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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

私は猫ストーカー

2010-03-30 | 休み
ストーカーという言葉はほぼ100パーセントネガティブな意味でしかとられない。渡部篤郎主演の名作テレビドラマ、その名もずばりな『ストーカー 逃げ切れぬ愛』があったり。渡部篤郎が高岡早紀を追い詰めるというそのものずばりのストーカー。映画だとこれまた『ストーカー』というずばりなタイトルのロビン・ウィリアムス主演の駄目な映画もあったっけ。駄目だけれど、こっちもストーカー直球のサスペンスホラー。ホント酷いけど。


『私は猫ストーカー』(映画公式)
私は猫ストーカー


『ストーカー 逃げ切れぬ愛』よりも『ストーカー』よりも自分でストーカーだと名乗っているだけもっとド直球。だけどストーカーする対象は猫なので害は無いのかもしれない。不審だけど。たまに外を歩いていて、野良犬や野良猫の後を付いて行きたいと思うことはあるけど、作中の主人公役の星野真里でさえも猫をストーカー中、近所の怪訝な視線にさらされていたので、ぼくには無理。猫や犬をストーキングしてたら即効で通報だな。

『かもめ食堂』みたいに雰囲気モノで物語とか無くて、若い女の子が淡々と猫をストーキングし続ける映画かと思ったらそうでもなかった。近い部分はあるけれども。ちゃんと猫のストーキングの合間に主人公や周りの人の過去の恋愛のわだかまりを中心に話が展開されていて、その中で緩やかではあるけれど主人公も何かが変化するっていう映画的な物語もちゃんとあってとっても面白かった。静かで地味ではあるけれど。


特に面白かったのが、主人公へ元彼が電話をかけてくるシークエンス。前段として主人公は元彼に未練のようなものがあり、元彼はりんごを送るついでに結婚するという手紙を同封してきたというのがある。元彼は青森から電話をかけているのに、映画のカットの中では合成でも何でもなくて物理的に東京の主人公の部屋で黒電話をかけてる。同じ部屋に居る二人を緩くパンして交互に映す。

元彼が送ってきたりんごを主人公が冷蔵庫にしまっているだろと電話越しにとがめると、元彼はおもむろに主人公の部屋の冷蔵庫からりんごをみんな取り出し、一つずつ磨き始める。そんな中で昔話をしつつ、ふいに主人公が「結婚おめでとう…」と切り出すか出さないかのところで映画のカットの中では物理的に存在している元彼がボッと消えちゃう。物理的にりんごが主人公の前に投げ出される。そこからカメラは主人公のみ正面から映す。未練みたいなものがあったから物理的に存在しているように演出されて、その未練を断ち切った?途端に物理的な元彼が消えちゃう。変な演出なんだけど、とってもかわいい演出。

このシークエンスがとても象徴的というか、すごく丁寧な映画でした。そして凄い綺麗な脚本でした。無理の無い、自然な台詞でとっても良かった。その分パンチとか力強さとかはないけれど、猫をストーキングする女の子の話っていう緩い物語にはとってもあっていて素敵な映画です。猫をストーキングする星野真里もいちいちかわいい。特にラストのストーキングシーンがふんわりとした雰囲気でとっても可愛らしかったです。



エンドロールのアニメーションやバカでかわいい歌も素敵で可愛らしい。「ねこおいかけて、ねこおいかける、わたしはぁ~ねこすとーか~♪ねこ~すと~かぁ~♪」小さいけれど良い映画だなぁ。でも何故か4:3なんだよなぁ。何でだろ。そんでオーディオコメンタリーには何故か矢口史精監督までいる。

狂い咲きサンダーロード

2010-03-29 | 休み
ある意味でまたミッシェルつながり。名前は聞いたことはあるが観たことのない映画を観るブーム。石井監督の日芸の卒制らしい。今で言えば、真利子哲也監督の『イエローキッド』みたいなものか。


狂い咲きサンダーロード


大学の卒制らしく一目見て安い。安い世界の世紀末覇王伝というか『マッドマックス』なサイバーパンクのような雰囲気の中で暴走族の抗争。上部組織としてのスーパー右翼。中学生とセックス、ドラッグ、おっさんと同性愛で全員パンクスというかデニムに革ジャンで剃り込みリーゼント。かといってSFかというとそうでもなく日常の風景も映り込んだりする。荒廃した工場跡地からの見知った福岡天神地下街には意表を突かれる。だからやはりSFじゃないんだろう。

