54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

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精神が創る完全な健康

2005年05月31日 | 精神力シリーズ
小6のとき教室で「死ね」と言われたので窓から飛び降りた。3階だった。そいつらはびびってたし、私も落ちながら(やっちまった…)と後悔してた。だけど見事に着地した。死ぬどころか怪我ひとつしなかった。その様子を見ていた先生に呼び出されて「なんで飛び降りたんだ!」と怒られた。あいつらも怒られてた。その後いじめられなくなった。家に帰ると足がじんじんとした。寝れば治るだろうと思い寝た。次の日も足がじんじんとしたがあまり気にしなかった。次の日もじんじんしたままだったので保健室に行った。保健室のおばさんが念のため病院へ行くように言ったので病院へ。病院の先生は「複雑骨折してるよ」と言った。私は急に立てなくなった。
精神と怪我は無関係ではない。
'98年フランスW杯「日本VSジャマイカ」で中山雅史選手は歴史的ゴールを決めたあと、接触プレーで骨折した。岡田監督は小野選手を投入し3人目の交代をさせたあとだったので中山選手を交代できなかった。中山選手は最後の16分間を骨折したままプレーした。走り回っていた。精神が肉体を凌駕していた。試合後全治6週間と診断された。
精神が強いと骨折を回避できる。アドレナリンやなんかが痛みを和らげたとも言われるが、私はそうではなく、先生が「骨折です」と言った瞬間に骨が折れたのではないかと思う。その瞬間まで骨はつながっていた。ちゃんと歩いていたんだから。
強い精神が骨をつなげていた。「骨折です」のひとことで強い精神が解かれて骨が折れてしまった。折れない精神なら骨は折れない。強い精神は肉体を凌駕する。

風邪なんかも精神の影響を受ける。ミュージシャンが、ツアー中は風邪をひかないんだけど、終わったとたんに風邪ひいちゃってせっかくのオフが台無し、また仕事が始まるとけろっと治るんです。なんて話をよく聞く。仕事に対するプロ意識が病気を防いでいるのである。そもそも風邪のウイルスは常にいるわけで、免疫力が下がるとウイルスに勝てなくなって風邪をひく。そして免疫力は精神と無関係ではない。
学校に行きたくなかったりすると風邪をひくことがあるという。仮病ではなく、裸で水を浴びたりといった意図的なものでもない。行きたくないという気持ちが風邪にさせるらしい。私も小2のときスキー学習を風邪で休んだことがある。あのときは風邪をひいてラッキーだと思ったが、どうやら自力で風邪をひいたらしい。「病は気から」というが、まさにそのとおりである。

精神がどのように怪我や病気を引き起こすのか、あるいは防ぐのかを科学的に解明できれば、人間は怪我も病気も克服できる。医者も薬もいらない、完全に健康的な生活。たとえ科学で解明できないとしても、我々は精神を強く保とうとすることで、怪我も病気も防げるのではないか。「どのように」は問題ではなく、なるものはなるのだ。
強い精神力。中山さんやツアー中のミュージシャンのように。先日のK-1パリ大会でバンナの強烈なパンチをくらっても立ち続けたシリル・アビディのように。強い精神力を身につけるために空手でも始めてみようと思う。
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宇宙人の人体実験

2005年05月30日 | パラソル
昨日私の身に起こったことを書く。
1:00に眠り8:00に起きた。目覚めはばっちりだった。本を読んだりTVを見たり過ごし昼食を食べて12:30。眠気はなかったが横になって本を読んだ。すると急に眠気が襲ってきたので本を置き目を閉じた。

私は別の場所にいるような気がした。体が動かなかった。目はうっすらとしか開かず、意識は朦朧としていた。いつもの金縛りだと思い再び目を閉じた。(「金縛り」というのは睡眠マヒといい、レム睡眠のとき、脳は起きているけど体が眠ってる状態なので、意識はあるけど動けない状態をいう。)

ほどなく目が覚め体も動かせるようになった。しかし脱力感があり、日曜なんだからもう少し寝かせてくれよ的な欲求が強かったので再び体の力を抜いていった。

再び金縛り状態。体が動かない。指先だけかろうじて動いたが、気休めにもならない。(金縛りになるといつも体を動かそうとする。なんとかしてこの呪縛から逃れたいと思うのだ。しかしいつも失敗に終わる。)首を起こすことに成功した。しかしそれは失敗だった。脳みその耳に近いところで電気音がした。機械を落としたり、水をかけたりしたような、もしくはビームライフルをくらったガンダムのダメージを受けた部分が発するようなバリバリッというような音。一瞬ではなく持続的に。私は脳に異常が起きたと思った。耳が聞こえなくなると思った。最悪死ぬのではないかと思った。なにもできなかった。目を閉じた。

