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NJの山花旅

山花旅の写真が多数。環境問題と歴史、時事も加えます。

京都・太秦 広隆寺

2017年01月21日 16時42分51秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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嵯峨嵐山の東、映画村のある太秦(うずまさ)には広隆寺があります。

中国から朝鮮半島経由で渡ってきた漢民族帰化人、秦氏(はたうじ)と関係が深いお寺です。

創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、薬師信仰とともに
聖徳太子信仰を中心とする寺院となった。
現在の広隆寺の本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像である。
 
『日本書紀』等に広隆寺草創に関わる記述があり、秦氏の氏寺であることは確かだが、弘仁9年(818年)の火災で
古記録を失ったこともあり、初期の歴史は必ずしも明確ではない。
秦氏は、秦(中国)から渡来した漢民族系の帰化人といわれ、朝鮮半島を経由し日本に渡来したという。
葛野郡(現・京都市右京区南部・西京区あたり)を本拠とし、養蚕、機織、酒造、治水などの技術をもった一族であった。
広隆寺の近くにある木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)や、右京区梅津の梅宮大社、西京区嵐山の松尾大社(ともに酒造の神)
も秦氏関係の神社といわれている。なお、広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って、広隆寺境内から
現社地へ遷座したものである。
 
『日本書紀』によれば、推古天皇11年(603年)聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる
者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝が、この仏像を譲り受け、「蜂岡寺」を建てたという。
一方、承和5年(838年)成立の『広隆寺縁起』(承和縁起)や寛平2年(890年)頃成立の『広隆寺資財交替実録帳』
冒頭の縁起には、広隆寺は推古天皇30年(622年)、同年に死去した聖徳太子の供養のために建立されたとある。
 
弥勒菩薩像の由来
広隆寺には「宝冠弥勒」「宝髻(ほうけい)弥勒」と通称する2体の弥勒菩薩半跏像があり、ともに国宝に指定されている。宝冠弥勒像は日本の古代の仏像としては他に例のないアカマツ材で、作風には朝鮮半島の新羅風が強いものである。一方の宝髻弥勒像は飛鳥時代の木彫像で一般に使われるクスノキ材である。
前述のとおり、『書紀』に推古天皇11年(603年)、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜ったことが記されているが、『書紀』には「尊仏像」とあるのみで「弥勒」とは記されておらず、この「尊仏像」が上記2体の弥勒菩薩像のいずれかに当たるという確証はない。(ウイキ)

 

 

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紅葉の京都 嵐山 渡月橋

2017年01月16日 09時23分34秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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今年もよろしくお願いいたします。年始の忙しさも過ぎ、ブログに戻りました。

子たちの昨年11月の旅は続きます。

11月20日 京都嵐山付近は混雑していました。

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保津川、タモリが好きな断層地帯。 ヘリ です。ブラタモリ記念にタモリは桜を植えました。

渡月橋が落ちないかと心配するほどの人。外国から観光客も多い。

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天竜寺の横

 

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ドラマ真田丸の大阪城近況

2016年11月29日 10時26分27秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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去る11月20日、子の夫婦が関西旅行の一端として早朝の大阪城界隈を散歩しました。

大河ドラマ「真田丸」は大詰めです。今の世界のように、だましあいだったのですね。

大阪の人は太閤さんが建てたと思いたいが、最近の発掘調査で、その古い城は下に埋もれていました。

以下フリー百科より(ウィキ)

 徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、天下普請を行い藤堂高虎を総責任者とする。全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれた。また天守など建物も構造を踏襲せずに独自のものに造り替えることになった。こうして大坂城天下普請が始まる。

徳川氏の目的は、この天下普請を諸藩に課すことによりその財政を逼迫させ、財政的にその勢力を削ぐことであった。天下普請の結果、大坂城の城郭の大きさは豊臣時代の4分の1の規模に縮小されたものの、天守はその高さも総床面積も豊臣氏のそれを越える規模のものが構築された。二重に廻らせた堀割は江戸城をしのぐ規模のものとなった。

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京都と湖東の紅葉めぐり 31 エピローグ

2015年03月28日 09時28分52秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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11月20~22日の旅は終わりました。

たまにはと、費用が高めのツァーに申し込みました。13人の旅、新幹線東京からはグリーン車一両貸切状態。

主としてバスですが、狭いところではタクシーが手配されました。

天候に恵まれて、すばらしい旅でした。

宿は二泊とも、大津の琵琶湖ホテル。京都にも近い良い高級ホテルでした。

 

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夜景も素晴らしい。

 

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夕方

 

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噴水が見えた方向

 

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比叡山方向

 

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9月14日から始めたこのシリーズは半年もかかりました。

写真も270枚を越し、閲覧、ありがとうございました。

次をお楽しみください。

 


京都と湖東の紅葉めぐり 30 洛北の平八茶屋

2015年03月27日 11時18分36秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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このシリーズはようやく終盤になりました。昨秋以来です。

お世話になったお店です。

洛北 鴨川上流 高野川縁 平八茶屋

昼食をいただいたお店です。 宿、会席料理等、高級クラスです。

 

 

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二階の窓。下は高野川。

 

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高野川

 

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京都と湖東の紅葉めぐり 28 曼殊院

2015年03月15日 09時45分56秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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フリー百科より

曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。

山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。

竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、

青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。

国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。

 

 

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京都と湖東の紅葉めぐり 27 詩仙堂

2015年03月04日 09時25分38秒 | ★関西の紅葉 奈良 京都 滋賀

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 詩仙堂 (しせんどう)  丈山寺 凹凸窼の一室
   石川丈山:漢晋唐宋の詩家三十六人の絵詩を掲げた。朱子学を学ぶ。徳川家康、浅野候に仕えた。煎茶(文人茶)の開祖。
     1641詩仙堂造営59歳。90歳で没。

 

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