変な雰囲気は嫌いじゃないけれど、ヤンキー文化の暴力性とホモソーシャルな上下関係がやっぱ嫌だなぁ。実際にスーパー右翼の幹部(小林稔持!ことミラーマン)と幹部候補生がホモ関係に。サントラに泉谷しげるやThe MODSとかを使っていてサントラのクオリティは高すぎるけど、演出をしてはどうなんだろうかと疑問が。端的に言えば曲をかけ過ぎ。10曲以上はかかってるんじゃないか、90分ちょっとの映画に。故・山田辰夫の主人公は確かにぶち切れ系の狂犬主人公で格好良い。しかも珍しい。けど中盤までは苦手だ。

でも中盤以降、主人公が敵対組織に襲われチェーンソーで片方の手首から先とつま先を切り落とされてバイクに乗れなくなるところから一気に面白く。ブラックマーケットで武器商人から武器を買い、失くした手にはフックを付けてキャプテンクックというかライダーマンの様相。その姿で買い込んだ武器を片手にバイクでスーパー右翼を襲うラストシーンが素敵過ぎる。バカっぽい設定、灰汁の強いキャラクター、強烈なアクション、そして低予算って鉄板だ。ただぼくはちょっと合わなかった。カメラワークとかも強烈な実験作。



それにしても凄い熱量の映画だなぁ。カオス。

空気人形

2010-03-28 | 休み
『空気人形』(映画公式サイト)
空気人形

ペだか誰だか知らない韓流スターとかどうでも良いのですが、ぺ・ドゥナだけはどうしてこうして。奇跡のファニーフェイスというか、可愛過ぎるだろと。そんなペ・ドゥナで日本映画主演、フジテレビなテレビ局資本とかじゃなくて是枝監督、業田良家原作で。正直はずれるわけは無いだろうと、面白いに決まっているじゃないか!と『猫ストーカー』と迷ってこっちに。

ペ・ドゥナは断然可愛かった。ファニーフェイスだからこその可愛さ。歳幾つだよ?というくらい可愛い。大きな眼がまさに人形チックで適役。加えて今作はダッチワイフ役なので、可愛いだけじゃなくてエロい。公開時はR15指定だったし、見事な脱ぎっぷり。ぜんぜん卑猥じゃない。しかもそれを美しく撮っていて、もうペ・ドゥナのPVとしてだけで存在価値があるんじゃないか。



ただ…ただペ・ドゥナは可愛いしエロいし映像は綺麗だけれど、前半如何せん表情の無いときの眼を剥きだしたペ・ドゥナの表情は怖い。それでいて日本語が頑張っているものの片言なのでホラー映画っぽくなってる。「ワタシハクウキニンギョウ、ココロヲモッテシマイマシタ。。。」この台詞が幾度か繰り返されるけど、やっぱり人形が人間になったあどけなさとアジア訛りの片言の日本語は違う気がする。ただ流暢な時もあってその時は常盤貴子の台詞回しに似てる。

あと業田原作だから黒いのは当たり前なんだろうけど、ダッチワイフとして扱われるペ・ドゥナを観るのはやっぱり心苦しい。しかも相手は板尾さん。加えてバイト先のレンタルビデオ店の店長に脅迫されてレイプに近い形でセックスをさせてしまうくだりは唐突でグサっとくる。店長役が岩松了なので余計ショック。ペ・ドゥナの可愛さもエロさもスポイル。まぁペ・ドゥナのPV作っているわけじゃなくて映画を撮っているから当然といえば当然…。けれど中身にも疑問が。


「私は空っぽ」(気体的な意味で)とつぶやく空気人形に「みんな空っぽだよ」(精神的な意味で)と返す老人というシークエンス。ここで言われているみんなとは映画に登場するダッチワイフを恋人に見立てる中年男、スーパーの実演販売員のシングルファザー、過食症の女性、お局様的な中年OL、病気の老人、虚言癖の老女、悪徳警官にあこがれる警官、ビデオ店の常連のオタク、ビデオ店の同僚の若者と妻に離婚された店長らのことらしい。そしてこの”みんな”は皆、孤独。