目を覚ました。完全に起きた。時間は13:00だった。たった30分のできごとだった。たった30分で寝て起きて寝て起きたのだ。耳も脳も正常だった。

私はこの経験を、宇宙人にさらわれて人体実験をされた、と言ってもいい。それは一瞬だったんです。急に眠気が襲ってきて、目が覚めると別の場所で、体が動きませんでした。意識は朦朧としていましたが、なにか灰色の生物がいたような気がします。頭を持ち上げられて、そしたら耳の辺りで電気の音がして、バリバリっとして、怖かったです。実験されたんです。・・・。
私は科学的にものを考えるから宇宙人の仕業だなんてことを本気ではいっていない。体が動かなかったのは睡眠マヒだといえる。耳の辺りの電気音は説明できない。物理的に発生した音だったのか、記憶から引っ張り出してきた音だったのか。脳は半分寝ているようなものなので意識が朦朧としていた。だからうっすら見える視界の中で、たとえばTVやなんかが灰色の宇宙人に見えても不思議はない。思い込みが激しければ錯覚はいくらでも起こりえる。

実際に起こったのは睡眠マヒの中で首を動かしたら耳で変な音がした、というだけのことなのだが、そこには宇宙人に人体実験をされたと主張する人が言ってることと似ている部分が多々あるように思う。そこで、私は宇宙人に人体実験をされたという稀な経験をしたともいえるのではないかと考える。それは貴重な経験だった。
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吉川晃司・布袋寅泰・氷室京介

2005年05月26日 | 音楽
この1週間の音楽といえば、
ふと吉川晃司を聴きたくなって「Golden Years vol.III」を聴いた。「せつなさを殺せない」「BOYS LIFE」がお気に入り。吉川さんの歌い方は独特でいいな~などと思いつつ。
吉川さんの余韻を残しつつ、続いてCOMPLEXの「19901108」を聴く。COMPLEXは吉川さんと布袋寅泰のバンドで、そのライブ盤。「恋をとめないで」「RAMBLING MAN」の2曲がとてもいい。吉川さんのヴォーカルもいいけど、布袋さんのギターもいい。この組み合わせは伝説的だね。
そこへきてBOOWY。氷室京介と布袋さんの伝説的バンド。その「PSYCHOPATH」。「LONGER THAN FOREVER」「MARIONETTE」「PLASTIC BOMB」、どれもいい曲。BOOWYのアルバムでは「CASE OF BOOWY」が一番好き。「NO NEW YORK」「ホンキートンキークレイジー」数え上げればキリがない名曲の数々。BOOWYは本当に伝説だ。
そして氷室さんのライブ盤「BOOWYS VS HIMURO」を借りて聴いた。氷室さんが一夜限りでBOOWYの曲をやるという伝説のライブ。伝説といっても昨年の話。「B・BLUE」から鳥肌ものというか、やっぱりいいねという感じ。「ONLY YOU」「DREAMIN’」などBOOWY時代の曲を網羅していた。ライブに行けばよかったという後悔と、BOOWY復活を強く思った。ギターが布袋さんでないというのが大きかった。なんとなく、全然違った。コーラスのところで強くそう感じた。「PLASTIC BOMB」や「ホンキートンキークレイジー」をやらなかったのもコーラスを考慮してかもしれない。それだけに、より布袋さんと氷室さんのBOOWYを聴きたいと思うのであった。

私がBOOWYに出会ったのは遅ればせながら大学2年のとき、2004年だった。BOOWYはとっくに解散していた。時代を超えて過去の曲を聴けることはよいことだけど、悲しいこともある。私がどんなにBOOWYを好きになろうとも、BOOWYを生で体感することはできないのだ。そんなとき、タイムマシンがあったらいいなあと思うのです。
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アクアブルーの花びら

