風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

代かきから田植え その2

2024-06-02 | 日記

 2回目の代かきは、仕上げの代かきと言われます。ここでビシッと良い感じに決めて、3日後の田植えの日を待ちます。でも、「ビシッ」と決まらない。周囲の上手な人を見て、微嫉妬。あはは、そんな的外れなことはしませんよ。

 

 田植えの時は落水するのが普通です。一番初めは畔に沿って植えていきます。その時、田植え期の両横に付いているマーカーの一方をセットして、田面にラインを引いていきます。田植え機が向こう側まで植えて旋回したら、今度はそのラインが機械のセンターになるように位置取りをして植えていきます。

 田植え機前方に付いているマーカー。とても分かりづらいと思いますが、この棒のすぐ左側(ちょうど棒1本分)の田面にうっすらとラインが付いています。このラインとマーカーのオレンジ部分を重ねながら進んでいけば、大きく曲がることはありません。この時、機械の左側についているマーカー(ラインを引く装置)が作動して、戻って植えてくる時のセンター部分を決めていくのです。田植えはこの繰り返しです。

 

 なぜ落水するかというと、このラインを見えやすくするためです。水があると、機械の通過に伴って泥水となり、見えなくなります。泥水がそれほどでなくても、波立つことで、やはりとても見えづらくなるのです。植える際のガイドが見えないと、乱れるのは必至。見事なほどにグニャグニャします。

 そんなわけで落水するのですが、ここでまた頭をもたげてくるのが、田んぼの高低差。ヒタヒタ水くらいの高さにすると、高い場所は堂々とその姿を現わし、その時好天だったり風が強かったりすると、どんどん乾いてしまってよく植えていかなくなります。それを防ぐには、落水するわけにはいかず、やはりそっちを立てればこっちが立たずの世界となります。で結局は、田面が露出しないくらいの水位となるのですが、そうなると、低いところはもうラインが見えにくくてしょうがありません。でもそうするほかないのです。

 こころを落ち着けて、直近ではなく遠くを見る。泥水の中に、ところどころラインの一部分が見えることもあれば、ラインと思われるような映像?が、浮き上がってくることもあります。これは不思議というか、機械を運転しない限りはそんな体験をすることがないのですが、そんなことがしばしば起こります。それで、極端に曲がることがありません。このことは、誰もほめてはくれません(笑)。だって同じような経験をしなければ、こういった状態というか状況を、実感することができないからです。だから、自分で自分のことをほめているんです(苦笑)。

 

 さて、こんなふうに長々と書いてきましたが、作者はいったい何を言いたかったんでしょう? 大変なんだよってことを伝えたかったのではありません。だって、程度の差こそあれ、たいていの田んぼはこんなことなのですから。そして、伝えたかったというか、こうした作業を通して凡夫が思うことは、どの田んぼもこうしたなかで、大事な作業が進められているんだよなーってこと。

 それは農家に限ったことではなく、それぞれの家族が、傍目から見れば無難に過ごしているように見えても、その中ではいろんなことがあって、それをその家族なりにどうにか折り合いをつけてやり通しているんじゃないか…。なんて思ってしまうのでした。「ウチの田んぼは高低差がかなり多くてさー」と話すと、たいていは「ウチでもそうだー」となります。でもどの程度なのかは、お互いの話の中では、きっと嚙み合わっていないことでしょう。そして、お互いに相手の田んぼで作業をするということもないのですから、お互いの大変さがわかりません。でも、そっちもそれなりに大変なんだなーって思うことはできる。そこまでの認識は一致すると思います。

 

 どこの家、家族にも、外から見ただけではわからないいろんなことがある。いや、別にそういうことを期待して言っているのではありません。でも、微笑んでいながら、あるいは元気いっぱいの声を出していながら、その奥に悲しみの感情を秘めているなんていうことは、しばしばあることではないでしょうか。悲しいことは無いに越したことはないけれど、でもそれは人をやさしくしてくれる面も持っている…。

 田植えをやりながら、そんなことを考えたり、ダジャレを考えたり、いねむりが出てきたり? そんな感じで田んぼに向き合っています。

 ここまで書いて、その3はあるんか? オチもまだ無いな。

   読んでもらえてるかわからんから、気の向くままや。


代かきから田植え その1

2024-06-02 | 日記

 大型連休のころ、ほとんどの農家は田起こしを終わらせます。そのあといよいよ水を 引き入れて、代かき作業に取り掛かるのです。耕さないままならともかく、ボコボコの土塊となった田んぼの中を、手前から奥まで水が入るってことは、相当な勢いが必要となります。流量の豊富な水路であれば、一度に数枚(数軒分)の田んぼに入れることが可能ですが、そうでない水路沿いだと、一枚毎に集中して入れなければ、なかなか必要な量に届きません。何であれそんなふうだと思うのですが、「不足」という事態は、いろんな問題をひきおこしますね。でも、そうならないようにお互いに譲り合うのも、うまくやっていくためには大事なこと。何といっても、みんながずっと住み続けていくんですから、長くやっていこうと思ったらおそらくそれが近道なんです。

 

 代かきに望ましい水量っていうのもあるんですよ。多すぎず少なすぎず、だから適量ってことなんですが、その適量が難しい。というのも、高低差がないかのように見える田んぼも、プラマイ5センチ以上の差があります。考えてみたら、その差くらいで収まっているというのもすごいことなんですが、現実にはその高低差がいろいろ影響してきます。代かきというのは、耕された田んぼに水を入れて、再び耕すようなイメージです。これによって、田んぼの土が細かく砕かれ、田植えに適した状態になります。この作業の時に水が多いと、前年秋の稲刈りの際に切り落とされた大量の稲ワラが土の中に潜り込まずに浮きます。このワラが、田植えまでの間に田んぼの一方の側に吹き寄せられ、後々まで悪さをすることになります。それで、できるだけ少ない水量でやることを目指すのですが、そうすると田んぼの高い部分が水面から出て、そこを代かきするといったん軟らかくなった表面が乾いて壁のようになってしまい、田植え機でうまく植えられていきません。もちろん、手で植えようとしても同じことです。あっちを立てればこっちが立たず。こっちを立てればあっちが立たず…。で、仕方ないのでその中ほどでやろうとするのですが、バケツに水を入れるならいざ知らず、相手は一枚が約3,000坪の大物。164メートル×61メートルくらいです。そして、周囲の田んぼ(農家)との兼ね合い。タイミング良く「適量」で済めばしめたものですが、大概の場合はそういかず、しばしば「まぁ、しょうがないか」というような状況の中で作業をしなければなりません。

 さて長々と書いてしまいましたが、でもそんな状況は、どの農家も煮たり酔ったり。最後は、運転操作の巧拙が大きく関係しているだろうということを述べて終わりにします。はっきり言って、いつまでも下手。それに尽きるかと思います。お米のおつきあいをいただいているみなさまに、お粗末な状態を見てもらうことなく過ぎていられて、ホッとしています(笑)。