今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

大塔村立阪本小学校

2017-08-17 20:45:05 | 廃校・校舎(奈良)


1873年は明六社の明治6年に誕生した、歴史ある奈良県吉野郡大塔村立阪本小学校

1947年度から、大塔村立に変わりました



1957年11月に建てられたこの校舎は2017年で60年の節目の校舎

1986年度をもって、統合により閉校となったようです

なんといっても、急峻な山かつ、厳しい階段の上に建っているので、引いての全体が写せない



階段の下からはこんな感じ

玄関に近づきます



阪本小学校の校章と、時を刻むのをやめた時計



しかし、時計があるべき場所はここで合ってますが、この向きに時計を掲げたところで

校庭からは木々に隠れて見えない以前に、高低差が大きくてそもそも見えません

そのくらいの高低差があります

村に学校を作ろうにも、山間で土地がないことから、苦肉の策でこの急斜面を切り開いたと思われます

阪本小学校は4段の高さに分かれています

一番下の高さに校庭、その次に校舎、その上の段には学校園、畑、温室、そして一番上の段には教員宿舎でしょうか



そして校章のステンドグラスもどきをアップで

阪本なので、阪の字が中心に、その周りを10のカタカナの「モ」が縁取っています

阪に、モが10でさかもと・・・?

ユニークな校章です



チラチラと立て看板が見えましたが、それでも五條市のやさしさでしょうか

当然そんなわけはないですけど、校舎の扉は開いていました

扉から中を覗いた、1階廊下の様子

お邪魔します



木枠の窓から柔らかい光が降り注ぐ・・・中で、中央辺りの床が緑色に見えます

ここだけ、雨漏りにより床が傷んでいて踏み抜けそうです



すぐの壁面に飾ってあったのは、星座の絵かと思いましたが、よく見るとただの絵とは違います



電池がつながっているこれは、スイッチを入れると豆電球が光る代物です

悲しいことに、ずっと差しっぱなしだっただろう電池は噴いていました

子どものアイデアだったのか、教員の工夫かわかりませんが、面白いです

時は流れ、今ならLEDかな、それとも麦球と3種類使えば星の明るさも表せそうだなと思ったり



どうやら校舎の基礎は石造りのようで、玄関周りの一部はその基礎がないことから、床がかなり抜けていましたが、それ以外はしっかりしています

階段もどんどん上がって2階へ行くと、オルガンが廊下に並べられています

ただでさえ斜面なので、日を遮る構造物はありません

その南側の廊下に並べられたオルガンは、傷み放題でしたが、ひときわ、もう朽ちているのが1台

どうやらここの天井が雨漏りしていて、このオルガンを直撃しているようです

そして、その真下の床も傷み、1階の天井から滴り、最初の1階の床に落ちて行っているようです





珍しく、2階にステージのある講堂があり、阪本小学校歌が掲げられていました

2番の歌詞に出てくる猿谷ダムは、阪本小学校の眼下に広がるもの

その猿谷ダムは1957年完成ですので、冒頭の校史からいくと、おそらくこの新校舎完成を記念して作られた校歌と考えるのが自然でしょうか

しかし、猿谷ダムを調べると、歴史あるダムだけにそれはそれは悶着が絶えなかったダムのようですね

そしてこれら一連のダムは灌漑目的のものであり、洪水が起きないように調節する機能は一切ないというものだそうで

そんなダムあるんですね、知らなかった・・・国交省直轄ダムでは、ここと芦別ダムだけらしい

そのため、悶着して作ったダムがあれども、大雨のたびに結局洪水が起きる、なんということでしょうか



それはさておき、校舎から出て裏へ(校庭レベルから数えて3段目)

なんとなく踏みしめられた道を上がると、校舎の2階レベルまで上がります

見渡す限りの山

冬の雪深さを物語るのは、屋根瓦の雪止め

厳しい自然とともに生きています



散々お伝えの通り、4段に分かれている各段とも日当たり良好なので、この段には学校園があったようです

その名残と思しき温室

いや、それにしては新しい感じを受けなくもない

そしてその背後、最高段に見えるのが教員宿舎と思しき平屋



急に近代的になり、写欲減退、これ以上踏み込んでいません

しかし、中央に見える玄関の造りが住宅としてはおかしいので、家ではないのかもしれません

体育館ではないし、最高段にそびえるこの建物はなんだったんでしょうか

今になって、中を覗いておけばよかったと後悔





戻って、一番低いレベルには、なんとプールもありました

推定15mプールですが、閉校年の1986年を鑑みても、プールのない学校は数多ありましたから、改めて、阪本小学校が立派なものだったことがうかがえます



校門から校舎を望む

1階は木枠でしたが、2階に輝くアルミサッシが残念

それでも風格あります





校舎内に残されていたポジフィルム

右上の文字は「保体委」、児童が3人と紅白玉が見られます

運動会前後における保健体育委員の仕事を記録した1枚でしょうか







阪本小学校、校舎内には現役時代のものがよく残っていました

読書感想文の名前はぼかしています

課題にした図書は1985年刊行の「5年1組ラブレター作戦進行中」・・・最後の夏の読書感想文でしょうか

それにしても、この辺のものは学校に置き去りはまずいのでは

誤字そのままを見ると下書きでしょうが、ぜひ朱書きを入れて返却してほしいところ



最後に、玄関の内側にびっしり掲げられていたのは、寄付を表す札

これ以外にもたくさんの方の名前がありました

多くの人たちに支えられ、愛される阪本小学校、山奥に静かに眠る素敵な学校でした

お邪魔しました

2017.08.13/五條市 旧阪本小学校