命は自分だけでは完結できない。他者の存在によって生は完結する。だから必要じゃない人はいない、代わりなんていない、といった趣旨の詩を老人は続けて空気人形に伝える。性欲処理の代替物でしかない孤独なダッチワイフ、空気人形ですら存在意義があるのだということっぽい。では空気人形をこれらの人間と比して孤独ではないことを描くのか?と思ったら、未必の故意という形で恋人となった同僚を殺害してしまう。(しかもゴミ袋に入れてゴミ捨て場に!)

そして空気人形は空気を抜いて?死んでしまう。死を前にして空気人形は幻を見る。心を持ってしまってから出会った人たち皆に囲まれ自分の誕生日を祝ってもらうという幻。そこで出された誕生日ケーキの蝋燭を吹き消すと、眼が覚め吹き消したのは蝋燭ではなく、現実にはタンポポであったことに気付く。そして吹き飛ばされたタンポポの綿毛はその皆の下に飛んでいく。へ?何というメタファー。でもこの寓話の現実レベルがいまいちよく解んないので巨大なクエスチョンマーク。

空気人形と恋人である同僚との「私の中身は空っぽなの」、「僕も空っぽだよ」という会話が老人との会話と別にあって一連の会話が後半の同僚とのフェチプレイの悲劇に通じている。空気人形は物理的な話を意図し、同僚は精神的な話を意図するという老人の時と同様のすれ違いと同じ構図。その流れの中で同僚は空気人形を空気人形と知った上で空気を抜いて、自分で吹き込むプレイを要望。それで試みたされたのか空気人形も彼に空気を抜いて、空気を吹き込もうと彼の腹部に穴を開けようと刺す。

空気人形の悲劇ということなんだろうけど、映像で繰り広げられるそれは明らかにホラー。腹部に穴を開け、息を吹き込む空気人形。もちろん血まみれ。腹部から空気を吹き込めないと気付き、口から吹き込もうとする。結局恋人は出血多量で死んでしまう。その遺体を燃えるごみとして、ゴミ袋に入れゴミ捨て場に捨ててしまう(これも伏線がある)。で、結局空気人形も死んじゃう。登場人物と対してかかわり合うことも無く、物語的にも機能してない。これじゃテーマが表現できて無くない?単純に無知故の死みたいに見えちゃう。



ペ・ドゥナが大変に可愛いのに空気人形の孤独はよく解らない内に悲劇として完結してしまう。恋人である同僚を死に追いやっただけで周囲は何も変わっていない。いや現実はこうだよってことなのかもしれない。拒食症の女性なんかはスーパーでシングルファーザーと1カット同じ空間にいるだけだけど、それも他者ということなのかもしれない。駄目だ。苦手だ。同僚の前で空気が抜けるシーンはエロいけど、ホラー。

青い春

2010-03-27 | 休み
ミッシェルつながりで『青い春』。良い映画と噂だけは聞いていたけど、ミッシェル楽曲使用、松田龍平、新井浩文出演の学園モノという程度の知識のみで観る。


青い春


不良じゃなかったし、というか成れなかったし成る気もなかった人間で、不良マンガも映画も通ってきてないので『クローズ』も”close”だと思ってた(本当は”crows”)。というか嫌悪感しか抱かなかった。この映画の不良描写も嫌悪感を抱くんだけれど、嫌いじゃない感。単純な美学に終わってないところが凄い。美学は美学なんだけれど、どうしようも無いどうしようも無さがちゃんと描かれていて不良映画というジャンル映画を超えて普遍的な青春映画に成れてる。すげー。

暴力描写が徹底的に”痛い”。肉体的に痛い感じ。初めのうちはユーモアも交えて緩い感じに話も暴力も進んでいくけど、徐々に痛い暴力に。便所で雪男が大田を刺し殺してしまう場面の緊張感と暴力性。直接的には描かれない刺殺シークエンスは直接じゃないからこその暴力感。雪男が大田に徐々に苛立ちを募らせていく描写が見事で、観ている側にも雪男の苛立ちとその場の緊張感が伝わってくる。些細なことの積み重ねが状況を生み出してしまうのがよく解る。

