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いよいよ大仏様。エジプトのピラミッド同様に、建造には多くの人手を集める必要がありました。
国宝「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」尊像
解説は浦野さんのHPより http://urano.org/kankou/index.shtml
749年(天平21年)2月陸奥国小田郡から国守百済王敬福が献じた黄金440キロで鍍金し、大仏がほぼ完成したのは752年(天平勝宝4年)春、大仏鋳造 と大仏殿を建立したのは、金知識37万4902人と役夫51万4902人、木材知識5万1590人と役夫166万5071人、総数約260万3千人です。これら役夫の人々が大佛師の下国公麿、大鋳師の高市真国の指揮下、6年の歳月を要して、開眼供養会は、752年4月9日に聖武上皇と光明皇太后、娘の孝謙天皇(安倍内親王)ご臨席の下、大納言藤原仲麻呂、左大臣橘諸兄を始め文武百官が従い、良弁僧正を始め参列した僧呂は1万人で、庶民は参列せず、開眼導師は病弱で筆も持てない聖武上皇に代わり、婆羅門(バラモン)僧正菩薩のインド僧遷那(せんな)が、長さ57センチ、直径4センチの極太の筆に墨を含ませ、高さ15mにも及ぶ大仏さんに目を入れました。なお、その時用いられた筆は今も、正倉院に保管され、数年前の正倉院展で、その模造品が展示されました。

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大仏殿前の国宝「八角大燈籠」 浦野さんの HPより
大仏殿を取り囲む回廊の中門から、石段を少し下りて、石畳を歩いた突き当たりに大きな金銅製の「八角燈籠」が建っています。高さは4.6mもあり、東大寺創建当初の物で、1101年に修造して宝珠に火焔を付け、1180年(治承4年)12月28日平重衡(たいらノしげひら)の南都焼き討ちと、1567年(永禄10年)10月10日松永久秀の兵火と、2度にわたる大仏殿の炎上にも無事にくぐり抜けた歴史的な遺品で、天平時代の工芸技術の粋を今に良く伝え、燈籠の造りは、基壇、竿、火袋、笠、宝珠から成り、竿には燃燈の功徳等を説いた経典が抜粋して刻まれ、その上の大きな火袋の両面開きの扉四面には雲の中を走る四頭の獅子、他の四面には音声菩薩(おんじょうぼさつ)がそれぞれ菱形格子の透し地に浮彫りされ、とりわけ音声菩薩の意匠は素晴らしくて、しなやかな体つき、楽器を操る腕先と胸の間の遠近感、風を受けてなびく天衣など、立体的表現が見事です。そして、燈籠の右で手と口を洗い、段を上がると大仏殿です。以上
東大寺の入場券には8世紀と書かれています。

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音声菩薩(おんじょうぼさつ)の透かし彫り
4つの面に描かれています。
天平の芸術・技術の粋です。
私の高校生修学旅行の時に脳裏に刻み込まれました。

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