風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

今日も暑かった

2024-06-11 | 日記

 今日も暑かったです。稲にとって寒すぎるよりは暑いほうが良いに決まっています。でもそれも程度問題。やはりこの時期としては、少々暑い。それでも、今のところ水路を流れる水の量がそれなりに十分なので、とりあえずはひと安心なのです。

 百姓さは 田の水足りねぐならねようにしておげば 文句は出ね

 稲の栽培において、もっとも大事なものは水です。肥料や薬剤も大事なものですが、やはり一番は水。水がなければ、話になりません。そして叶うなら、十分な水です。だから、水の確保、水路の整備は、昔から今に至るまで、とても大事な事柄でした。それを司るのが土地改良区のいう組織(団体)。これは全国、田んぼのあるところにはほとんどあるかと思います。というか、無ければならない組織団体(山間地の田んぼがわずかな地域では、無いところもあるかもしれません)。そしてそれを配下に置いているのが、というか密接につながっているのが、まるまる党。持ちつ持たれつで、両者ともまるまるとう太っています。それと比例してやせ細っていくのが農家。ということは比例じゃなく反比例か(苦笑)。とにかく、水は大事。必然的に、水に関係する組織も大事、ということになります。

 水ッコじっぱり入っていって、気持ちよさそうです。水は右から左側に流れています。写真には写っていませんが、その水をせき止めて、入り口の板を外して田んぼに引き込みます。完全にせき止めるのはダメ。どの田んぼも、等しく水がほしいのですから。

 水がうまく入らずに、土の出ている田んぼは、稲が気の毒に見えます。

 早朝に草を刈った跡。遊休畑の一部です。

 朝刈って、刈り残し部分を、夕方刈りに行きました。

 とりあえず、「わっぱが」をでかして、今日一日の無事に感謝。

 


明日は何を着て行く?

2024-06-11 | 日記

 明日は、集落の中で長く親しく付き合っている夫婦の食事会です。毎月少額の積み立てをして、年に2回くらい、お酒も飲みながらの食事会なのです。

 明日何着て行く(つもり)? たった今、そう聞かれました。

 いっつも用足しに行くときのズボンはいてだべ。しょっぺくて、都合悪いどもナ(ヨレヨレで、格好悪いけどな)。そんなふうに答えました。これがらイオンスーパーセンターさ行って、ズボン見で来るが。今行げば、半額だばなってねがもしれねども、2割引ぎなってるがもしれね。

 あはは、食料品(お惣菜や生鮮食品)だけでなく、衣料品も毎日、閉店間際に割引きなっていると助かるんですけどねー。

 

 とにかく、明日はお楽しみ会です。加齢その他の理由(高齢の家族を置いて、夜の外出は難しい等)で、日中の会です。つまらないダジャレは言わないようにしなければ(笑)。でも、飲むとタガが外れて言ってしまうことでしょう。罪のない、誰も傷つけないつもりのダジャレ。これでも気を使っているんですよ(笑)。

 だったら、わざわざ言うなー。そんなもん、誰も聞きとうないっ!

 


好きになれない言葉

2024-06-11 | 日記

 「ピンチはチャンス」という言い回しを耳にしたことがある方は、どれくらいおられるのでしょう。何かポジティブなような雰囲気のある言葉とも言えるかもしれません。自分でも、初めて聞いたときは、話している人がそんなニュアンスを込めて言っていたように記憶しています。ピンチの時は、一生懸命知恵をしぼって、トライしてみる。発展につながりますよ、みたいな流れでしょうか。それはそれで、一面ではその通りだと思います。でも、なんとなくスッキリしない思いが残りました。

 

 ある時、まったく別のシチュエーションで、この言葉を見聞きしたとき、あぁ、あの時に違和感を持ったのは、自分が無意識に別のことを考えていたからなのかもしれないと思いました。

 その時の「ピンチ」というのは、個人的なものではなく、大きく言うなら社会のピンチ、危機ということでした。その時こそが、「チャンス」だということ。チャンスというのは、ビジネスの、という意味だと思います。

 その最たる例は、戦争(紛争)ではないでしょうか? 殺人、あらゆる構築物の破壊、生存の不安、食料不足…。それらの「ピンチ」は、その先を見据える人たちにとっては、チャンス以外の何物でもありません。戦争中はもちろんのこと、終了後には、ありとあらゆるモノについて、巨大な市場、新規需要が出現することとなるのです。きっと笑いが止まらないことでしょう。助かる見込みのない負傷者や、死後間もない遺体からの臓器摘出、売買…。どれも耳をふさぎたくなるような話です。でも、そこに照準を当てている人たちが、間違いなく存在する。もちろん、そういう人がいてこそ、「復興」が進むのですから、否定はできませんし、どうこう言うこともおこがましいことなのかもしれません。

 

 でも、自分では使いたくないなぁ。「ピンチはチャンス」という言葉。自分がピンチの時は、それを「チャンス」とはなかなか思えません。無理に前向きにならなくて良いと思うし。だいたい、それが「チャンス」に思えるってことは、自分以外の誰かが「ピンチ」って場合が多いんじゃないでしょうか。そんな時にそんな思考回路になるなんて…。

 

 あっ、全然関係のない話ですが、昨日用事があって車を走らせていた時、田植えがまだの田んぼの横を通りました。ついに植えだしていました。他人事ながら、ホッとしました(苦笑)。