ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

毒をそそいで、薬を与える

2022-02-14 15:24:03 | 思ったこと
昔、仕事でデイサービスに関わっていた時に
ある心臓に問題を抱えた方が来ていた
あるコンビニエンスストアのオーナー家族に属する
その人は、売れ残りの弁当を食べていた。

やる気がなくて、運動もしない。
人とも関わら無い。
デイサービスに来ても大概横になっていたり
リハ担当者から運動を促されてもやる気がなかった。
身体もむくんでいて、
まだ60代と若かったし、障害も重症ではなかったのにも
かかわらず、ただただ悪くなっていくような行動ばかりになっていた。
家族は、仕事が忙しくてその人に関われないから、
日中そこにいるしかなかった。

その人をみていて、

身体に毒を注いで
それを治すために
運動を処方し
薬を与えているんだな。。と

鉢植えに毒を注ぎながら、
肥料を与えてるみたいな形を想像していた。

毒を注いで薬を与える。

なんの意味があるんだろうと思った。
効果のでないことを繰り返すために
医療費や
介護保険が
無駄に使われているんだなあ、としみじみおもった。

どちらが本当なのかなんてワタシにはわからない

2022-02-14 15:09:51 | 思ったこと
今日、重装備の医療従事者が来た
オミクロン株対策なのだろう。
いままでしていなかったゴーグルとマスク。手袋。
そういえば、前もフェイスガードと防護用のエプロンつけた人、来てたっけな。

なんだかカラクリはわかってきた。
おそらく、恐ろしげな情報を与えられるんだと思う
上から。
感染すると怖い情報。

一方、長尾クリニックの先生は、
おそらく先入観を植え付けられる前から
直接コロナ患者さんをたくさん診療したから
ことの本質をすぐに掴めたのだろう。
今日はニコ動のなかで、
ある大きな病院をやめて、
コロナ病床、重症病床、在宅 ワクチン接種まで、コロナ関係にずっと関わってきたという看護師さんが
「先生。これはおかしいことが起きている、先生手伝いますよ」
と言っていたという。
さすがに先生も感極まっていた。

一方、コロナ関係でテレビに出ている専門家や、厚生労働省の関係者など
知り合いや親しい人が、長尾先生の言ってること、やってることを無視するんだという。そしていくら語りかけてもわかってもらえないのだと。
もう、彼らにとっての真実と
長尾先生にとっての真実はまったく
別次元なんだ

ワタシだって、どちらが本当かなんてわからない。ただ
冷静にお金の流れと、データなどを見ていたら、
これはわから無い方がおかしいと思ってしまう。
あきらかに病を利用した社会操作であり、人心操作であり
詐欺であり、犯罪なのだ。
でも
多くの善良な人にはわかってもらえない。

どちらも
どの人も
自分の真実なのだと向き合っている

大きな視点でそれを見つめている。

人間はお金

2022-02-14 08:36:37 | 思ったこと
このところ
人間は、お金になるということなんだなあ
とつくづくおもう
中国の人身売買をみて、ぞっとする
臓器、肉体、その「若さ、性別」の価値
それを売り買いする
そういう世界だけが、「人身売買」ではない。
人は生まれてくる前から、
なんらかのお金になると目をつけられているのだ

それこそ、胎児の頃から、
その堕胎された遺体はどこへいくのか
私たちは知らない。
胎盤 プラセンタエキスとか 
そういう商品はどこからやってくるの?
アドレノクロムという薬は、
どこからやってくるのか?
生まれた時は、服を買い、
何かを食べる
なんらかの薬剤の標的になる。
子供が成長すれば学校
学業、そして、大学
大学は、教育産業
人の序列を決めて、そこに付加価値をつける
そのために人々はお金を払う。

仕事につき働き、
価値のある仕事をしなければ
お金を生み出さねばとせきたてられ、
人間らしい暮らしを犠牲にして
毎日毎日を生きる

結婚、子育てを経て
老年期
今度は病院や施設に入る。
年金が施設に払われる

死んだ後は、お墓に入る。
どれもお金だ。
お金の目的にされているんだ。

なにをいう、当たり前じゃんと
いうのかもしれない。
そうか、そうか、そうだね
それが当たり前だね。

でも、なんか
かなしい。

白い部屋で

2022-02-14 08:20:27 | 思ったこと
今、自宅にいる。
自宅は、田舎の自宅。
数ヶ月前は、都会にある建築物(マンション)に住んでいた。
事情があって、そこに引っ越したのは7年も前
田舎の家を置いて、私たち家族は猫をつれて、
そこへ引っ越した
私は自然の環境が好きだったので
都会に住むことになると思っていなかったので
どうしても違和感があった。
白い壁紙の部屋で
毎日、どうしてここにいるんだろうと思っていた。
今は、こうして古い方の自宅にいろんなひとの援助を受けて住んでいる
どういうわけか、というか、
コロナの時代がきたから、どうしてもこちらにこなければ
私の心が崩壊寸前だった。

ある日、白い壁の家にいる。
LEDの電気で煌々と照らされた室内はどこにも逃げ場がない
窓をあけると、どこまでもコンクリートで覆われた世界が広がっている
これだけ、たくさんのひとが住んでいるのに、なぜ?と思う
どうして、こんなことが罷り通るのだろうと
見知らぬ人しかいない見知らぬまちの
白い部屋で、
自分は、今までのことを捨て去って
「生きる」
生きるってなんだろう?

あたたかな木の温もりや、
慣れた場所 慣れた顔
自然の季節の匂いをかぎながら、四季を感じながら、過ごすことが
なぜでき無いんだろう?

食べ物と水と、寝床と、白い部屋があれば、生きていけはするけれど
それが、生きているなのか

切り花の気分
根っこがないのだ。

そして、毎日目がさめる

ここはどこ?
わたしはだれ?

施設に入った親戚のおばさんの話を聞いて、
人の人生は容易でないな、と思った。
自分の入る施設を決めるんだと彼女は言っていた。
それは、まもなく実現してしまった。
認知症という診断がくだって
彼女の一人暮らしは、強制的に終了した。

彼女の娘は、
「主治医の先生は、俺にまかせておけって言ってくれましたから」
「今は歩け無いんですよ」

つい最近まで歩けたのに・・
病気が進んだから?
久しぶりに会話した 叔母は前と変わらぬ声
会って見なければわからないけれど、
ふらつき、転倒する可能性があると言われている
副作用のある薬を処方されている。
あの小さな体に、規定通りの処方量
それが原因だと、言い切れるわけではない。
でも、それは・・・

「歩け無いから、介護3になれば、これから特別養護老人ホームへ申請が出来ると思います」
娘さんは、そう言った。
それからいくら連絡してもつながらない。

あの、白いマンションの部屋に住むことがなければ

お年寄りが、施設に入るということの
意味が、身に染みてわからなかった。
自分ごとと考えられなかった。

施設に入るという選択が全て悪いといっているわけじゃない
生きるためには、仕方ないということも確かにあるのかもしれないけれど

通帳がなくなった、
ガス料金が払えなくなったという
現実 生活の支障
施設に入るしか、生きていく道はないという選択
それ自体、だれが責められることでも
ないのかもしれないけれど。