今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

旧加納町役場

2014-03-03 01:23:35 | 建築
新岐阜を出た名鉄名古屋本線は、加納、茶所、岐南と進んでいきます

新岐阜、加納、茶所はその駅間が短く、高架化の際には加納と茶所が統合されるような話もあったりなかったり

まあたしかに、検車区のある茶所に乗務員乗降のためを兼ねた駅があれば、徒歩でも3分と掛からない距離の加納は・・・いらない・・・?

そんな加納駅近くにある、旧加納町役場



細い道路からいっぱいに引いてとっても、この日持っていた20mmでははみだしてしまう

大正15年生まれの鉄筋鉄骨コンクリ製



これが立て看板

旧京都帝大の武田五一設計、鴻池組施工の・・・いまは廃墟同然の、でも岐阜市が誇る建物



でした、と言うべきか

去年の岐阜新聞に解体の方針である記事が載っているのを今日知ったので、こうして取り上げたんですね

いやあ・・・東海地震なぞが来る前に解体してしまった方がいいので良かったのかなあ

どうせ、このまま修復します修復しますと言い続けているうちに崩れるのは目に見えてましたので

以下、そんな崩れ具合をどうぞ



触ってはいないですが、今にも剥がれそうな外壁

実際、この下には剥がれたコンクリがコロコロ

窓も割られていないのが奇跡的

街の中にあるために、狙われないのでしょうか、でも逆に、これが街の中に平然と建っている恐怖



痛々しい外壁

時の流れは感じられますけれど、けれど



1階はアーチ窓、2階は縦長の、個人的に好きな窓



裏手に回って、ダイレクトに2階に通じる外階段

雨樋は新調されているものの、古いのも残っているので、本格的に修復すればかなりいい状態だと思われたにもかかわらず・・・

言われなくても耐震強度不足なのは確実なので、相応の予算を盛り込まなくてはならないので、その天秤に掛けたら解体ということになったんでしょうが、至極残念

近くの岐阜市中心には、看板にもあるように旧岐阜県庁という、この何倍も大きな立派な建物が、しかもこちらは現役で使用されている建物が存在するので、そっちでいいやってなってしまったのかなあ、そう考えるとかわいそうな旧加納町役場

また載せますが、それは立派です、旧岐阜県庁

でも、せっかく現代まで遺った大正建築なのに、もったいないなあ

どこか窓から中を見たかったなあ、と言いながら、解体が済んだおよび解体中といったような記事、写真は見当たらないので、解体決定から1年経った今でもまだあるのかなぁ

加納天満宮に行きがてら、最後の雄姿を覗きに行こうか

2010.11.29/岐阜県岐阜市 旧加納町役場

浜寺公園

2014-02-17 01:14:35 | 建築
ようやく行けた南海浜寺公園駅

2018年度末完成予定の立体交差化工事によって移築される前の状態に間に合ってよかった



まずは全景


日本史の教科書にも出てくる日本人建築家、辰野金吾

辰野金吾と言えば日銀、東京駅を設計した超一流の建築家

若き頃は生まれの唐津で高橋是清に英語を学び、その是清を追って上京したという辰野金吾

泣く子も黙る辰野金吾の初めての駅舎建築がこれ、1907年の作品、浜寺公園駅

日本最古の国立公園である浜寺公園への玄関として、立派なものをと意気込んで作られた感がひしひしと



丸みを帯びた優しいデザイン

柱や梁が表に出る、ハーフティンバーでいい感じ

淡い色もいい感じ 岡崎の旧額田郡公会堂も大正建築ながら、色がきついライトブルーだかピンクだか、あの色遣いがちょっと苦手なのでおそらく見に行くことはないでしょう



かつての窓口と思しき跡

中が見たい・・・

ところで阪堺線浜寺公園 ならまだしも、浜寺公園阪堺線では、通しで読んで路線名と間違えそう



ちょっと傷んできているようなので、移築の際にはぜひ修繕をしてほしいところ

浜寺公園駅開業は1897年、この駅舎の開業は1907年、大和田建樹の鉄道唱歌発表は1900年・・・ギリギリこの駅舎を見ていないわけですね

でも、この南海電鉄は南海線として第5集、関西・参宮・南海編に登場します

かけじや袖とよみおきし その名高師が浜の波 よする浜寺あとに見て ゆけば湊は早前に

かけじや袖 と詠み とは、金葉和歌集に詠まれている祐子内親王紀伊の一首のこと

その名たかきとたかしが浜の高しが掛かっており、お待ちかねの浜寺登場、そして湊は湊町こと南海の終着なんば

この浜寺というのも、吉野日雄寺(火事消失現存せず)を山の寺と呼ぶのに対し、後醍醐帝の命にて建立の大雄寺(現存せず)を浜の寺と呼んだのに由来するようです

1127年の金葉和歌集から1300年代の後醍醐帝から、田安家の松林伐採により消えかけた景勝地も大久保利通の一声でなんとか留められ、そして1900年の鉄道唱歌にまで登場するという、なんとも由緒あるこの一帯