2005年05月25日 | クリエイティブな思考への挑戦
夜、急に目が覚めた。窓を開けるとアゲハチョウが3匹部屋に入ってきた。普通のアゲハチョウではない。模様が青白く光っている。綺麗だと思って触れようとすると、羽が4枚に分かれて散ってしまった。それに驚きつつ他の2匹の方を見ると、同じように散っていった。私はとても悲しい気分になった。そうしていると風が急に強くなった。台風のように強く吹いた。私は窓を閉めようとしたが風が強すぎてなかなか閉められない。あきらめて部屋を出た。机の上の紙やなんかが風に舞っていた。部屋は大変なことになるだろう。部屋を出た廊下にも窓はあった。雨も降り始めて嵐のようだった。雨の量が尋常じゃなかった。1年に降る雨が一気に降っているとでもいうような。その光景があまりにも恐ろしすぎて私は暗い廊下でうずくまり時が過ぎるのを待った。
朝、急に目が覚めた。どういうわけか私は廊下で寝ていた。悪い夢を見ていたような気がした。部屋に戻ると驚いた。部屋中が嵐にでもあったように荒れていた。何があったというのだろう。私は外に出た。太陽がまぶしかった。目が慣れてきて真っ白な世界がゆっくりと色づき始めた。私は声を失った。青白い花びらが一面に広がっていた。やわらかな風に吹かれて花びらがまるでチョウのように舞っていた。ここは天国であろうか。
真っ青な空に虹がかかっていた。
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タイムマシンの理論的モデル

2005年05月24日 | 飛行する時間
世界は変化し続けている。「現在」のようすは時間の最小単位(宇宙の状態の変化の最小値)ごとに変化している。変化が起きるたびに過去が生成される。過去は存在しないが、存在していた。記録さえ残しておけば再現することは可能だ。私はここでタイムマシンを創ろうと思う。
外部から完全に隔離できる箱(量子が出たり入ったりできないような)を用意する。その中に、水、空気、エビ、海藻、バクテリアを入れる。(これは小さな地球のようなもので自己完結的な世界である。)その箱の中の様子を量子レベルで記録する。
箱の中の世界を過去に戻すには、記録に沿って量子の状態を戻せばよい。巻戻しの様子は時間が逆向きに進んでいるように見えるだろう。過去に戻したところで再び記録に沿って量子状態を進めればはじめとまったく同じ歴史を再現できる。早送りも可能だ。擬似的に未来へ行くといってもいい。過去に戻したところで量子状態を操作しなければ今度ははじめとは違う歴史を進ませることもできる。箱の中の時間は記録の範囲内で自由に操作できる。
量子状態を記録したり、操作したりするのは現在の技術では不可能だが、それが可能になったなら理論的にこのタイムマシンは可能だ。「量子レベルで正確に」という条件を軽くすれば、近似的なタイムマシンは現在の技術でも可能だろう。ビデオやDVDレコーダは一種のタイムマシンといえる。世界を2次元で大雑把に記録して時間操作を可能にする。
小さな箱というタイムマシンを創ったけれども、これが地球規模ならどうだろう。どこかの宇宙人が地球の状態を記録し時間を操っている。気に入らない方向に歴史が進んだら巻戻して違う歴史に進ませる。巻戻しや早送りがされても地球人は気づかない。脳の状態までもが操作されているから。地球というタイムマシンは宇宙人のおもちゃに過ぎない。宇宙レベルならどうだろう。神様が宇宙の量子状態を記録し時間を操っている。宇宙は神様のおもちゃ。タイムマシンは限りなく大きくなっていく。

米ソ冷戦時代、ロケットの開発競争があったが、タイムマシンの開発競争が起こってもいい。タイムマシンを最初に作った国が世界の歴史を操れる。アメリカはあまりにも巨大な国になってしまったが、アメリカはすでにタイムマシンを操っているのかもしれない。
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アメリカの階梯/西垣通

2005年05月23日 | パラソル
室井さんに薦められて1週間後に読み始めて2週間くらいかけて読み終えた。進化論に関する記述よりも気を引いたのは「幻獣」だった。

>人間とは60兆個の細胞からなる共生体である。しかも個々の細胞は自律して活動している。人間のあらゆる活動はひとつひとつの細胞の活動の組み合わせに過ぎない。そして意識というものは細胞の相互作用が生み出す幻影に過ぎない。

ここで私は「自分」を失う。「自分」だと思っていた「意識」というものが細胞が作り出した幻影にすぎないだなんて。個々の細胞が意志を持って活動しているならどうやって制御できるだろうか。人間はときどき感情に流されることがある、睡魔に襲われて眠ってしまうことがある。あらゆる衝動は意志に関係なく細胞から生まれてくる。自分の意志で行動していると思っていることもすべてが細胞の相互作用によって生まれたものだ。私は意識が身体を動かしてきたと思っていたが、今はなんだか身体によって意識が操作されているような気がしてならない。

