今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

アライアンス、シャロン、そして柴田

2013-02-09 02:53:39 | 近江鉄道
3つに共通するキーワード

それは、連結器

わかった方は、かなり詳しいと思います

ぜひ、アライアンス式とシャロン式の形状の違いを教えてください



さて、近江鉄道車両近代化(間違っても動力近代化ではない)の影の功労者である220型

その生い立ちは、様々書かれている通り、近鉄彦根工場が現代にまで継承している技術をもってして作り上げた6両です

そんな中(まあ1両ずつ特徴があるんですが)、連結器は3タイプにわたっています

都合よく12個の柴田式を集められなかったのかなんなのか、221の両端と225の米原方、226の貴生川方には異種の連結器が装着されています

それも、現在日本でほかに実際に使用されている気がしない2タイプです

それが、テーマのアライアンス式連結器及びシャロン式連結器です

現在日本で一般的な柴田式連結器はアライアンス式を柴田氏が改良したもので、シャロン式はというと、坂田氏が改良した坂田式に進化したものの、広くは普及せず消えたものとなっています

ちなみに、いずれの3タイプも互換性があるので、連結という点では問題ありません



まずその標準型である近江鉄道の柴田式下作用並型自動連結器



よく覚えてください

下の解放てこのエンドが、車体側から伸びて連結器の真下にまで来ています




そして、225米原方のアライアンス式



先ほどと同じ目線で、解放てこを見てみると、連結器から真横に伸びて折れ、そのまま連結器の下へと向かっています

まあ、連結器のナックル側ではない方いわゆる頭部の穴の形状大きさ数も違いますが、これは柴田式の中でもいろいろあるようなので・・・なかなか奥が深い連結器



つぎは、221(シャロン式)と224(柴田式下作用並型自動連結器)の連結面と、奥には上に出ている222の柴田式がチラリ



見にくいですね、アップにしてみましょう



まず、てこの太さが違うように見受けられます

それから、ナックルの部分の傾斜が滑らかに見えます

また若干下向きになっているように見え、左の柴田式と比較すると長も違います

全体的にごついために長さが伸び、少し下を向いているのでしょうか・・・謎です



ちなみに右の221は旅客運用には入らず、ATS保安装置の取り付けや部品調達が困難になって捨てられた電気機関車たちの後継として使用されているため、ジャンパ管が増設されています

そのほか、新造したチキ(チ10形)には旧500形(505F)の台車(FS40)が利用されているため、輸送されるレールに優しい空気ばねのレール輸送車となっていたり、ある日、ミュージアムで展示されていたLE10が何の前触れもなく解体されたり、同じく展示品だったはずの500形の片割れが近江鉄道経営の幼稚園の遊びスペースとして供されたり(それ以前に、2本いた500形の506Fもある日行方不明に)、高宮車庫(車庫というかただの側線)で永眠しているものと思われていたホキが突然なくなったり・・・と、訪れるごとに在籍する車両が違う近江鉄道です

奇跡的に撮っていた、高宮のホキ(?)



あまり見かけない、スポーク車輪ですね

錆びに錆び、このまま朽ちると思いきや、この場所で解体された模様

やはりこんな状態では、彦根まで移動は困難だと判断したのでしょうか


これが消えたLE10



名鉄のキハ10と同じ富士重製の2軸LECar-Ⅱで、同系列最後の車両

閑散区間のエースにしようと勇んで導入したものの、不具合ばかりで結局お荷物になってしまった不運な車です

このキハの運賃箱が、たしか820形のどれかの編成に供されていた・・・気がします


2009年11月の彦根車庫全景




1枚目は彦根車庫の西側、手前の非冷房車2本は500形の501Fと506F

おそらく左が506Fかと

そして近江にありがちだった謎の黒い貨車群の奥にはクモハ419-420の姿が

この編成419-420は部品取り用として、改造されることなく永遠に彦根で過ごすのかと思いきや、取るものがなくなったのかなんなのか、やっぱり姿を消しました

2枚目は、同日の東側の写真

右の端には、モーターカーの奥にやっぱり貨車が

この貨車たちも整理され、現在この場所には前述の幼稚園に供された500形の片割れが鎮座しています


楽しい近江鉄道、1時間ヘッドでは沿線撮りをする気にならないのが欠点ですが、テキトーに車庫の写真を撮っておくだけでも面白いものです


長くなりましたが、こんなところです

2月5日に近江に行った本当の目的は



この西武からの引き渡しでした


さてさて、モーターからコンプレッサーから、平成も25年の現在日本においていろいろおかしい222~226の単車を駆逐するとしても、必要なのは5両(を2両編成にしても10両)

