54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

「超ひも理論」というフィクション

2005年06月04日 | パラソル
「エレガントな宇宙/ブライアングリーン」を読んだ。物理学の最先端、超ひも理論についての本だが、読んだというか読めなかった。外国語で書かれているような、理解できない言語だった。原子を分解すると陽子や電子になり、それを分解するとクォークになって、クォークは9種類あって、それは粒子ではなくひもである。重力はグラビトンというひもで、力もひもである。プランク長という最小のスケールでは空間次元が3ではなく10だとか。
粒子がひもであるというのに嫌悪感をもった。力がひもであるなんて信じられなかった。ひもレベルでは時空は11次元だって?その説明が理解できなかったし、説得力がなかった。量子論はクライトンがわかりやすく示してくれたから信じられたのだ。思えばアインシュタインの相対性理論もはじめは信じられなかった。超高速では物質はのびるだって?質量が増えるだって?時間が遅くなるだって?まるででたらめに思えた。しかし学んでいくうちに理解できるようになった。実験結果が正しさを証明していた。ひも理論は。ひもを見ることはもちろん不可能だし、空間が10次元だと証明できる実験もない。計算上そうなっていると確信しているだけだ。数学をどれだけ信じられるのか。計算上そうなるといってそれが現実だといえるか。私としてはそれはまるで数学ゲームのように思えてならない。MF、数学フィクションだ。バタフライ効果的に小さな間違いがどんどん大きくなっていって、超ひも理論というフィクションを創り上げてしまったのではないだろうか。

時代は専門家、スペシャリストを求めているというが、それに逆らうように私は広く浅くだ。いろんなことに興味をもってみるが、いまいち熱くなれないというか。あまり深くいかないうちに興味は次へと進んでしまう。物理学を押し進めていってひも理論までいったが、結局負けたのだ。理解できなかったのだ。実のところ量子論も相対性理論も理解していなかったのではないか。うわべだけの知性。小説のネタになる程度のところがちょうどよかったのだ。専門的なところまでは求めていなかった。私はバカなのか。
もう少し根気よく勉強すればひも理論を理解できるかもしれない。しかし理解できたところで何になろう?マクロなレベルで生きる私にとって、ひもなんて最小のレベルがどうなっていようと知ったこっちゃない。生活にはなんの問題もない。利益もない。それは負け犬の遠吠えにしか聞こえない。理解できなかった自分を正当化しているにすぎない。そうは思うけれども、本心では物理に価値がないという方向に固まってしまっている。これはどうしようもない。意識では操作できない無意識がある。

人間の本質は「ないものねだり」だから再び超ひも理論に立ち戻るかもしれない。クライトンや太田さんがひも理論を教えてくれるのが一番いいのだが。いつかリベンジ「VS超ひも理論」。思いこみで作者がクライトンだと信じられないだろうか。