今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

天方小学校嵯塚分校

2022-11-25 22:48:42 | 廃校・校舎(静岡)
土砂崩れで通行止めの道で車を乗り捨て(その時点で市街地から山道(一応市道)を60分程度)

そして砂利、落ち葉、倒木、落石まみれの滑る山道を登ること体感20分

見える景色は雑木か数軒の廃屋、もしくは廃屋だったと思しき瓦礫の山

登る手助けにと思って手を伸ばした木は朽ちていて、信じて体重をかけていたら一緒に谷に落ちていた



そんな道の最後に表れる石段こそ、道が間違っていなかった証



見上げた先には優しい色合いの校舎



天方小学校嵯塚分校

年々薄くなっていくプレート

でも、これは石に彫ってあってほしかったなあ



1977年閉校、1990年廃校

人の手から離れて30余年、にしてはしっかり残っている



何せ、手前はほぼ崖の石段のため、引いても校舎全景が撮れない

向かって右手



空いている窓から覗き込むと、そこは和室



和室の窓の下には、ビール瓶で囲まれたエリア

花壇…だったのか、とも思ったが、小学校の庭先にビール瓶はないか

でも、その後わざわざ運んできて挿すのもよくわからない

しかし瓶のデザインから、1980年代頃のもの…結局よくわからない



向かって左

屋根の上は植物でいっぱいも、たわむことなく美しい状態

ひときわ目を引くカラフルなものは、かご式のブランコと思しきもの

窓の割れも少なく、突き出したストーブ煙突も美しい



有難いことに割れていた窓から見えたのは温かみのある教室

スチールと木の椅子が混在していたようです

気になるのは照度

11月の14時過ぎで、フラッシュ炊いてこの明るさですので、蛍光灯一本は相当暗かったのでは



窓辺に置いてあった教科書は、複式3・4学年の東書理科

昭和43年(1968年)のものでした

散らかしたまま閉校はないので、誰かが置いたのでしょう



教室を通った先には小さな校庭

右上の根元が見えている木々が、今にも雪崩落ちて来そうな状態



校舎を振り返る

左に見える鳥居は、校庭から数段上がった先にあるお宮のもの

校舎の裏手(写真の左)に向かいます



校庭の端に置けばいいのに、日中でも薄暗い校舎の裏手に設けられたタイヤ飛び



右手には校舎の廊下から、教室が見える

建物自体はとても頑丈なようで、縦方向はしっかり建っている



斜めに入っている木は、奥の教室にもあったので、筋交いなのだろうか…心許ないが

そしてもう一つ心許ないのが自分の装備

よく見ると、足元には落ち葉から瓦をはじめ、無数に光る破片が落ちていて、ただのスニーカー装備で下手に足でも切ったら山を下りられない

次は装備品を増やして来る

ちなみにここはB組、ほかに、A組、職員室の表示が健在だった



間をそのまま進んで、振り返る

左が校舎、右が宿舎

校舎の外廊下は、屋根が朽ち落ちている

瓦はここの屋根に乗っていたものだろうか



廊下の端から、校庭方向を見る

年代物の洗濯機が無造作に置かれている

本当は、もうすこし床があったのだろうが、今となっては外廊下は地平レベルのため、各教室へは大きな段差が生じている



一周して、はじめで言う校舎の右端に到達

方角で言うところの東端

ガラスもトタン屋根もしっかりしていて、現役でもいけそう



僅かな南側の隙間に置かれた遊具の跡

チェーンが2本2セットあるところから察するに、ブランコであろう



そして滑り台

いずれも、子どもたちが最後に触れて何十年の歳月を経てもなお、黙ってあり続ける

そこに何とも言えない何かを感じるために、また、ここに来たいと思う場所



まだ14時半を過ぎた時分ながら、帰りの山中で日没を迎えると、狭隘路、砂利道、急坂、路肩崩落、圏外等々…余裕を見て分校を後にします

廊下がないのが多少残念ではあるものの、とても静かで、美しい学校でした

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明治23年 吉川小学校嵯塚分校として開校
昭和50年 吉川小学校と問詰小学校を統合し天方小学校となり
     吉川小学校嵯塚分校を天方小学校嵯塚分校に改称
昭和52年 嵯塚分校休校
平成02年 嵯塚分校廃校

天方小学校HPより抜粋
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2022.11.12/静岡県森町

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