ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

プログラム

2021-02-28 09:48:23 | 思ったこと
昨日、博士ちゃんという番組で
チェロを14歳にして作ってしまった浅川遊くんが紹介されており
葉加瀬太郎氏に現物を見せて、音色を聞かせて・・
というのを見ていた。

彼は、「百年後には木が乾燥して収縮し、厚みが減るだろう」と予測して
木を削っていた。設計図はチェロの史上最高傑作のもの、
それに改良を施していた。

私はそれを観ていて
子供はやはりプログラムをもって天から生まれてくるのだと思った。
彼はおそらく、
14歳から始めれば、天寿を終える頃には
さらに進化した、最高傑作のチェロを作れる、そんな人生を歩みたいと
計画して来たのだ。

人は生まれる前から
あらかじめプログラムをきめてくるらしい

たった2歳で音程を外さずに長い歌を歌う子供が話題になっているが
天性のものというより
転生のものという感じがしてしまう。
誰が教えたわけでもなく、備わっているものには
前世の影響が残っているに違いないと思う
どうしてそんなことをおもったかというと
このテレビをみる前に この動画を観たから

私は飯田史彦さんという人も その著書の「生きがいの創造」という本も
知らなかったので、サンプルをダウンロードして電子書籍で最初のところだけ読んでみた。
今この時代に生きているのも、生まれる前に決めてきたことなのだろうと、
上記動画の細江さんは言う。
以前の記事で、私はおそらくこの時代を宇宙から観て、ここにくることを決めたのだろうと書いた。時間という概念を超えて、と。普通に時間軸で考えれば変な話だけれど、そう直感したので書いた。時間というのは流れていくものではなく、重なっているもので、同時に存在するのではなかろうか、とその時おもったからだ。それが当たっているのかどうかは私にはわからない。

とにもかくにも、たった14歳で
葉加瀬太郎氏に「面白い男だ」と言わしめてしまう浅川遊くんの存在そのものが、
「私たちの魂は、プログラムを決めてここにきているんだ」と
確信させるだけの説得力があった

最後に、葉加瀬太郎氏が、彼にレッスンしていた内容が胸をうった。
みるみるうちに 浅川くんの演奏はよくなっていった。
想いが、音を変化させる。
音楽はすごいな、人の想いはすごいな。
と思った
(ここらへん語彙がなくてかけません・・すみません)






うっかり春

2021-02-27 11:05:43 | 思ったこと
冷蔵庫の野菜室
最近野菜が安いので つい
買いすぎてしまって
うっかり忘れていて

咲いてしまった

茹でるか
そのまま咲かせるか
迷ったが

咲かせてみた。


うっかりしたおかげで
家の中に春が来た。

心があれば 心がなければ

2021-02-23 16:51:37 | 思ったこと
心がある
猫にも
豚にも
犬にも
牛にも
うさぎにも

心がある。
犬にも
猫にも
牛にも
いのししにも
鳥にも

心がある。
人間にも
お年寄りにも
子供にも
奥さんにも
お父さんにも
あかちゃんにも

心がある
心がある。

だから悲しい
だから楽しい
だからこわい
だから、愛してる
だから、


いろいろなことを感じる
いろいろなことを思う

狭いところはいや
狭いところが好き
広いところは好き
広いところがきらい

いろんな思いがあって いろんな想いがあって、いろんなところで
いろんな人が 住んでいる
いろんな動物が いろんなところで いろんな 暮らしを営んでいる。

だれもが自由なんだよ
だれもが 自由なんだよ

自分が、好きなところで 自分が、なれたところで

かぞくと一緒に暮らしたいんだよ
自分の 家族と一緒に 自分の好きな相手と一緒に
きままに だれかと

こころがあれば それはごく ふつうのこと。
こころがあれば それは ごく ふつうのこと。

誰かが、それはしちゃいけません と制限したり
誰かが、あなたは それを 考えてはいけませんと 制限したり

誰かが あなたの 考え方を 修正します
あなたの自由を奪います と言われたりはしたくないんだ。

こころが あるからねえ。
こころ があるから ねえ

こころを なくさない かぎりは 想いがのこる
こころを なくさない かぎりは 想いがのこる。

想いは、おわらない。
こころがあるからおわらない。
想いは ある
想いは 生きていても
死んでいても。

呪術

2021-02-19 23:58:00 | 思ったこと
何年か前の申年
十二支について書かれた本を読んで
申年の魔除けカラーは赤なんだと知った

さるぼぼとか赤いのは何故かご存知でしょうか

申は金気に属しており
金 生 水 と言いまして
金が 水を 生じる
ので

水の害が起きる危険を避ける意味で
赤=火を お守りにすると良い
という
発想だったようで
はー、
と思ったことがあります。

昔はこのように
風習における意味づけなどについて
もっと我々日本人には認識があったのではないか。
そして
それらはおそらく、戦後
「科学的ではない」「迷信だ」
という風に処理されて我々の目の前から
情報が消えて、認識する機会がなくなってしまった。

「迷信」「根拠なし」「昔の人は科学を知らなかったから、こんなコトを信じたのね」的な
さまざまなシンボル(鳥居、お札、御守り、神聖な場所、お祭り、節句など儀式的なもの)を、忘れ去り、「科学的な」「新しい」「裏付けのある(と言われている)」現代の情報の波に飲み込まれ、新しい情報に埋もれさせられ
日本という国はどこを目指しているのでしょうか

一方で
このコロ騒ぎやワク珍騒ぎによって多くの人々が
存在を初めて知った「ill海奈貞」(この当て字わかります?)やら「ネ●利●」(これはわからないかも)などの「阿久間的」(これも当て字です)なヒトビトが何をしてきたかというと
さまざまな彼らのシンボリズムの『これでもか』「うりゃ、うりゃ、これでもか、これでもか」というカンジの「誇示」

最初は何故、こんなに皆様 暗示的なことを好んでするのかニャー
いうくらいにしか思って中田です(ここを当て字にする意味は🍐)

脳を攻撃し
人間の精神を破壊するコトをどうもやっぱり目的として
さまざまなコウゲキをなさっていらっしゃった(敬語?)というか
さまざまなコウゲキを受け止めさせてイタダイタ(謙譲語?)
あのカタガタ
こそ
非科学的ともいえる『儀式』や『シンボリズム』など
念を込める行動、呪術類(類と言っていいのやら)を

彼らこそが
それらを
どれだけ重視して
モニュメントやら、映像作品やらさまざまな場所に散りばめて
ヒトビトの潜在意識にすりこんでこたことか

ということは
これら
『迷信』と言われるモノの価値を
過小評価させ
精神性や、信仰心を失わせ
人としての情緒を削ぎ落とす事が
かれらにとって
どれだけ「必要に駆られて」
行うべき 行動計画だったか。

つまり逆から言えば

これらの
念を込めた
呪術や儀式
(古代のヒトビトの知恵に裏付けられた)
行う
我ら
人民の思考 精神 思念の動きを
いかに制御しなければ
ならなかったか。

つまり
彼らが
じつは

なにが
最も
恐ろしいものだと
認識しているか。

次第に
炙り出されてくる


コロで集会をなくして
ネット社会にして情報の検閲をし
情報を隠し
ビョウキ情報でおそれさせ
脅し
奪い去った自由とひきかえに
精神を司る 脳を 破壊する惑沈を

どれだけ 用意周到に
お金をかけて
努力して
がんばって。。。







さて
祈るとするか✨