しかし100年前からここに建っていたなんて、重みがありすぎてなんとも

移築すればさらに丁寧な保存となるはずなので、ともすれば150年、200年持ったりして

私が死ぬ頃にも、現時点で100余歳のこの建物が残っているかもしれないとは、なかなかのロマン



この景色がこの先4年でどう変わってゆくのか・・・すでに立ち退きは終わっているようなので、もう変わり始めているのでしょうけど

そして検索してもあまりヒットしませんが、開業当初のモノクロ写真を見る限り、どうも尖塔や煙突(?)が屋根上にあったようなので、それらがあった頃はさらに引き締まった駅舎だったんだろうなぁと思いを馳せながら

2014.02.08/南海電鉄浜寺公園駅

しろがねばし 城嶺橋

2013-06-08 13:15:13 | 建築
長くなります

そして、そのうち再訪するので、またそのとき新たに記事を追加します

とりあえずということで


では

城嶺橋と書いてしろがねばし



中央西線定光寺駅を降りると否が応でも目に入る橋

なんでも京都鴨川を横断する四条大橋を模して、名古屋城開府300周年を記念して造られたものだという

つまり昭和12年3月から数えて、76年を迎える橋(わたくしと同じ早生まれなので、まだ75年と3ヶ月ですが)

疑問を抱いた方、正解です

この前、名古屋開府400年祭をやっていましたので、この橋は100年経ってないと辻褄が合わないはず

それは、この橋が3代目であるから

1代目は吊り橋、2代目は木造橋、そしてこれが3代目で76年が経過しているのです

ちなみに城嶺橋は、尾張徳川家の菩提寺である臨済宗妙心寺派の応夢山定光寺から、城(名古屋城)が見えたことに由来するそう



全景はこんな感じ

伊勢湾台風にも耐えた堅牢な造りは、逆ランガーの開腹式上路アーチ で合ってますか 笑

橋についての知識なんて、なんせプレート、アーチ、ラーメン、ガーターくらいしか知らず・・・もっと勉強したいと思います


きっと、この先の写真を見て、なんで圧縮された写真しかないのかと思われる前に言っておきますと、広角系を忘れて望遠しか持って行かなかったからという、なんとも残念すぎる


それで、四条大橋をモチーフにしたと上に書きましたが、知っている方は、また疑問符がつくはず



これが現在の四条大橋を西に向いたもの・・・東華菜館メインなので、どれがという感じですね

右端に小さく写っているやつです



変わって、偉大なるWikipediaから拝借した、東を向いた画像

見て分かる通りまったく似ても似つかない構造

ガセなのかと思うなかれ



こちらは、大正13年から昭和17年まで活躍した、現在のものになる前の四条大橋(By Wikipedia)

なるほど、アーチ状、電燈など類似点が見当たります

でも、もとから下のアーチ部分は埋まっていたのかな、だとすると、城嶺橋のほうがかっこよく見えます



アーチ×アーチ

やっぱり大正~昭和初期のものは素敵です



下に流れているのは、名古屋市に入ると庄内川に変わる玉野川

1911年の、かの有名な大和田建樹の・・・ではなく、福山寿久作詞の中央線鉄道唱歌には、

「彼処に見ゆるは虎渓山 土岐川清く山高し 十四のトンネル絶え間なく 高蔵寺勝川夢現」

とあるように、この玉野川は岐阜県内では土岐川と呼ばれています

鉄道唱歌と言えば大和田建樹の没年が1910年10月1日である一方、中央線全通日が1911年5月1日であることから、大和田は全通まで残り半年というところで亡くなったため、福山寿久が引き継いだものと思われます


歌詞にある虎渓山は現在の古虎渓駅から連想できる通りの場所です

これ以前の歌詞に出てくる駅名は、土岐津(現中津川駅)多治見、そして高蔵寺、勝川・・・この頃、無論定光寺駅は存在せず、8年後の1919年になってようやく玉野信号所が設置され、1年たたずして仮停留所に、その4年後にめでたく定光寺駅が開業という運びになっています