今回と前回年末に合計16両の西武のお古をゲットした近江鉄道はなにをするんでしょうか

沿線の田んぼに誤って除草剤を散布し(しかもブランド近江米の絶賛刈り入れ時・・・)、ホームページはバグって現在復旧中、頑張っていただきたいものですが、どうなるのやら


ところで、今回は平日ということもあり、毎度のSSフリーきっぷは使用不可
代わりに購入時間が限定のウォーキングハイキングフリーきっぷを使ったのですが、米原駅で「ふりーきっぷください」と購入を申し出たところ、「ありません」の回答
言い方が悪かったのかもしれないですが、これではウォー以下略きっぷの存在を知らない人は、いいカモでぼられることでしょう
なんというか、不親切なのか、あくどいのか、それともつい存在を忘れてしまっていたのか

あと試したことないですが、近江のきっぷは下車前途無効ではないので、一応貴生川まで買えば本線片道乗り降り自由となります
今度は、途中下車可能な片道切符で有人駅の硬券集めに行こうかと思っているところですが

2013.02.05・2009.11.15/彦根駅

同期

2013-01-24 00:29:20 | 近江鉄道


800系から223系を望む

2両のこっちはかなり前に発車したはずなのに、後ろから8両が、一瞬だけ同期したかと思ったら、次の瞬間に抜き去っていく

ちょっともどかしいけど、こっちのがいい


2010.05.30/近江鉄道米原~フジテック前

古典電機

2010-10-13 23:25:33 | 近江鉄道
普段は中々お目にかかることの少ない電機

今日はちょっと気になる電機のお話




こちらは近江鉄道のED31-4

車歴は古く・・・というか、国鉄飯田線の前身である伊那電鉄時代のデキ4に遡るようで、製造は大正12年

全部で6両製造され、国鉄へ籍を移したのち、西武2両/近江3両/上信1両へと譲渡されたようですが、上信へ嫁いだ6号機はED31-6は箱型に、原形を失う改造を受けておりまた、西武へ嫁いだ2両もやっぱり近江に来ているという状況です

ただ、1.2.5号機は廃車となっています



リベットが目立つ凛々しい風格

ちなみに近江鉄道では相当数の機関車を保有していましたが、現在では全ての機関車の自力での本線走行は保安上等々の理由で不可能になり、彦根駅隣接の彦根工場(近鉄ミュージアム)で保管されています

少し前に東武鉄道の博物館へ里帰りしたED4001も近江の地で最後の奉公をしていましたし、アメリカから鉄道省が輸入したED14もこの近江に健在です


稀に機関車の代わりに工臨を担当することになっている専用電車、220型のトップナンバーである221に牽かれてでかけることもあるようです

電車が機関車を牽引するというのもなかなか見られないですよね(汗)

この220型も、その221もかなりの変り種で話が尽きることはないのですが、それはまたの機会に



そして全体像

木造架線柱とマッチしてます

昭和末期に多賀へのビール輸送などといった貨物輸送を終え、大半が不要となったはずの近江の機関車たち

にもかかわらず、こうして今もある程度の状態の姿が見られるというのは非常にありがたいことです



おまけは名鉄のデキ603

こちらは昭和18年生まれで、ちなみにどちらも東京芝浦電機製

こうしてみると、名鉄のデキはまだまだ余裕すら伺えますね(笑)


ED31=2010.05.30/近江鉄道彦根駅構内
デキ=2010.07.14/名鉄本線矢作橋駅側線

彦根口

2010-06-12 23:37:50 | 近江鉄道
彦根・高宮と、近江鉄道の主要駅に挟まれた駅が、この彦根口駅



まずは外観

がっしりした造りと、背景の新しいマンションとの対比が時代を物語ります

また、この画像では見えませんが、一番上の瓦には”近”の文字が入ってます



駅の字に注目

いたずら・・・にしては変だから、やっぱり消し忘れでしょうか?

