「日米開戦の日」を「不戦・平和の日」にしょうと12月8日にともし火を掲げて平和ウォークををする企画を進めている。
その話し合いの中で行進中の「シュプレヒコール」の内容が議論された。
原案には二つあって一つは、「憲法9条の条文」をコールするもので異議無く可決。
問題になったのは次のコールである。
★平和憲法をまもろう! ★戦争をさせないぞ! ★憲法九条をまもろう!
★平和な日本をまもるぞ! ★憲法改悪は許さないぞ!
★紛争は外交で解決しよう! ★武力を使うのは反対!
最初去年行進に参加したご婦人たちから、「去年コールしていて感じたのだけれど
文章が男言葉的でキツイ感じがして良くありませんでした。 ・・・しましょう。と言った柔らかい口調にしたほうが良いと思います。」との提案があり一同うなずいて採用となった。
そのとき、この行進の意義を熱心に訴え、参加を多くの方に呼びかけてみえる方から次のような問題提起があって一同再び深く考えさせられる事となった。
その方の発言。
★私は常づね思うのだけれど、こうした平和行進のシュプレヒコールには
「・・まもろう。」「・・ないぞ。」「・・反対。」とぃつた言葉が声高に叫ばれているが、そこには「守り」と「反対」の方向性しか感じられない。
平和・護憲運動はそれでいいのだろうか? 広く人々に訴えかけるとき「守れ」「反対」だけで理解や共感が得られるだろうか?もっと前向きの「平和のための国際貢献」を訴える事が大切なのではないか。
★この発言を聞いて私も常々、平和運動(9条運動)の方向について、今までのそれが余りにも「内向き」で臆病だったのではないか?と考えていた所だったのでその意見に共感を持ちました。
シュプレヒコールをこんな文言で訴えられたら共感を得そうな気がします。 「武力無き国際貢献をすすめましょう!」
「インド洋に医療船団を送りましょう!」
「イラクに復興のためのトラック部隊を!」
「アフリカに植林の自衛隊員を!」
その話し合いの中で行進中の「シュプレヒコール」の内容が議論された。
原案には二つあって一つは、「憲法9条の条文」をコールするもので異議無く可決。
問題になったのは次のコールである。
★平和憲法をまもろう! ★戦争をさせないぞ! ★憲法九条をまもろう!
★平和な日本をまもるぞ! ★憲法改悪は許さないぞ!
★紛争は外交で解決しよう! ★武力を使うのは反対!
最初去年行進に参加したご婦人たちから、「去年コールしていて感じたのだけれど
文章が男言葉的でキツイ感じがして良くありませんでした。 ・・・しましょう。と言った柔らかい口調にしたほうが良いと思います。」との提案があり一同うなずいて採用となった。
そのとき、この行進の意義を熱心に訴え、参加を多くの方に呼びかけてみえる方から次のような問題提起があって一同再び深く考えさせられる事となった。
その方の発言。
★私は常づね思うのだけれど、こうした平和行進のシュプレヒコールには
「・・まもろう。」「・・ないぞ。」「・・反対。」とぃつた言葉が声高に叫ばれているが、そこには「守り」と「反対」の方向性しか感じられない。
平和・護憲運動はそれでいいのだろうか? 広く人々に訴えかけるとき「守れ」「反対」だけで理解や共感が得られるだろうか?もっと前向きの「平和のための国際貢献」を訴える事が大切なのではないか。
★この発言を聞いて私も常々、平和運動(9条運動)の方向について、今までのそれが余りにも「内向き」で臆病だったのではないか?と考えていた所だったのでその意見に共感を持ちました。
シュプレヒコールをこんな文言で訴えられたら共感を得そうな気がします。 「武力無き国際貢献をすすめましょう!」
「インド洋に医療船団を送りましょう!」
「イラクに復興のためのトラック部隊を!」
「アフリカに植林の自衛隊員を!」