>人間の死というのは意識という仮構の分解にすぎない。細胞共生体はあらゆる形で生き続ける。

宇宙は拡大し続けているけれど、その構成要素は不変である。原子は自然発生しないし消滅することもない。人間が死んだところで何も変わらない。生命とはなんなのだろうか。石ころと人間の違いはなんなのだろうか。分子の組み合わせがどう変化すれば生命になるのか。有機物か無機物かどうかという単純な問題だろうか。生命とは不思議なものだ。

>人間が自律した細胞の共生体であったのと同じように、国家もまた意志をもった人間が集まった巨大な生物である。

国家という巨大な生物を制御するものはなにか。アメリカをイラク攻撃へと動かしたものはなんだったのか。人間の相互作用である。脳にあたる政府が国全体を動かした。しかし細胞よりも意識レベルの高い人間を動かすのは難しい、政府への働きかけも大きいだろう。それでもアメリカはイラクを占領した。だれがアメリカを制御したのだろうか。誰も制御できなかったのか。国家というあまりにも巨大な生物の相互作用を理解することは不可能に近い。しかしアメリカは日々活動し続ける。一人の国民ができることはなにもないのだろうか。


「大学」もまた生物である。学生である私は脳からもっとも離れた、手足の先の細胞のようなものだ。大学がどこへ行こうとしても、私には何もできないように思える。指先の細胞に過ぎないんだぜ?しかし細胞の相互作用が意識を動かしている。手の平の相互作用が意識を動かすことも可能ではないだろうか。手の平が腕を動かし脳に一撃くらわせることもできるだろう。
しかしながら私は操られることにあまりにも慣れすぎてしまっている。
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ロックが青少年に与える影響

2005年05月20日 | ハコ
ロックが青少年を非行に走らせるというのは本当だろうか。私は中学生のころB'zを聴いていたがまったく良い生徒だった。まあ日本のロックは不良っぽくないからだと思うけど。
大学生になってからエアロスミスやガンズなどアメリカのロックを聴くようになったが、曲を聴いてワルになるという感じはなかった。しかしエアロスミスの歴史を記した「WALK THIS WAY」を読んでいたころは違った。スティーブンやジョーがコカインを毎日のように吸って、バンドは成功していって、ヘロインを吸うようになって、LIVEで客に暴言を吐いたり、というのを読んでいるうちに麻薬っていいな~、ロックってすげーな~と思うようになった。そして心の中になにか黒い感情というのが生まれていったように思う。ワルく振舞うことがかっこいいことのように思えた。そして「YOUNG LAST」「FEVER」といった激しい曲がそれを加速させた。私は常に何かを壊したいという衝動に駆られていた。まさに「Appetite For Destruction」に支配されていた。
しかし「WALK THIS WAY」を読み終わりしばらくしてエアロ熱も冷めると私は日本人だった。麻薬に興味はないしワルく振舞うのは自分には合わなかった。中学生という多感な時期は終わっていたし、私の半分はB'zという無害なもので作られていた。それに「WALK THIS WAY」は「俺たちのように麻薬に溺れろ」ということではなく「俺たちのように麻薬中毒から回復してシラフになれ」ということを意味していた。
このような経験からいうなら、ロックという曲が悪影響を及ぼすのではなく、ロックスターの振る舞いが悪影響を及ぼすのではないかと思う。そして日本にはロックスターはいないように思える。みんなあまりにも誠実すぎる。日本のロックは青少年に悪影響を与えることはないだろう。

スティーヴンタイラーも矢沢栄吉も歳のわりにはあまりにも若い。ある専門家によるとロックのリズムが体を若く保っているのだそうだ。いつまでも若くエネルギッシュでいるためにも青少年にロックを聴かせることはむしろ好影響なのではないだろうか。
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ガンズ!

