端な話、ただのアニソンヲタのニコ厨でさえもギャングスターラップでMADを作る可能性すらある。

でも純粋にmush-upから着ているわけではないので、つぎはぎしているだけのいわゆるMADも多い。。。なので日本のこういった動画は苦手だ。。。



と言うくだらないことを久しぶりにHALCALI feat.宇多丸の「若草DANCE」を聴いていて思った・。・