今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

勝賀瀬小学校

2022-09-19 22:02:42 | 廃校・校舎(高知)
灼熱の中、僅かな涼を仁淀川から得つつ、流れ込む勝賀瀬川を北上した先に遺されていた校舎

2004年(H16)に伊野町立からいの町立へと移った4年後の2008年(H20)休校

そして2017年(H29)に正式に閉校となった、勝賀瀬小学校

高知県の統計によると、へき地等級は1

正直、車があれば困らないレベルですが、人口減少が止まらないのですね



閉校から13年が経過した2017年に訪れていますが、コンクリの汚れは相応



すぐ後ろに迫る小山がいいですね

木造ではないものの、こぢんまりしたこの校舎は中々好き

きちんと瓦葺なのがいいのかな

こうしてみれば、夏休み真っ最中の現役に見えなくもない美しさを保っています



プールもこの様子なら、手入れしていたんでしょうね



プールの壁面に描かれていた絵

写真では切れていますが、左端には、閉校記念と添えられていました

こういうのが心に刺さります

暑さも脳に刺さったのか、静止物にAFなのにピントを外すというゴミっぷり



啓発の掲示もいい感じ



やさしいポストは百井分校を思い出します

あちらは、お願いします、ご苦労様ですでしたかね



いつ建てられたかは不明なものの、休校時の2008年時点を以てしても開校100年とは、なかなかの歴史

この碑の裏に書かれていたであろう変遷を撮っておかなかったことを激しく後悔しています



卒業制作と思しき石碑


このほか、体育館があり、あるべき位置に校歌も掲げられていましたが、遠すぎて撮れず、解読できませんでした
加えて、Wikipediaにも情報が皆無で慌てましたが、すでに閉鎖された以下
http://kochischool.net/shougase.htm
のページに大変貴重な情報が残されていましたので転記します
問題があれば連絡ください

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旧神谷(こうのたに)村立勝賀瀬小学校として開校
のち、伊野町立を経ていの町立同小学校、2008年(H20)閉校
児童数の変遷
1958年(S33)162人
1963年(S38)170人
1968年(S43)113人
1978年(S53)32人
1998年(H10)5人
2004年(H16)3人

1 若葉に萌える 山合いの 仁淀の谷に 育まれ みんなは強い 鉄の意志
  この手 この足 このからだ 力みなぎる 勝賀瀬校
2 雲は流れる 青い空 文化の光 よく浴びて みんな正しく 堂々と
  平和日本を 作るのだ 励む僕たち 勝賀瀬校
3 鷹羽に響く 里の歌 世界に続く 大空を みんな仲良く 若鷲は
  自由求めて 進むのだ 希望みなぎる 勝賀瀬校
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1975年(S50)台風による被害で一気に地域の過疎が進んだようです

それでも、30~40人程度を推移していれば何とか…というところですが、遅かれ早かれ…というところでしょう

2100年の日本の人口は大正時代に匹敵する6000万人を割り込むとも

しかも、極めて歪な人口構成になることもほぼ確定していますしね…

という暗い話題はさておき(さておけるわけないが)、この勝賀瀬小学校を書くにあたって調べてびっくり

2019年にとさ自由学校として生まれ変わっていました

一度役目を終えた校舎に、再び子どもたちがかえってくるというのは、全くの部外者ですが、なんだか嬉しいですね

反面、写真に挙げた「勝賀瀬小学校」の諸々も大切にしていてくれたらいいなあとも思います

2017.08.12/高知県いの町

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