2005年05月19日 | 音楽
日記的なことを書こうと思う。音楽のみの話題ですが。
3日前からガンズにハマっている。1st「Appetite For Destruction」を久しぶりに聞いたら「Paradise City」と「 Sweet Child O' Mine 」にやられてしまった。思えば「Appetite~」は私の人生の中でもっとも衝撃的なアルバムかもしれない。スラッシュのギターは本当に凄まじいし、アクセルの声は最初はヘンな声だと思ってたけど、今はスティーヴンタイラーよりいい声だと思う。音楽でイッてしまいそうになるというのは初めての経験だったし、ガンズにしかできないことなのだろうと思う。
1週間前くらいか、「Led Zeppelin Ⅱ」が一番いいというので聴いてみた。ツェッペリンは前にLIVE CDを少し聞いたことがあったが音が古くてちゃっちいので好きになれなかった。1曲目はまさにそんな感じだったのであ~あとなってしまったが、5曲目の「Heartbreaker」がよかった。パワフルなロックがいい。そしてギターソロがすごくよかった。B'zの「Sweet Lil' Devil」という曲で一度聞いたフレーズだった。ジミーペイジを完全に再現するTAKはやっぱすげーなと思いつつ。ツェッペリンを見直した曲だった。
2週間前くらい、Mizの1st「Say It's Forever」を借りて聴いた。昨年発売されたときにタワレコで試聴して思いのほかよいと思っていて、それで。聴きたいと思ったその瞬間に聴かないと駄目かな~と思ってたけど、賞味期限はぜんぜん切れてなかった。音がすごくいいな~と思ったのと、英語の発音がきれい。英詞のなかにところどころ日本語を入れるというのが新しいな~と思った。このアルバムにハマってた頃は頭の中で「Circles」がヘビーローテーションしてた。
B'zの「THE CIRCLE」は買ってからあまり聴いていない・・・。

知っているアーティストや曲ならその文字を読んだときに音楽が思い起こされるかもしれない。しかし聞いたことのない場合、それは単なる記号のようにしか見えないし、読むこともできないのではないだろうか。私は自分でもよくわからずに暗号を書いたのかもしれない
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セカンドビックバン

2005年05月18日 | クリエイティブな思考への挑戦
5150年、我々はこの年を忘れられない。
我々が住む宇宙で再びビックバンが起こった。地球を含む銀河のはるか彼方に突如として現れた特異点が大爆発した。この「セカンドビックバン」によって生じた新たな宇宙は我々が住んでいる今までの宇宙を飲み込んでいく。NASAの試算によると数百年のうちにこの新宇宙の波が太陽系にまで押し寄せるらしい。地球上のあらゆる科学者は地球の滅亡を回避する手段を研究し始めた。
新宇宙の波を回避する手段を見つけられないまま、ついに太陽が飲み込まれてしまった。地球は光を奪われ暗闇に閉じ込められた。新宇宙に飲み込まれるのも時間の問題だ。そこへ希望の光が現れた。巨大な宇宙船(のちに「メシア」と呼ばれる)から降りてきた宇宙人は地球を救う手段を教えてくれた。地球全体を超巨大な宇宙船に乗せて新宇宙に乗り換えるというのだ。
残り時間わずかチャンスは一度きり失敗は許されない。地球は無事「セカンドユニバース」へ乗り移れるか!?

「特異点がどのように生じたか」という問いにはまだ正解がみつかっていない。ビックバンが再び起こらないという保障はどこにもない。我々が住むこの宇宙で再びビックバンが起こったならどうなるのだろうか。飲み込まれるのだろうか、追いやられるのか。しかし宇宙の膨張の速度を考えると、太陽系付近で爆発が起きない限り地球にとって「セカンドビックバン」は脅威にならないだろう。そう考えるのは楽観的だろうか。


EX「ビックバンバブル」
OU812年、我々はこの年を忘れられない。
セカンドビックバンの脅威を回避した地球はセカンドユニバースで新たな太陽「ネオサン」をみつけその軌道に乗り新たな歴史を歩み始めた。メシアの住人たちは実は地球の量子的重ね合わせのもうひとつの地球の住人であった。彼らは並行宇宙の中でもっとも発達した地球人であった。同じ地球人として助けずにはいられなかったという。他にも何万もの地球がメシアによって救われた。メシアはそれぞれの地球をそれぞれのネオサンの軌道に乗せるともとの宇宙に帰っていった。
セカンドビックバンが過去の事件となり始めた頃、再びビックバンが起こった。しかしサードビックバンは地球からかなり離れたところで起こったので問題にはならなかった。それから1年後またビックバンが起こった。科学者はいよいよ恐れ始めた。ビックバンは何度も起こるものなのか、こんな短い間に。それから毎日のようにビックバンが起こった。このビックバンの大発生を「ビックバンバブル」と呼んだ。宇宙のあらゆるところで新宇宙が発生し旧宇宙を飲み込んでゆく。いつネオ太陽系でビックバンが起こってもおかしくはなかった。セカンドビックバンは大地震の予震でしかなかったのか。科学者はみなお手上げ状態だった。メシアの住人たちも地球にやってきたが策はなかった。もう地球人にできることは何もなかった。
「これは量子的な多宇宙ではない。現実的な多宇宙なのだ。」「ビックバンが神のいたずらだとしたら、ビックバンバブルを引き起こしたのはとんでもない神だ。」「今こそが審判の時なのだ。よき宇宙だけが生き残れるのだ。さあ神に祈ろう。」「地球とはソーダ水の泡の中で静かに溶けてゆく氷のようなものだ。」「壊れてゆく世界の中で俺たちはもう歌い続けるしかない~」
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愛国心

