今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

名倉小学校清水分校

2021-05-04 22:23:38 | 廃校・校舎(愛知)


駒ヶ原分校を訪ねた足で、清水分校にも

やはり、主張するものが残っていると嬉しい



少しずつ自然が手を伸ばしつつある校舎



東端の玄関

アルミサッシではないのが嬉しい

一応、工事会社の用地っぽい雰囲気なので



変って西端の上から

北側に突き出して繋がっているのは・・・厠か



そこではなく、その東隣に朽ちているのは倉庫と思しき建物



更に東隣、玄関の北東の位置に鎮座している住宅風の建物は、恐らく宿舎



宿舎の西隣にあるのが、宿舎用の厠と思しき建物



校舎に戻って、案の定施錠されていない窓を見つけて中を覗く

役目を終えた後にアトリエ(?)になり、工事用物置(?)になっていた経歴なので、竹の突っ張り(?)や陶器の破片が当時のものかは不明



校庭のシンボル的な木になりそうなものの、校舎との距離があまりに近い

廃校が1964年とすると、それから成長したとも考えられるのか



鬼瓦には、もちろん水

駒ヶ原分校にもありました

無事に使命を全うした分校

築73年の瓦とは思えない美しさを保ちつつ、しかしゆっくりと自然に還りつつ

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1948年(昭和23年)4月 - 西納庫に清水分校、駒ヶ原に駒ヶ原分校[注釈 1]を設置する。
1956年(昭和31年)9月30日 - 田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併し、設楽町が発足する。同時に設楽町立名倉小学校に改称する。
1964年(昭和39年)3月 - 清水分校を廃止する。
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Wikipediaより、関係箇所のみ抜粋

2021.04.26/名倉小学校清水分校

名倉小学校駒ヶ原分校

2021-05-02 23:34:01 | 廃校・校舎(愛知)
大手を振って出かけられない世の中なので、自販機に寄りつつ、誰もいない休校、廃校舎巡りならばと





施錠されていない窓を少し開けて中を覗く

もちろん、元通り閉めました





校舎の東端には炊事場





続いて西側、トイレに繋がる廊下の端から覗いてみると、誘うがごとく開放されていましたが・・・





踏み抜くのが怖かったのと、隣のキャンプスペース的な所に気配があったので、ここで引き返しました

廊下に飾ってある絵は見たかったなあ

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1948年(昭和23年)4月 - 西納庫に清水分校、駒ヶ原に駒ヶ原分校[注釈 1]を設置する。
[注釈1]^ 戦後開拓で開拓された駒ヶ原地区と沖ノ平地区の児童のために設置。1951年3月31日に正式認可。
1953年(昭和28年)1月 - 駒ヶ原分校を新築する。
1956年(昭和31年)9月30日 - 田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併し、設楽町が発足する。同時に設楽町立名倉小学校に改称する。
1978年(昭和53年)4月 - 駒ヶ原分校が休校となる。
1982年(昭和57年)4月 - 駒ヶ原分校を廃止する。
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※Wikipediaより関係箇所のみ抜粋



2021.04.26/名倉小学校駒ヶ原分校