54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

光と神

2005年06月23日 | パラソル
「魂との対話/ゲーリー・ズーカフ」は科学的ではないが、学ぶべきことは多かった。今回はその中から「光の振動数」について紹介しよう。

人間は光のシステムである。光の振動数は、意識のレベルによって変化する。嫌悪、羨望、恐れといったネガティブな感情は、振動数が低くパワーが弱い。好意、喜び、思いやりといったポジティブな感情は、振動数が高くパワーが強い。
人間は絶望や不安なとき、肉体的な消耗を感じるが、これは振動数の低いエネルギーのせいだ。逆に、喜びに満ちた人間は高い振動数のエネルギーによって、パワーに満ちている。パワーに満ちた生活を送るために、愛に満ちた思考、思いやりに満ちた思考によって、意識の振動数を高めるべきなのだ。

私としては「光の振動数」というのは比喩として受け取っている。ネガティブな思考のときは肉体的にも精神的にも力がなくなるし、ポジティブな思考のときはパワーに満ちているというのは確かである。


ここから本を離れて、「光と神」について最近思ったことを。

キリストや釈迦の絵には、その背後に光が描かれている。光は神の象徴である。象徴というよりも、神そのものではないだろうか。光が神で、キリストや釈迦は、人間が視覚的に捉えやすいように、光を投影したものではないだろうか。神が人間と同じ姿をしているわけはないのだ。光が神である。

話がズレるが、北海道の海岸線の長さはどれくらいだろうか?・・・答えは「無限」である。1mのものさしで測れば何kmという答えになるだろう。しかし、10cmのものさしならより細かい凹凸も計測されるので、もっと長く計測される。1cmなら、1㎜なら、ものさしを小さくするにつれて海岸線の長さは長くなってゆく。ものさしを無限に小さくすれば、海岸線の長さは無限になるわけだ。
しかし私たちは北海道の海岸線が無限だとは思っていない。北海道を1周できるのだから。それはもちろん、人間が1メートルのものさしの世界で生きているからだ。人間よりもはるかに小さなアリにとっては、まさに無限の長さに思われるだろう。

さて、光の話。宇宙の広さは昔は無限だと考えられていた。しかし今では、宇宙は有限であるとされている。計測に用いられたものさしは、光である。光にとって宇宙は有限なのだろう。そして”光は神”だ。
人間は光速を出すことはできない。そんな人間にとって宇宙は有限ではなく無限だ。海岸線における人間とアリのように、宇宙において神と人間である。光、つまり神というものさしを使って「宇宙は有限である」とするのは、人間の思い上がりではないだろうか。神と同じ視点に立とうだなんて。光速を出せない、神にはなれない人間にとって、「宇宙は無限である」と私は思う。


「光は神である」と書いていて、なんだか太田光が神であるみたいな気になってきた。私にとって太田さんは神である。