2005年05月17日 | パラソル
最近の日本人は愛国心が無いらしい。
確かに私も国語は嫌いだ。(そういうことじゃない)。

中国や韓国で反日デモが起こってる中で、日本人はそれに対して結構冷めていると感じた。もっと怒りをあらわにしていいのではないだろうか。反中、反韓デモが起こってもいいのではないか。苦しくも日本では韓流ブームである。

日本が嫌いなわけではない。アメリカのいいなりになり、言いたいことも言えないこの国が嫌なところもあるけど、世界で一番平和なこの国が私は一番好きだ。
日本人は日本を愛してやまないと私は思う。愛国心はあるはずだ。

ではなぜ愛国心がないと言われるのか。見せないからだ。
日本人は感情をあまり表に出さない傾向がある。「I LOVE YOU」と毎日言っている日本人を(尾崎豊くらいしか)見たことがない。しかも最近はコミュニケーション能力の低下とかいって、さらにその傾向は強くなっている。
愛国心がないのではなく、愛国心はあるけどもそれを表に出さないだけなのではないだろうか。

反日デモに関連して「日中再考/古森義久」を読んだ。
日本は中国に多額の資金援助を行っているという。それなのになぜ反日デモなどという仕打ちを受けねばならないのだろうか。
中国国民は知らないのだ。戦後日本が平和主義を徹底したことも、多額の資金援助も。教えられるのは日本の中国に対する侵略の歴史だけ。南京大虐殺では30万人が殺されたと教えられ、資料館で蝋人形で作られた悲惨な光景を見せられる。ニュースでは歴史教科書問題や靖国神社問題が重大な事件として取り上げられる。中国国民の中で日本は昔のままなのだ。
反日デモが起こっても仕方が無い。悪いのは歴史を正しく教えない中国政府だ。愛国心を育むために反日感情を刷り込むなんて。

しかし中国政府をそうさせたのは日本ではないだろうか。
日本が中国に侵略したというのはまぎれもない事実である。反日感情が生まれるのは当然である。
中国では、日本に対する憎しみが親から子へと受け継がれてきた。一方日本では、中国に対する反省の気持ちは親から子へと伝えられてきただろうか。
小泉首相が村山談話を引用して謝罪したとしても、形だけではないだろうか。結局悪いのは日本ではないだろうか。

大昔、中国と日本の仲はよかった。中国人ははるばる海を越えて日本にやってきて稲作と農耕を教えてくれた。なんて親切な渡来人。その頃中国は日本よりも発達していた。
しかしいつからか日本は経済発展して中国の上に立ってしまった。そんな日本人が中国にしたのは侵略だった。かわいがっていた愛弟子に実力で追い抜かれ、さらに裏切られるという、まさに屈辱だったのではないだろうか。

そして現在、今度は中国が経済発展して日本を追い抜こうとしている。はたして、そのとき中国は大昔と同じように我々に稲作と農耕を教えてくれるだろうか。

日本はアメリカと同じように中国に対しても媚を売らなければなくなるかもしれない。それが日本らしさなのかもしれない。
しかし私はそんな日本を愛することはできない。

私が愛しているのは「平和な」日本だ。
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時間の起源と終わり

