廃校シリーズ2校目
豊田市の岡崎寄りに位置する阿蔵にある、旧阿蔵小学校
立派な石造りには
愛知県東加茂郡阿蔵尋常高等小学校
まあ、これは古い小学校の門柱によくあるタイプ
しかし、対になる左側の門柱には
明治23年から昭和10年まで存在した実業補習学校の文字
これはなかなか
ちなみに、上の門柱の裏には昭和8年と刻まれており、こちらの裏にも文字があったんですが、「四」とだけしか範読できず
あまり情報がないので何とも言えませんが、校庭の石碑に開校100周年を愛知県知事である桑原幹根が一筆書いていることから、桑原が退いた1975年から100年遡っても1875年は明治8年で、今年で140周年・・・
静かに眠る職員室棟(手前)と体育館(中央)
運動場には、無数の轍 このときに不穏な空気を察していれば・・・
阿蔵小学校は、大きく5棟に分かれており、渡り廊下で結ばれていました
南の職員室棟、北の教室棟、西の理科棟、職員室棟東の体育館、そしてその東の校務員室と思しき棟
まずは小さな職員室棟から
メインの職員室
閉校以外に、この黒板がまっさらになることはありません
最後に黒板を消した先生は、どんな気持ちだったんでしょうか
小さな二段式の行事予定表のあった、この玄関隣の一番いいポジションは校長室でしょうか
職員室から続いていることを考えればそうなんでしょうが、廊下側の扉に少し威厳がありません
正面玄関から中を覗く
右手の壁の裏は、さきほどの校長室の黒板になります
左手は手前が保健室、奥が更衣室となっていました
突き当りのアルミサッシが残念
しかしながら、2008年閉校とあってか、とてもいい状態で、少し手を入れればまだまだ使えそうな雰囲気
これはどこだったか、確か職員室棟の東端、体育館寄りの部屋だったと思います
和室なので宿直室かな、にしては広いので、なんでしょう
ひと晩4~5000円が相場だった宿直、やりたかったなあ、むしろ払ってでも一度やりたい
でも、見たところシャワー室がなかったような
各棟をつなぐ渡り廊下にも、小学校ならではの光景
北側の教室棟の入口から
最後に塗り直したのか、塗装がテカテカしてます
木のまま、多くの人の手で擦れて角がツルツルになってるのも味がありますが、こうして塗られてるのもまたいい感じです
そんな教室棟の東外側に付いていた、抜けそうな金属製の非常階段から教室を見る
どういう造りなんでしょうか、廊下のない設計のためか、各教室が扉でつながっています
チャイムが鳴ってしまったら最後、教室に戻るためには非常階段か、隣のクラスの授業を跨いで来るしかなかったのか・・・
それとも非常階段じゃなく、外階段だったのでしょうか
これは教室棟を北から見た様子
左の金属部分が、件の非常階段、ではなく外階段なんでしょうね
結構強引に作った様子が伺えます
部屋は全部で6
階段部分には、先の写真からも分かるように採光窓が大きく取ってあります
ちゃんと考えられた設計です
教室プレートを見る限り、中高学年は複式だったので、残りの部屋は図書室・音楽室辺りに転用されていたんでしょう
続いて、体育館を飛ばして東の端の校務員室らしきというか、小使いさんの住んでいるような建物
右はポンプ室とあります
左の扉の奥は、僅か3畳ほどの小部屋でした
さすがに狭すぎるかなとも思いますが、見える扉の下が三和土のように見え、その手前に一枚扉があったとしたら、玄関に見えなくもないです
理科棟は飛ばして、これは体育館にあった校歌
ちょっと雑な感じを受けました
これはレプリカで、現役時代の本物は合併先の巴ヶ丘小学校で大事に保管されているとか、そんなだといいですが
これでは、作詞作曲もわかりませんし
で、アンコ狩りとはなんでしょう
夏に、狩るもの・・・?
一応同じ地方で生活しているつもりですが、まったくわかりません
体育館の南側外壁と、北側にあった扉
鉄板とアルミサッシでガッチリ補強した南の壁面とは裏腹に、薄く華奢な、しかし歪みのないきれいな扉
ノブと鍵穴がいい感じです
いい感じにつられて、思わずノブに触ると・・・あれ
軋むことなくスッと開いてしまった
この際なので、自己責任で少しだけお邪魔することに
問題があればご連絡ください
あちこち近代化されているのが残念ですが、こぢんまりとしたあたたかそうな体育館
サイズが小さいせいか、天井も低く、水銀灯ではなく蛍光灯装備です
真ん中のラインは換気口ですか なかなかオシャレです
ただ一応、運動目的の場所において、むき出しの蛍光灯もあるとは大胆ですね
そして、もう一つむき出しなのが後方の窓
奥は配膳室でした
センターも遠いでしょうし、この感じは結構晩年まで、もしくは最後まで自校方式だったように見て取れます
誰が悪いわけではないんですけど、ぬるい牛乳と冷めた味噌汁、半分融けた冷凍みかんなんかは、何か悲しいものがあります
せめて夏場の牛乳くらい冷やしておいてくれてもバチは当たるまい
外へ戻って、運動場の東端には荒れた観察棚と山積みのベンチ
で、ここまでが2015年3月22日の旧阿蔵小学校
今日、フィルムで撮り直そうと思ってふらっと寄ると・・・
は?
そこにあるべきものがなかったときの衝撃はすごい
何もない
慌てて調べると、4月17日より4ヵ月ほど掛けて解体を終えた様子・・・合掌
階段の先にあった職員室棟が
ない
ベンチは最後に捨てるのか不動、引き抜かれたホースと朝礼台が集められていました
地面の無数の枝は、この奥に生えていた木々の残骸でしょう
観察棚の成れの果てかもしれません
朝礼台から校舎跡地を眺める
体育館跡に代わりに建ったのは、地域交流センター
それなら、すぐにでも使えそうだった職員室棟と体育館を耐震化して使っておくれよ・・・
自分が地域のじじいにだったら、かつての小学校を使い回してくれた方が愛着沸くけどなあ、そうも行かなかったんだろう
縁もゆかりもない阿蔵小学校でしたが、少し寂しさを覚えました
そして、3月に「また寄ればいいや」と油断して理科棟を残して帰った自分が憎らしい
廃校舎に、「また」はないんですね
この隣の三巴小学校もぶっ壊されたらしいですね
どうでもいいですが、公立の学校が解体されることって、新聞はさておき回覧板なんかには載るんでしょうかね
私は阿蔵小学校とは遠く、関係のない人間なのでアレですが、自分の母校が知らない内に解体されました、もう跡形もありませんなんてなったら、やるせない気持ちで一杯になりそうです
フィルムで撮れなかったので、苦し紛れのモノクロ加工でした
2015.03.22*2015.12.06/豊田市 旧阿蔵小学校