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マイガーデン 最近
珍しい花です。花ネギ・アリウム
多くの園芸種が出ています。これは ユニフォリウム
早く言えばネギ坊主。ヒガンバナ科 ネギ亜科 ネギ属(Allium) 最新の分類法です。
遺伝子の分析で、分類が刻々と変更されています。
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アリウム モーリー 別名 キバナノ ギョウジャニンニク 欧州ピレネー山脈産
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パープル センセーション
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本題です。
NHKの朝ドラは多くの名曲を世に出した古関ゆうじの話。「エール」
志村けんさんは貫禄ある山田耕作の役として数回登場。楽しみです。
ザ ドリフターズは前身や浮沈、メンバーの入れ替わりなど、複雑な歴史があります。
初期は音楽バンド。メディアに乗るとコント・ギャグが増えました。
ビートルズの来日の時、裾で支援しました。
関係者
いかりや長介 桜井輝夫 荒井注 高木ブー 仲本工事 坂本九 綱木文夫
加藤茶 志村けん 小野ヤスシ なかにし礼 すわ親治
クレージーキャッツのハナ肇
志村けんは荒井注が離れた後に代わりに参加。それまで付き人でした。
田舎者と言われてやけになって東村山音頭を歌ったら、大うけしました。
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4月4日のForbes Japan web で愉快な話を読みました。紹介をお許しください。
一人のアメリカ女性が、ドリフターズ、志村けんさんを愛した話です。
英文毎日局長などを歴任後、「AFPBB News」編集顧問も務めたジャーナリストの伊藤延司氏は語った。
志村けんの訃報に接し、瞬時に蘇ったある女性の記憶----。
彼女はザ・ドリフターズをこよなく愛するアメリカ人だった。
名前は確か「ゴーモン」さんだったと思う。
僕は昭和天皇が亡くなる直前の1988年10月から92年11月までほぼ4年間、毎日新聞社で英文局長をしていた。
ゴーモンさんは、そのころ知り合ったアメリカ人女性だった。
時代が昭和から平成に変わったころだから、30年以上も前の話である。
私は昭和最後で平成最初の英文局長になったのである。そんな僕が手始めに試みたのは、
外国人コントリビュータ(寄稿者)の入れ替えだった。
ゴーモンさんは新しい寄稿者の一人だったのである。初対面の印象は、「下町の肝っ玉母さん」だった。
PTAからのお達し「『8時だよ!全員集合』を子どもに見せるな」
彼女が最初に言ったのが「局長さんはドリフが好きですか?」だった。
それが見事な下町ことばだったのである。
引っ詰めの髪といい、アメリカ人にしては小柄で小太りの体形といい、
下町のおかみさんという形容がぴったりの人だった。
彼女には世田谷の小学校に通う男の子がいて、PTAの役員をしていると言った。
なぜPTAの役員になったのか、その理由が痛快だったのである。
息子が地元の小学校に上がった時から、腹立たしかったのはドリフターズの
「8時だよ!全員集合」を子どもに見せるな、
という学校とPTAからのお達しだったという。
ゴーモンさんは、天井から金だらいや缶の蓋が落ちてきたり、時には車が飛び込んでくる場面を、
息子と腹を抱えて見ていると言った。
「あんな面白いシーンの、どこが悪いっていうの? そんなの言論弾圧じゃないさ。
そういうママたちに限って、表現の自由だの、女の権利だの、言うのよ」
だから、PTAの内部からドリフに反対するお母さんたちと闘うために、役員として乗り込んだと、
PTAに入ったわけを話し、そこでまた「局長さんはドリフが好きですか?」と聞いてきた。
僕は「妻がよく大笑いして見てます」と言って逃げた。妻がドリフターズを見て、笑い転げているのは本当だった。
ゴーモンさんにコントリビュータを頼んだ1991年ごろには、ドリフも飽きられ、代わって加藤茶と志村けんの
「加トちゃんけんちゃん」が人気を博していたようである。
志村けんの、「七つの子」の替え歌「カラス なぜなくの からすの勝手でしょ♪」が童謡をよじ曲げて教えるものだとか、
「アイマイミ〜、ユ〜ヤ〜ユ〜、ヒ〜ホ〜ヒ〜」は英語を誤って教えるものだとか、PTAが猛反発していた。
志村けんは「PTAが最も嫌うタレント」になったが、ゴーモンさんはあくまで志村けんの頑固な支持者だった。
彼女は見るからに「肝っ玉母さん風」に、きっぷのいい下町ことばでこう怒るのだった。
「『ヒ〜ホ〜ヒ〜』が間違った英語を教えてるなんて、英語も話せないママたちがよくいうよ。
「間違った英語だって? バッカじゃない。ああいう教育ママどもが子どもをダメにしてるのよ」
思えば「志村けん」は、PTAに禁止されても、言葉の壁や国境はヒョイと越えていたのである。
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逃げるマイク テーブルの中にいる加藤茶は仕返しをされる。
朝ドラではいよいよ古関ゆうじが、あの有名な早稲田大学応援歌を作ります。
野球の早慶戦が一層熱を帯びます。