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2泊3日のツァー 2日目です。昨晩は琵琶湖畔の大きなホテルでした。
永源寺は滋賀県湖東。臨済宗永源寺派の本山。康安元年(1361年)開かれる。
11月21日
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山門(三門)
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2泊3日のツァー 2日目です。昨晩は琵琶湖畔の大きなホテルでした。
永源寺は滋賀県湖東。臨済宗永源寺派の本山。康安元年(1361年)開かれる。
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山門(三門)
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何年か前の11月20日です。
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門跡とは フリー百科より
門跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・貴族が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。
浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。
浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書き、いずれも親鸞の子孫の大谷家から出ている。
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三千院を出て奥へ進むと、勝林院本堂が見えます。
更に進むと宝泉院です。
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宝泉院のお庭は狭いが、珍しいものがあります。
~宝泉院住職より~
宝泉院.netにようこそおいで下さいました。私はこの寺 の住職の藤井宏全(こうぜん)と申します。三千院の参道の奥の突き当たりに勝林院(大原寺)本堂があります。この本堂こそが天台宗の仏教が栄えた大原の中心的道場です。この宝泉院はその中の僧坊として古く800年前よりあったお寺です。
山門より入っていただくと目の前にこのお寺のシンボルである樹齢700 年の五葉の松があなたを大きく包んでくれます。このお寺には、夢のように美しい「額縁の庭園」があなたを癒しの世界に誘ってくれます。水琴窟の音に耳を傾 けながら一時、お抹茶を味わって下さい。きっと緩やかな時間の中であなたのほしいものが見つかると思います。宝泉院があなたの心のお寺となりますようお祈 り申し上げます。
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かんのんどう
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大原三千院 11月20日
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3番目は大原 三千院 伝教大師(最澄上人) 767~822
庭園:聚碧園 有清園
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説明は フリー百科より
三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられている。
三千院と往生極楽院
三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は1871年以降使われるようになったもので、それ以前は「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」などと呼ばれ、「梨本門跡」「円徳院」などの別称もあり、「円融房」が正式の寺名だったようである。一方、往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれたものである。
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黄葉も美しい。
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寂光院の次は三千院へ進みます。ご訪問をお待ちします。 アーカイブス 11月20日
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イロハモミジ (イロハカエデ、タカオカエデ、コハモミジ)カエデ科 日本、朝鮮半島
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ナンテン メギ科 日本、中国、インド
おめでたい木として尊重され、飾られる。
実は咳止め。葉は殺菌作用、お赤飯などにつける。
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お庭の美しいお寺です。放火されて再建途中でした。 11月20日
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苔も美しい。
小菊の赤と対照的です。
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寂光院(じゃっこういん) 本尊 六万体の地蔵菩薩 フリー百科より
京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。
本堂は淀殿の命で片桐且元が慶長年間(1596年-1615年)再興したものであったが、平成12年(2000年)5月9日の放火で焼失した(犯人未逮捕のまま平成19年(2007年)5月9日公訴時効成立)。
この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった徳子と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまった。現在の本堂は平成17年(2005年)6月再建された。同時に新しく作られた本尊や徳子と阿波内侍の像も安置されている。
建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った。寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった。平家一門と高倉・安徳両帝の冥福をひたすら祈っていた徳子をたずねて後白河法皇が寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、物語のテーマである「諸行無常」を象徴するエピソードとして人々に愛読された。
宝物殿は「松智鳳殿」という名称で、平成18年(2006年)10月に開館した。徳子の陵墓はもともと境内地にあったが、明治以降は宮内省(現・宮内庁)の管理下に移り、境内から切り離されている。
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イロハモミジが美しい。
池に散って輝く。
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枯山水のお庭
次は寂光院へ向かいます。
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アーカイブスです。奮発して良いツァーに申し込みました。
11月20日、東京駅からは新幹線グリーン車。一両に添乗員さんを入れて13人。
京都駅からバスで京都大原の北へ直行。
阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市左京区大原の北側に位置する古知谷(こちだに)にある浄土宗の寺院。
山号は光明山。院号は法国院。古知谷阿弥陀寺ともいう。
1609 弾誓上人開山。1602入定 生きながらミイラ仏に。1721澄禅上人 入定。
バスを降りてからしばらく歩きます。
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モミジが美しい。
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五智如来
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