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皇居前広場の松が育って見事です。若い頃に見た松は小さかった。
二重橋近くのこの広場へくると思い出します。昭和20年8月15日の午後、敗戦を知った多くの人たちが宮殿に向かってぬかづき、泣きました。
六十数年前の世界大戦では多くの人々が地獄の苦しみをあじわい、亡くなりました。
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見事な枝振りのものも多い。
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背景は大手町のビル群。
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正面は宮内庁。左は坂下門。
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桔梗門
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巽櫓。この横が和田倉噴水公園。
観光客、外人さんが多い。皇居の開放された場所は美しい公園です。時々散歩します。国民の財産だと思っています。
皇室・天皇は先の大戦にかかわりなかったとはいえません。しかし、戦後の日本を平定する政策として温存されました。皇族とはストレスの塊だと言った人がおられます。大変な公務ですが、世界平和にお尽くしください。
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人気の場所ですが、これは二重橋ではありません。正しくは西丸大手橋(石橋)です。ここを渡ると正門です。正面は伏見櫓。
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本当の二重橋はこの奥です。左が正門。
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正門に二人の若い皇宮警察・皇宮護衛官・儀杖隊員が直立不動。誰もいないときは隣と携帯で雑談するそうです。(石橋手前のベテラン警官と仲良くなり、いろいろな話ができました。)
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これが本当の二重橋です。石橋から正門をくぐり、大きく曲がってこの鉄橋(正しくは西丸下乗橋)を渡り、右の宮殿へ進みます。
昔は木の橋でした。その写真を観光客に見せて説明するベテラン警官は親切なおじさんでした。ここは水面から高いので、木の橋は二段組になっていました。それが二重(ふたえ)の始まりです。石橋と鉄橋の二つの橋が重なって見えるので二重橋とする考えも正当化されつつあります。
江戸時代:西の丸が改修された際に架けられる。
1888年(明治21年):改修される。
1954年(昭和29年)1月2日:皇居一般参賀時に一般参賀者が二重橋上で将棋倒しになり、16名が死亡。
1964年(昭和39年):皇居宮殿建設の際、現在の橋に架け替え (Wikipedia)