2002.7.26
雷鳥 雉に近いライチョウ科 室堂平にて
貴重な鳥なのに激減しています。氷河期の生き残り。
高山なので生存してきました。分布の南限です。
夏はこの色、冬は真っ白。保護色の典型です。

数羽の雛が母親についています。母は時々振り返ります。
激減の原因はカラス・サルなど色々ありますが、最大は人間。
これだけ人が集まるとおちおち出来ません。残飯などから病気がうつります。

地獄谷 箱根にもありました。行幸なさるのに地獄とは失礼だと、大涌谷と名を変えたそうです。
ガスが危険なので早々に離れました。

いよいよ下山。下に黒部湖が水をたたえています。
左がダム。

ダムから立山を見上げました。

黒部ダム
黒部川第四発電所が近くにある。したがって通称・黒四ダムという。
1956 昭和31.5 工事開始。34年コンクリート打ち込み開始。38.6 完成。

最大規模のダムです。

観光放水もします。たまたま虹がかかりました。

ダム横にある犠牲者の碑。人数ははっきりしませんが、あるwebサイトには
171人と書かれています。
昭和32.5 関電トンネル(大町トンネル)で大破砕帯にぶつかりました。
大きな圧力、崩れる土砂、最大の難関で多くの犠牲者がでました。
三船さんや裕ちゃんの映画・プロジェクトXに描かれました。
しかし、吉村昭の小説『高熱隧道』(新潮社)を読むと黒四ダム工事との関連が
疑問になります。46℃の湯でもやけどをするのに、130~140℃の岩盤に突き当たり、
ダイナマイトも自然発火しました。
これは黒四ではないのです。以下webより・・・知取気亭主人
小説が扱う第三発電所工事は、トロッコ電車の終点「欅平」からさらに上流の仙人谷に
取水用のダムを建設し、そこでせき止めた水を導水トンネルで下流に送り欅平で一気に
落下させて発電しようとする計画で、昭和11年8月に始められた。
千人谷での取水用ダムの構築・取水口・沈砂池の建設、千人谷から欅平までの水路・
軌道トンネル(総延長約5.2㎞)の掘削、欅平の発電所建設工事が主なもので、3工区に
分けて発注され最も下流側の工区は現在のスーパーゼネコンである大林組が受注している。
最上流工区(第一工区)のトンネル705㍍が、タイトルにもなっている高熱隧道である。
この工区を請け負ったのは加瀬組であったが、掘削の進捗に伴い坑内の岩盤温度は上昇し続け、
このことが原因で約一年後の昭和12年、工事を続けることに技術的な自信を失い工事放棄を
してしまう。資金的な問題もあったようだが、それほどまでに岩盤温度の上昇はすさまじく、
ダイナマイトの自然発火など作業は困難を極め、加瀬組の後を引き継いだ第一工区と第二工区
の両工区を施工した佐川組の犠牲者は233名に及んでいる。
また、黒部のような山岳地帯では、地下深部の高温岩盤だけではなく全てを包み込む純白の
雪も時として牙をむく。第二工区の志合谷では、音速の3倍以上の速さを持つとされる爆風を
伴うホウ(泡)雪崩が発生し、鉄筋コンクリート5階建て宿舎の2階以上が忽然と消え、75名の
尊い命を奪っている。ホウ雪崩の破壊力はすさまじく、想像を絶する光景を目にすることに
なるが、その辺りを吉村は次のように表現している。
『爆風は、宿舎の二階から上部をきれいに引き裂いて、比高七八メートルの山を超え、宿舎
地点から五八〇メートルの距離にある奥鐘山の大岩壁にたたきつけている。途中に宿舎の破片
らしきものがなにも発見されないところから、宿舎は、そのままの形で深夜の空中を運ばれた
と想像された』
雷鳥 雉に近いライチョウ科 室堂平にて
貴重な鳥なのに激減しています。氷河期の生き残り。
高山なので生存してきました。分布の南限です。
夏はこの色、冬は真っ白。保護色の典型です。

数羽の雛が母親についています。母は時々振り返ります。
激減の原因はカラス・サルなど色々ありますが、最大は人間。
これだけ人が集まるとおちおち出来ません。残飯などから病気がうつります。

地獄谷 箱根にもありました。行幸なさるのに地獄とは失礼だと、大涌谷と名を変えたそうです。
ガスが危険なので早々に離れました。

いよいよ下山。下に黒部湖が水をたたえています。
左がダム。

ダムから立山を見上げました。

黒部ダム
黒部川第四発電所が近くにある。したがって通称・黒四ダムという。
1956 昭和31.5 工事開始。34年コンクリート打ち込み開始。38.6 完成。

最大規模のダムです。

観光放水もします。たまたま虹がかかりました。

ダム横にある犠牲者の碑。人数ははっきりしませんが、あるwebサイトには
171人と書かれています。
昭和32.5 関電トンネル(大町トンネル)で大破砕帯にぶつかりました。
大きな圧力、崩れる土砂、最大の難関で多くの犠牲者がでました。
三船さんや裕ちゃんの映画・プロジェクトXに描かれました。
しかし、吉村昭の小説『高熱隧道』(新潮社)を読むと黒四ダム工事との関連が
疑問になります。46℃の湯でもやけどをするのに、130~140℃の岩盤に突き当たり、
ダイナマイトも自然発火しました。
これは黒四ではないのです。以下webより・・・知取気亭主人
小説が扱う第三発電所工事は、トロッコ電車の終点「欅平」からさらに上流の仙人谷に
取水用のダムを建設し、そこでせき止めた水を導水トンネルで下流に送り欅平で一気に
落下させて発電しようとする計画で、昭和11年8月に始められた。
千人谷での取水用ダムの構築・取水口・沈砂池の建設、千人谷から欅平までの水路・
軌道トンネル(総延長約5.2㎞)の掘削、欅平の発電所建設工事が主なもので、3工区に
分けて発注され最も下流側の工区は現在のスーパーゼネコンである大林組が受注している。
最上流工区(第一工区)のトンネル705㍍が、タイトルにもなっている高熱隧道である。
この工区を請け負ったのは加瀬組であったが、掘削の進捗に伴い坑内の岩盤温度は上昇し続け、
このことが原因で約一年後の昭和12年、工事を続けることに技術的な自信を失い工事放棄を
してしまう。資金的な問題もあったようだが、それほどまでに岩盤温度の上昇はすさまじく、
ダイナマイトの自然発火など作業は困難を極め、加瀬組の後を引き継いだ第一工区と第二工区
の両工区を施工した佐川組の犠牲者は233名に及んでいる。
また、黒部のような山岳地帯では、地下深部の高温岩盤だけではなく全てを包み込む純白の
雪も時として牙をむく。第二工区の志合谷では、音速の3倍以上の速さを持つとされる爆風を
伴うホウ(泡)雪崩が発生し、鉄筋コンクリート5階建て宿舎の2階以上が忽然と消え、75名の
尊い命を奪っている。ホウ雪崩の破壊力はすさまじく、想像を絶する光景を目にすることに
なるが、その辺りを吉村は次のように表現している。
『爆風は、宿舎の二階から上部をきれいに引き裂いて、比高七八メートルの山を超え、宿舎
地点から五八〇メートルの距離にある奥鐘山の大岩壁にたたきつけている。途中に宿舎の破片
らしきものがなにも発見されないところから、宿舎は、そのままの形で深夜の空中を運ばれた
と想像された』