大雑把な手書き線が残っています



と、駅へ入る前に気になるこちらはモダンすぎるトイレ

おしゃれなんですが、機能性はゼロ・・・というのも、扉がないので全くの丸見え状態なんです 笑

駅舎とは時代が違う風体ですがやっぱり、建てられたのはかなり古いようですね



いろいろ調べたところで、駅舎もいつ建ったか定かではなく、明治・大正時代の駅舎も残っていることから、開業当時、明治31年の6月11日から活躍していると考えてもいいかと思われます

そうなると・・・昨日でちょうど112年!?(あくまで推測ですので悪しからず)

しかしこの手作り案内、スタフみたいですね

駅の開業日も書かれているのが、愛されてる駅って感じで素敵です

ちなみに1998年に、現・太郎坊宮前が太郎坊から改称、そして近年出来たフジテック前(2006)・ひこね芹川(2009)・河辺の森(2004)・スクリーン(2008)の各駅の記述がないことから、この案内も10年弱使われている様子

その割にはキレイというのも嬉しいですね



改札を抜けてホームへ



ベンチもあります

ちょっと座高が低い・・・いわゆる日本人の体型に合ったものです

しかし、床が微妙に舗装さてれいるほかはどこを見ても木造というのは落ち着くものです



ところで、八日市方面行きの入り口は簡素極まりないもの

見るからに後付けです

開業当時の駅や周りの様子はどんなだったんだろう、そんな疑問が頭をよぎりました

およそ10分の駆け足訪問でしたので、またの機会にゆっくりと訪れたいものです


2010.05.30/近江鉄道本線彦根口駅

近江鉄道旧本社

2010-06-06 10:44:10 | 近江鉄道
昭和24年に完成したと伝えられている、彦根市立東中学校の旧校舎




時は流れて昭和47年、中学校が移転

翌、昭和48年に近江鉄道本社がその建物に転入という形で落ち着き、2010年の今年で61年目を迎えたこの建物

ちなみに、昭和24年(1949年)といえば、国鉄三大ミステリーと言われた下山・三鷹・松川事件の起きた年


下山事件は常磐線(北千住~綾瀬間)を走っていたD51-651が、時の国鉄総裁である下山定則を轢いた(厳密には既に事切れていたようですが)もの

常磐線・・・D51-651・・・現在の常磐特急スーパーひたちは651系

うーん偶然の不思議 笑

松川事件というのは、C51-133が牽引していた東北本線(松川~金谷川間)の上り列車が、レールの犬釘が抜かれていたために脱線転覆したもの

要はSL時代、そう考えると途端に歴史を感じます

あ、三鷹事件は三鷹駅構内にて起きた、モハ63019ほか7両の暴走転覆事故と言われています


さて閑話休題、話を戻します



校舎というか、校舎群ですね

一番奥の白っぽいこの建物



およそ、体育館ではないかと思われます

その手前、もう入れないはずの敷地内にある自転車置き場に並ぶ幾台もの自転車が気になるところですが・・・?



それにしても、いつかのごとく木枠の窓

外観からしてもっと古いかと思っていましたが、昭和24年なんですよね、意外に新しいなと思ったところです



この雰囲気、やっぱりいいなぁ

地元の意見は、やはり残せるものなら・・・けれども市教育委員会は、歴史的価値はないと判断して解体の方向

寂しいけれども、解体後の土地の一部を小学校の運動場拡張に充てるならば、元は学校だったこの校舎も浮かばれるのかもしれません

しかし、本社移転前にぜひともお邪魔したかったという後悔でいっぱいです


というわけで、ひこね芹川駅から北へ徒歩1分のところにある近江鉄道旧本社社屋

まもなく、見納めとなりそうです

2010.05.30/滋賀県彦根市

2010-06-01 22:58:58 | 近江鉄道


休日朝、閑散とした・・・というか、人っ子一人いない車内には、爽やかな車窓と皐月の風に派手なジョイント音が響くばかり



日野駅を筆頭に、彦根口、桜川、鳥居本、新八日市に水口駅、極めつけは旧本社社屋(※)と、魅力的な駅舎が多く残っている(これでも減ったほう)近江鉄道。

ぜひともこれから時間を見つけて訪れたいです。

そんなわけで今後、記事が増えると思われるので、近江鉄道のカテゴリを追加しました


※ひこね芹川駅前にある旧本社社屋は今春、新社屋が建ち、その任を解かれて今後取り壊され整地されて、佐和山小学校のグランドになるものと思われます。

2010.05.30/近江鉄道 800系