2005年05月16日 | 飛行する時間
「時間が止まる」とはどういうことだろうか。不思議な時計のスイッチを押すと時計の針が止まり、周りを見てみると町中の人や物も止まってしまう。時間が止まると物質は動けなくなるのか。
私が考える「時間が止まる」はその逆だ。物質が動かなくなることによって時間は止まる。そもそも「時間」というものは独立して存在するわけではない。物質が移動することによって、「前」「後」が生まれる。その変化を時間と呼んでいるのではないか。物質が動くことによって時間が生まれる。物質が全く動かず変化しなければ「時間」は存在しない。机の上に置いてあるコップは静止しているので時間は止まっているのだろうか。違う。コップの表面には酸素や窒素といった分子が絶えず衝突している。厳密な真空をつくり出すことができるなら、その空間は時間が止まっているといえるかもしれない。しかし地球が静止してくれないだろう。
時間は宇宙とともに生まれた。ビックバンが起こる前の「無」の空間では何も変化しない。変化のないところに時間は存在しない。そこに突然現れた特異点、全ての銀河、宇宙空間が凝縮した小さな点の大爆発とともに時間は生まれた。ビックバン直後は変化が激しく、時間は次々と更新されていっただろう。それを時間が早いとか遅いとか、長いとか短いと呼ぶのは解釈の仕方によって異なるだろう。時間が濃いともいえる。
ビックバン以降宇宙は膨張し続けている。その速度はだんだん遅くなってきている。ビックバンによって与えられた初速度が、自らの重力によって遅くなっていると考えられる。変化はビックバン直後よりゆるやかになっているので、時間は薄くなっているといえる。
宇宙の膨張はいつか止まるだろう。その後は自らの重力に引き寄せられ収縮し始めるだろう。そして再び宇宙は特異点(ビッククランチ)に戻り宇宙が終わる。そして時間も終わる。膨張の後ビッククランチへと向かわずに、宇宙が「熱的死」を迎えたとしても時間は終わる。どちらにせよ変化がなくなれば時間は意味を失う。

変化が時間を生み出す。人間も同じだ。毎日変わらない生活をすれば、時間は止まっているようなものだ。歴史の教科書を見てみればいい。激動の戦国時代や幕末のページ数は多いが、進歩のないアウストラロピテクスは数百万年分が数行でしかない。人生という教科書のページ数を増やすには変化が必要だ。日々変化し続けることによって人生は分厚くなっていく。長生きするとは死を先延ばしにすることではなく、人生を濃くすること、人生という時間を長くすること、教科書を厚くすることではないだろうか。

変化が未来を創り出す。
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電車男

2005年05月11日 | パラソル
今さらですが電車男の話。電車をマンションに突っ込ませた男の話。
JR福知山線で脱線事故が起きたのは4月25日の午前9時過ぎ。その日の夕方、私は学校から帰ってきてテレビをつけると(フジテレビ「ガチャガチャポン」を見ようとしていたのだが)、電車の脱線事故の緊急報道。どの局でも生中継でお送りしていた。その異様な雰囲気は911同時多発テロ事件を思わせた。電車がマンションに突っ込みぺしゃんこになっている様は、世界一高いビルに突っ込んで爆発した航空機に似ていなくもない。「ガチャガチャポン」は結局見れなかった。
事故原因についてはさまざまな報道がなされている。事故直前にオーバーランをして焦っていた経験の浅い運転士が遅れを取り戻そうと速度を上げすぎた、車両が軽量だった、置き石、、、。報道のスタンスとしては、ダイヤの過密で運転士がかなりのプレッシャーを感じていたのではないか、というのを強調していたような気がする。JRの体質が悪いと指摘して国民の不安を煽っているような。専門家に対するキャスターの問いかけは誘導尋問のようだ。「運転士は相当焦っていたようですね」専門家は運転士は十分な訓練を積んでいるから、などというが、「でもやはりオーバーランや厳しいダイヤで焦りはあったでしょうね」専門家は結局そうですね、というしかない。
ニュース番組は事件をありのままには伝えてくれない。視聴率競争という意識が事実を歪曲させる。視聴者の興味を引くような事件を選び、より魅力的に演出する。電車がマンションに突っ込むという事件はすばらしい題材だ。事故の原因はJRにあり、いつどこで今回ような脱線事故が起きても不思議ではないと思わせたい。電車がマンションに突っ込む瞬間のVTRがあればもっとよかったのに、と番組制作側は思っているに違いない。乗客が偶然にでもカメラ撮影していたら、携帯のムービーでもいいから。
この事故の報道を見ていて感じたのは、クライトンの「エアフレーム」の現実版のようだということ。「エアフレーム」は航空機の事故に対する報道のようすを描いたものだが、それが電車の事故になって現実化した。報道では憶測だけの事故原因が流され、事故現場の悲惨な映像を流され、専門家が勝手な批判をする。電車の車輪と線路の模型を使って説明する専門家を見て、私は「小説とおんなじだ~」と思った。クライトンの作品は極めてリアルだということが証明されたような。
「エアフレーム」とJR福知山線脱線事故がまったく同じだとするならば、JRに非はまったくなく、すでに死亡が確認された「電車男」はとんでもない運転士ということになる。でもまあそこは小説の話。

