今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

5302F

2009-12-14 17:47:06 | 鉄道
このところ昔の写真ばかり引っ張り出してますが、気にしないで下さい(汗

さて、今日は名鉄のSR車、それも5300系、それも5302Fについてです



この日、出かけた先でたまたま来たSRは5302F
なにより台車に目を奪われてしまいましたよ、いや、ギョッとしてしまった とも
このとおり、全検上げなのかピカピカ(ギラギラ?笑)な灰色をした、5200系譲りの住友FS315型台車

そして、コイル状のバネと緩衝材と思しき出っ張った棒が特徴的




このように、少し前までは、休日に矢作橋駅側線にSR4×2が終日留置されていました
ちなみに現在は3R4に代わっています


一旦舞木に入場した5307Fも、CPをC-1000DC(と思われる)に代えただけで台車交換は行わないまま出場し、現在でも
5301F
5302F
5307F
この3編成にて、その揺れをお楽しみいただけます(笑

そのうち特に、1・2番編成はCPも古いままのDH-25のままであり、ゴトゴトという派手で、でもどこか懐かしい音を奏でてくれます

・・・普通の人の感想は、ただうるさいの一言で一蹴されそうですね(笑

1枚目=西春駅/2007.08.27
2枚目=矢作駅側線/2006.11.05

貨物66-0

2009-12-12 20:55:38 | 鉄道
最近見ないと思っていたこの色のEF66-0番台、もう塗装消滅したんですか・・・



ごついのに爽やかな水色と白

汚れが目立つのにも拘らず水色と白

更にはスマートとはかけ離れた大きな弁当箱








こちらは弁当箱なしの8号機
1~20号機は扇風機のみだそうで、この写真のように夏場は大変でしょうね・・・お仕事なのでお疲れ様ですとしか言えませんが

長い貨物の先頭で踏ん張っている機関車は、この66が一番しっくり来る、そんな固定観念があるので、いざ消えましたとなると、なんだか寂しい気もします。
今思えばこの色、カッコよかったなぁ。

原色に近い色に更新されただけなんですけどね、なんとなく残念に思ってしまいます。


1枚目=矢作川橋梁西/2006.07.09
2枚目=大垣駅/2007.08.09
3枚目=高槻(島本)~山崎/2007.08.12

モノクローム雷鳥

2009-12-11 19:29:42 | 鉄道



この雷鳥、非パノクロは200番台原型車のA09編成、京都でひまを出され、福知山へと籍を移した編成です。

ちょっと粒子を荒らして色を抜けば、闇を裂く前照灯とHMがぽっかり浮き上がりました。

今になって、おデコの灯りも入れるべきだったなと考えてます・・・


京都駅/2007.12.30

朝靄

2009-12-07 17:57:58 | 鉄道
張り詰めた師走も年の瀬のこの日

回送ながら、ヘッドに誇らしげにマークを掲げ、福井・金沢へ帰郷するお客を乗せるべく雷鳥は大阪へ




この後、大阪発の雷鳥5号として、一路金沢へ赴く


そして現在、雷鳥5号はその任を後継、サンダーバードに譲って大空へと飛び立っていった


斜めの切り口でスピード感があり、どことなく安心感のある、昔から変わらぬ塗装の雷鳥
その姿は、もうすぐ見納めです


写真は A06編成

東海道線 山崎~高槻(現在は山崎~島本)/2007.12.31

2009-12-06 17:26:47 | 鉄道
GINGAさんからアホみたいに重い500mm(語弊を招きそうですが、それだから重いというのではなく、初めて使った500mmレンズはそれ相応に重かった、と言いたい)を担いで(担がせて? だったらごめんです)二川駅からトコトコと。



この間、500系も来たんですが、大方の予想通りことごとくはずしました。
奇遇にも心優しい同郷の方がここに撮影にみえており、帰路は汗一つかかずに二川駅に到着、本当に助かりました。

で、家に帰って見てみたところ、これ以外は目も当てられぬ惨状でした(^^;
もう少しで豊橋とは言えど、まだまだかっ飛ばしている区間。
置きピンとは簡単に言うなかれ、動き物に弱い私には、一瞬で通過するポイントを逃したらお終いという新幹線は不向きかな、まともに沿線へ撮影しに行ったのはこの時が最初で、その後は・・・未だないです。

2007.09.24/東海道新幹線 浜松~豊橋

東華菜館

2009-12-05 15:22:10 | 建築
京都へ赴いた理由、もう一つがこれ。



四条大橋西詰にそびえるこの、ひときわ目を引く建物。
東華菜館 という中国料理のお店。
中に入りたかったものの、やはりお店となるとお食事もしなくてはならないわけなんですけれど、ちょっと身分不相応なので外観に留まっておきます。
内装は、またいつの日かに・・・ね 笑



ちょうど朝日が昇り、順光で撮影。
写真一番下と上の窓枠上部の意匠から、ヴォーリズの血がひしひしと伝わってきます。

そう、この建物は未だ関西を中心に多く残る建造物を遺した建築家
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏(1880-1964)の手がけたもの。
1905年に伝道師として25歳で来日、日本人女性と結婚し、以後1964年に世を去るまで日本国籍までをも取得して近江で活躍した建築家です。

少し前にNHKの新・日曜美術館で取り上げられていましたので、ご覧になった方もいるのではないですかね。


無駄話が過ぎる気がしますが、「メンソレータム」ご存知ですよね。

あれ、元は近江兄弟社という、これもヴォーリズが創業した製薬会社がアメリカから販売権を得て販売していたものだったんです。

しかし、ヴォーリズの死後、一旦倒産してしまったこの近江兄弟社から販売権はアメリカへ戻り、その後、ロート製薬がこの販売権を取得したために、再建した現・近江兄弟社は同じ「メンソレータム」を使えず、「メンターム」として販売するに至る という話があるのです。
結局、「メンソレータム」も「メンターム」も、製造過程はほぼ一緒というあれですね。
ただ、東海地方ではあまり「メンターム」は見かけない気がします。
もちろん、お膝元の滋賀では普通に売ってましたが。




こちらは京都大丸の窓枠のデザイン。
この角のない柔らかな造り、同じ意匠だとお分かりいただけますでしょう。
大丸の方は、狭い路地に面した東側しか見られないのでいささか残念です。
他にも、心斎橋大丸や、同志社(今出川キャンパス)、関学(西宮上ヶ原キャンパス)などの一部の建築にも携わっています。


写真はすべて
2009.12.02/京都・四条

南禅寺 水路閣

2009-12-04 15:28:47 | その他
南禅寺はその昔、五山十刹の別格上位として格付けられた寺院。
南禅寺の下に、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺とあり、それはそれは相当ありがたいお寺だろうと見物してきました。

最近、そういうのに凝り出したんですね、お寺・神社巡りに(^^;



その境内にはなんともお寺らしからぬ建造物がひとつ、そう、水路閣。



琵琶湖の水を京の町へと引き入れるための琵琶湖疎水です。
なるべく水平に(水は上から下へしか行きませんから)引いてきたこの疎水、どうしてもこの辺りは自然に逆らえなかったようで、一部区間はインクラインとして、超広軌のレールと水を運ぶ貨車が活躍していました。



それがこれ、新幹線もびっくりな線路幅 笑

新幹線といえば、N700とやらに初乗車したのですが・・・快適ですね、すごかったです。
普通車の座席ですら恐縮してました。


写真はすべて
2009.12.02/京都 南禅寺