十四のトンネルというのも旧線の話で、現在では愛岐トンネル以下新線のトンネルが引き継いでいます

余談




もともと、路面には銅板を敷いていたようですが、不要不急路線のレールなどの鉄材供出よろしく供出されてしまったそうで、現在はコンクリートです

もっとも、戦争がなくても現代まで銅板敷きのまま残っていたかどうかは怪しいですが





なんとなくみやびな感じ

みやびというと、1年持たずに餘部の高所から落下した客車を連想してしまい、なんだか悲しい言葉に聞こえてしまうのは悲しい性



ところで

なんでこんなに詳しく話せれているかというと、もちろん調べてますけど、現地でカフェを営むお兄さんがちょうど橋のところで看板持って立ってたわけです

その横でカメラを出してごそごそしているわたくし

電車でも撮ってるんですかと聞かれ、いえいえいえいえいえ、この橋を撮りに来たんです






・・・

まあ、駅では撮ってましたが 笑

しかしロクヨンの原色の方は、どう考えてもヨコなのにタテかなーと思って切って残念

愛岐トンネルの方は、見て分かる通り日影がすぐそこまで! なんだこれ

トンネルから顔を出すロクヨンかわいいんで、いいですけど

あ、広島色の1049が出場したみたいですね

1046は相変わらず稲沢で一休札差されて寝てますが


それで、わざわざ撮りに来るって、この橋のことご存じなんですか? となり、そのお兄さんは、なぜかめちゃくちゃ詳しい人でした

城嶺橋のみならず、近辺の近代遺産(玉野発電所、旧線トンネル群、鹿乗橋など)についても事細かに歴史から現在まで説明していただき、メモとるのに必死でした

尾張19代徳川吉親のお話も含め、また再訪時の記事で詳しく書いていきたいと思います

お兄さんありがとうございました、今度はカフェにお邪魔させてもらって、ゆっくりお話聞かせてください


2013.06.08/瀬戸市定光寺町(玉野川が市境なので、橋を渡った定光寺駅は春日井市 これも教えてもらいました) 城嶺橋

岐阜 問屋町

2011-10-30 01:27:21 | 建築


なんだか、タイムスリップしたかのような写真からスタートします



正体はこれ

新岐阜の西、岐阜駅の北に位置する繊維の問屋町

信長像と道路を挟んだ向かいにある、ニューファッションビルが目印の問屋町です



まず目を引くのが、シャレた通りの柄

ブロックごと(丁ごと?)で道路の柄や照明の形状などが統一されていました



決して荒らされたあとではありません

この問屋町は、再開発により消え行く運命にあるのです

だから明るさも活気もなく、冷たい空間が広がっているのです

賑わっていた頃に来たかったなぁ



これもまた、なんだかシャレた通り

このように、まだ店を開けているところも何軒かあります



最初の通りですね、ここは無人でした

人っ子一人いない、自分の足音しか響かない

それなのに青いマットが敷かれて、植木は手入れされている

不思議な感じです

廃墟ではない廃墟というか、暗く冷たい中に、人間のぬくもりが少しだけ残っている感じ



たまに、こういう空間があります

見あげれば、四方を建物に囲まれた狭い空

なんとも言えぬ景色

初めて見た景色です



寂しいです、本当に

でも、多くのシャッターに貼られていた紙に共通する文句が救いでした

「○○にて営業しています」

経営不振や採算が取れなくなって寂れていったあとではありません、活性化のための再開発なのです



すぐ向こうには、その再開発の名のもとに高層ビルが立ち始めています

昭和と平成がミスマッチしています



誰もいないのをいいことに、三脚を広げて、懐かしい丸型の電灯を撮ってみたり



のんきにしていたら、1時間半近くが経っており、夕日が眩しくなってきました

ハイライトはこれからですが、今回は時間の都合で撤退です



異世界から戻る、元の世界へ通ずる道のごとく、狭き入り口から光をいっぱい取り込んでいました

また来たい、今度はゆっくり回りたいと思いながら、現実世界へ帰りました


ノラネコくらいいてもいいと思ったんですが、それどころか鳥にも虫にも出くわしませんでした

不思議な空間でした

2011.10.29/岐阜駅北 岐阜問屋町

旧・大津公会堂

2010-10-27 20:04:57 | 建築
今回はW.M.ヴォーリズではない作品

というか、誰の作品なのかよくわからない昭和9年の建築、旧・大津公会堂



2010年の4月にリニューアルされたばっかりなので、真新しさが残っています

それにしてもF1.8のパンケーキレンズはボケ味がすごい



外観はこのように、モダンかつ機能的なデザインながら、3階部分には遊び心が取り入れられており、結構おしゃれ



こんな感じ

丸窓がいいアクセントになってます



早速、中へ入ってみると・・・とても落ち着いた空間

いいですね、この感じが堪らないです



リニューアルでエレベータも設置されたよう

ギンギラの扉がちょっと不似合いですけど、まあバリアフリ-最優先ですね



モダンな雰囲気、とてもいい雰囲気

ほの暗い空間に相応の装飾が美しい



最後に特徴的な外観をもう一枚


浜大津駅から徒歩3分という好立地なこの公会堂

京都から、地下→地上→路面と車窓が様変わりして楽しい地下鉄東西線~京阪京津線に乗って、訪れてみてはいかがでしょうか

写真はすべて
2010.09.04/滋賀県大津市 旧大津公会堂

松重閘門

2010-09-18 18:47:18 | 建築
名古屋は中川運河と堀川をつなぐの松重閘門(こうもん)