それにしてもこの映画、サントラの質と量と演出が半端無い。ミッシェルとブランキーの既存の楽曲の選曲も良く、しかも映画音楽も二組とも違和感の無いものになっていてどの曲もしっくりきて映画に馴染んでる。この雪男のシーンで流れる「モナリザ」も、ラストの「ドロップ」も楽曲が映像に負けることなく、映像が音楽に食われることも無く、映像と音楽とが見事にシンクロしていて違和感無く眼にも耳にも入ってくる。特にラストにドロップ使って、エンドロールにもライブ版「ドロップ」を使ってしまうところに脱帽。

―「ドロップ」(Youtube)


友情が些細なことが積み重なって次第に瓦解してしまうことを淡々と描いてる。番長争い、部活での挫折、暴走族入り、ヤクザ入り、下克上、学校の仕切りなどなど文字にすると物々しいけど、映画での熱量は控えめでぼくみたいなもんでも観られる。その中で主人公?の九條と親友の青木の離別が本筋として描かれるんだけれど…たぶん多くの人が主人公である九條よりも一応はサブキャラクターでしかない青木に感情移入しちゃう。持たざるものが持つものを超越しようというプロットは来る。


松田龍平演じる九條は確かに単純に格好良いんだけれど、結局実の所青木が主役だったと。見事に新井浩文が松田龍平を食っちゃってる。ラストシーンはまさにpaint it blackという感じで鳥肌モノ。これ、観る人が観たら人生でナンバー1映画に成ってしまうんじゃなかろうか。本当に青い春だわ。そして2001年って9年も前なんだなぁ…今観るとキャストが非常に豪華。でも豪華に感じられないのが良いなぁ。とにかく面白い青春映画だ。ヤンキーモノが嫌いでも。


小人俳優を日本の映画で久しぶりに観れたので得した気分。小人俳優の人が凄い良いわぁ。九條たちと普通に話していたりするのが。九條とのサッカーのくだりも良い。

BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN

2010-03-26 | 休み
burning motors go last heaven
ファーストアルバム、『Cult Grass Stars』はデビュー作らしくかなり荒削りです。もちろんそれはそれで大変に魅力的なものも多分に含んでいるのですが、中期以降例えば『Casanova Snake』以降の楽曲と比べると成熟さや洗練という観点からすると若干物足りないのが正直な所です。それはデビュー曲の「世界の終わり」も例外ではなく、チバの詩もメロディーも後期に比べるとストレートです。演奏もかなり簡単です。

初期のミッシェルのアルバムも好きです。好きですがそれはやはり中期以降の成熟と洗練には代え難い。楽曲の洗練や演奏技術の向上もさることながらチバの声。喉がつぶれたことでシャウトがとんでもないことに今の日本で一番シャウトが格好良いメージャーシーンのボーカルじゃないんだろうか。唸るようなボーカルをかなりの低音から引っ張り上げて、それでも飽き足らずそれを高音までシャウトで持っていってしまう。ここまで低音部まで音域が広いボーカルもメジャーでは珍しい。

そんな初期の楽曲も極まっちゃったメンバーが演奏すればどうなるのか。アップスケーリングされたかのように曲の構成の密度が上がり後期の水準近くまで楽曲を引っ張り上げてしまいます。ある種爽やかさを称えていたチバのヴォーカルも瑞々しさにとげとげしい苦さを持って所期の楽曲に新しい魅力を与えてくれます。その全てを最高の演奏で観ることが出来るのが今作最大の魅力です。そのままでも最高ですが、CD音源と聴き比べればもっとその凄さが体感できる凄さ。

―「ブギー 2003/10/11幕張メッセ」(Youtube)


『THEE MOVIE』にあったような異物は挿入されず、基本的に当日のライブを忠実に収録しています。幕張メッセのあの3つホールをつなげた箱に、むき出しのオールスタンディングで客を入れてライブをやるってやっぱりそれだけで格好良すぎです。しかも取り立てて特別な演出は無く、大してMCがあるわけでもない。ただライブがあるだけ。