映画化、ドラマ化と今話題の「電車男」は狂気の運転士による暴走電車のなかでパニックに陥る乗客を描いた超スペクタブルな作品になるだろう。公開が楽しみだ。
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鬼子/新堂冬樹

2005年05月10日 | ハコ
「爆笑問題のススメ」でGWにおすすめの本ということで田中さんが紹介していた本。実のところ私は太田さんが薦めていたジェフリー・ディーヴァーの「魔術師」を読もうと思っていたのだが、貸出中でしかも予約が殺到していたため、この「鬼子」を手にした。ちなみに、眞鍋さんが薦めていた本はタイトルも思い出せない。はじめ読む気がなかったので期待値は低かったが、読み始めるとすぐに作品の世界に吸い込まれてしまった。GW中はかなりのペースで読み進めていた。長編をあっという間に読んでしまうというのは、魔術のようだ。
小説家の袴田が息子の浩に鬼のような仕打ちを受ける。ビールを買って来い、タバコを買って来い、AVを借りて来い。数ヶ月前までは素直な息子だったのに祖母が死んでから急に変わってしまった。なぜこんなにも変わってしまったのだろうか。その原因を探す袴田がたどり着いた結末は驚くべきものだった。
と、こんな感じで予想以上におもしろかったのでよかった。さて、私が「鬼子」を読むという事象ははじめから存在していたのだろうか?「爆笑問題のススメ」を見るまで「鬼子」は私の中には存在していなかった。図書館で「魔術師」を借りることができていたなら私は「鬼子」を読んでいなかった。私が「鬼子」を読むという波動関数は「爆笑問題のススメ」を見た時点で現れたように思えるし、「魔術師」が貸出中だったことで確率が大幅に上がったように思える。そして実際に読むことによって100%現実になるわけである。多世界解釈における並行宇宙ははじめから用意されているのか常に変化しているのか。「鬼子」を読むのは偶然だったのか必然だったのか。ふとそんなことを考えた。
並行宇宙に存在するさまざまな未来を自ら選ぶことはできないのだろうか。宇宙が分岐したその先で私が観測したその宇宙を甘んじて受けるしかないのか。こんなことを考えるのは量子論という概念をあやふやにしか理解していないからだろう。
私の中に存在する無限数のミームは混沌としたカオスのようだ。さまざまな考えが私を支配しては混乱させる。私にとってミームは「鬼子」だ。カオスは複雑なようにみえるが、突如として秩序を形成することがある。私に今必要なのはカオス状態にあるミームを秩序立てるリーダー的なミームだ。
しかし、リーダー的なミームを探すために多くの本を読んでいるうちにまた鬼子ミームが増えてゆく。

「鬼子」から脱線して無理やり戻してみたものの、わけのわからないカオス的な文になってしまった。
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止まった時間

2005年05月09日 | ハコ
GWの間、私の時間は止まっていた。いや、それまで動いていた時計が止まり、別の時計が動き出していた。勉強という時計は完全に止まってしまい、代わりに「ドラクエ7」と「鬼子」という時計が動いていた。
「鬼子」は爆笑問題のススメで紹介されていたので図書館で借りて読んだ。強烈にハマってしまい、それまで読んでいた「時間の矢」はどこかへ行ってしまった。「ドラクエ7」は・・・なぜ今さら?って感じだしテレビゲームは飽きたんじゃなかったのか?って感じだし・・・。しかしながら長期休業というのは私をテレビゲームに誘うのだ。小中高と夏休み冬休み春休みはテレビゲーム三昧というのが恒例で、高3の夏休みでさえ「FFⅧ」をやっていた。しかもたいてい休み中に全クリできないので新学期が始まっても引きずることが多い。まさに今の私もその状況だ。RPGの呪縛から解き放たれなくては。
たとえば私がゲーム会社に就職しようと考えているなら「ドラクエ」をやるのは無駄ではないし、小説家になろうというのなら「鬼子」を読むのは無駄ではない。しかし私はゲーム会社に勤める気もなければ小説家になる気もない。まったく時間の無駄である。人生という限りある時間の中で、どの時計を動かすかを考えなければならないだろう。私ももうこの歳なので、手当たり次第に時計を動かすわけにもいかない。人生に必要な重要な時計を選ばなければならない。

私の時間は、今動き出した。
・・・ならいいのにな。
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