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子たちは大阪の万博公園へも行きました。1970年の世界万国博を記念する公園です。
岡本太郎の太陽の塔は哲学的、宗教的にいろいろな意味合いを持っています。
70メートルの高さと複雑な構造。耐震性など多くの関係者の苦労はいろいろ大変でした。
岡本太郎は丹下健三が推薦して万博の重要な立場になりましたが、考えの違いから多くの葛藤がありました。
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顔は四つあります。
① てっぺんは黄金の顔 未来を表す
最初は目から光を放っていた。大阪空港に近いので、光には気を遣った。
② 正面胴体には太陽の顔 現在を表す
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未来を見つめる。最初は光も放った。
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③ 裏側には黒い太陽 過去を表す
四番目は?
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中には入れました。
中空になっており、「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントが中心に位置している。
万博開催中はパビリオンのひとつとして塔の内部に入ることができ、さながら胎内巡りの様に
音楽やナレーションを聞きながら鑑賞するという趣向になっていた。
8 太陽の顔 現在を表す
④ 第4の顔 「地底の太陽」(太古の太陽) ウイキより
このほか、地下空間も設けられており、そこにも「地底の太陽(太古の太陽)人間の祈りや心の源を表す」
と呼ばれる第4の「顔」(直径3m、全長13m)が設置されていた。ただし、生命の樹同様万博終了後は閉鎖され、
1993年を最後に様々な処理のドサクサで行方不明となってしまった。現在も手がかりとなる情報はなく、
引き続き情報提供が呼びかけられている。しかし、2014年7月30日、府の有識者会議は第4の顔を復元し
2016年度末の公開を目指す意向を明らかにした。予定は1年延期となっている。
万博終了後、兵庫県が太古の太陽を美術館展示の為に兵庫県に搬入したがその後計画がうやむやになり、
太古の太陽は荷造り(分解)状態のまま放置されたという。最後に所在が確認された場所に現在太陽は
置かれていない。兵庫県にも細かい保管の記録は残っていない。太陽の置かれていた場所は倉庫でも
なんでもなく、廃材置き場のような場所に野ざらしであったとの話もある。
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阪急電鉄
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阪急 梅田駅