名鉄の山王~名古屋間の上り線左手にチラッと見えるあれです

ちなみに閘門とは、水位の異なる水の間に対になって設置され、船が行き来できるようにその水位を調節する門のことです

この松重閘門の場合は、港から来た中川運河と堀川とを接続する際の水位差を解消する目的で1930年(昭和5年)設置されています

運河も使用停止となった今では、言うまでもなく稼働してはいません




立派な閘門

無粋な建物には目を瞑り、門だけを見たらなにやら異国情緒漂うもの



古びた感じが・・・って、若干汚れすぎな気がしますけれども、2013年にも整備される予定なので、その際、きれいに生まれ変わることでしょう



対になっているもう一つの閘門がこちら

奥には700系の姿が



こちらは先に整備された方のようで、きれいな状態です

扉のノブが光ってます



ムダに凝ったデザインが好きです

内部がとても気になりますが、見る機会はないでしょう

暑さもいくぶん和らいで、散歩日和と思ったものの、辺りがなにより汚い

木や草は鬱蒼としているばかりか運河側の水が大変汚れており、かなり異臭が立ち込めていました



ちなみに今日、名古屋近辺で激パだった(らしい)ヘッドマーク付きのEF66-27率いる赤坂ホキは、タッチの差で間に合わずという次第・・・

明日もホキ運用ですが、撮りに行けれないorz

来週のウィークディに撮れるよう、順当に流れてくれることを祈るばかりです

写真はすべて
2010.09.07/愛知県名古屋市 松重閘門

旧醒井郵便局

2010-09-05 23:22:38 | 建築


民家の中に突如現れる立派な郵便局、醒井郵便局

創建は昭和を飛び越し大正4年




なんだか日本ではないような空間が広がっています

創建当時、まちの人々は何を感じたことでしょうか




郵便局は現役ではなく、内部は資料館

ぜひとも見たいところでしたが、時間の都合で諦めます

チラッと見る限りでは、キレイにされてる様子です



誰の作品かって、もちろんV.M.ヴォーリズ

国の文化財なんですね

東海道線醒ヶ井駅から徒歩5分圏なので、ふらり立ち寄るのもいいんじゃないでしょうか


ところで、2005年に滋賀県米原市というのが誕生していたんですね

頭の中は、以前の坂田郡米原町のままでした 汗

Panasonic LX-GF1+Panasonic H-H020 20mm/F1.7(パンケーキ)
2010.09.04/滋賀県米原市

旧水口図書館

2010-07-18 22:55:55 | 建築
暑い毎日ながら、晴れ間があるのが救い・・・というか、晴れてれば暑かろうと寒かろうとなんでもいいという今日この頃

さて、今日はV.M.ヴォーリズの作品をひとつ



爽やかな青空と若葉が眩しい中、ひときわ目を惹く窓の形状

それ以上に目立つ無様な排水管

もう少し色を考えればよかったのに・・・



南西面も一枚

電線以上にやっぱり排水管



・・・南東面も排水管

もうなんて言うかぶち壊し?

工事者も責任者も、なにか恨みでもあるのかしら



まあ、とりあえず中に入ろう と、意気揚々玄関へ

扉の上の燭台のレリーフの装飾も見事なもの


と、ドアノブに手をかける

あれ?

あれれ?


・・・開かない。

開館日は確認してきたはず、第2第4日曜日のみ公開と書いてあって、今日は第四日曜日じゃ

ここまで考えて、カレンダーを見る

あ、5月は日曜が5日あったんだ

で、今日は第5日曜日なんだ・・・



とりあえず悔しいため、レンズフードを取って内部を必死で盗撮

そのパンフレット類が喉から手が出るほど欲しい



もどかしい気持ちを抱きつつ図書館を後にする

建っているのは水口小学校の敷地内、なんとまあ羨ましい小学生たち


しかし瀟洒な感じの旧図書館

焦らされたぶん、期待が高まります

2010.05.30/滋賀県甲賀市水口町

※雨どいについての内容に失礼がありましたこと、お詫びいたします。
件の雨どいは当時の図面を基に復元されたもので、この先何年かののちに建物としっくり合うものになることと思います。(2010.08.02 00:06更新)

水口教会会堂

2010-06-10 14:16:19 | 建築


昭和4年に建てられたとは思えないモダンな外観

察するに、入り口がバリアフリ-の波を受けてか、新しくされているのがちょっぴり残念

おとぎの国に出てきそうなこの雰囲気、V.M.ヴォーリズの建築

平成13年には、国の登録有形文化財に指定されたそうです


2010.05.30/滋賀県甲賀市