54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

ハイデロ

2006年11月30日 | フリージャム
キツネは黄色か茶色か?で北島と一晩中議論した。
結局、人それぞれだろうという結論に至った。
キツネそれぞれではなく、人それぞれだというのがポイント。
つまり、キツネの色はそれを見る人間の思い込みによって変化するということだ。
キツネそのものの物質的な色は変化しないが、脳内の色イメージ、クオリアが変化するということ。

さて、そんなことはどうでもいいとして、人間が動くにはカロリーとモチベーションが必要である。
カロリーは文字通り、なければ動けない。人間は、生物はカロリーを燃やして動いているのだ。コスモを燃やして、、。
もうひとつ、モチベーションがなければ人は動かない。カロリーだけあっても、やる気がなければ何もできない。人間は他の単純な生物と違い、意志で動いているから、モチベーションは重要なのだ。

戦後、貧しい暮らしの中で、日本は高度経済成長を遂げた。カロリーはなかったが、モチベーションがすごかったのだ。
現在、我々はカロリーに満ち溢れている。もはや食べるものに困ることはなくなった。そんな現在では、働こうとしない若者が急増中である。モチベーションがないのだ。

何かを得るということは、何かを失うということなのだろうか?

人間、切羽詰らないとやる気が出ないものである。レポート期限が近づかないと取り掛かれない。テスト直前にならないとモチベーションが上がらない。
就職しなければ生きていけない、そんな切迫した状況にない。ま、いっか。

みんなと同じだと安心する。やっべー、宿題やってねー。私もやってないから大丈夫だよ。そだねー。赤信号、みんなで渡れば怖くない。みんな死んじゃえ。
テレビでニート問題が取り上げられる。ニートが増えている。みんな同じなんだ。安心感。ま、いっか。実際ニートになっても生きていける環境がある。

絶食をする。空腹になる。食べたい欲求が生まれる。絶食を続ける。飢餓の境地に達する。生きたい欲求が生まれる。身体内部から激しい欲望の塊があふれ出してくる。ハングリー精神。モチベーションMAX。

日本には断食の習慣がない。お腹は満たされ続けている。空腹で死を意識することがない。死を意識することがないということは、生きていることを実感することもないということだ。
自殺する人間が増えている。生きていることと死んでいることの区別がないから。生きていることに実感が湧かないから。

人間は生き返ることができる。ドラゴンボールを集めて神龍に頼めばいい。
だが、勝手に死んじまったてめえを生き返らせるために誰がドラゴンボールを集めるだろうか?
人間は生まれ変わることができる。神様が、死んでしまった者の魂を新たな生命として再び現世へと戻してくれる。
だが、勝手に死んじまったてめえをどこの神様が生まれ変わらせてくれるだろうか?

人を生かすも殺すもその人自身である。

精一杯生きて、それから死になさい。。

オラ、腹減ったぞ~。。


ラニバ2日目

2006年11月27日 | 音楽
東京ドームにはタイムマシンに乗ろうとたくさんの人が、、、

ラニバ2日目。「あなた」聴けた~。よかったよかった。「Pieces」がなくなってたけど。2日とも行ってよかったってこと。「Shout at the Devil」が「いばらの涙」に。これは、シャウトの方がよかったな。シャウトして本編を閉じたかった。2日とも行ってよかったってこと。「Voice」は「I'm in pain」より好き。「瞳の住人」が「叙情詩」に。これも2日とも行ってよかったってこと。

2日目は新曲の歌詞を聴いてみた。本当はもっとそばにいたいけど、君には輝かしい未来が待っているから背中にそっとバイバイ、、みたいな内容。

MCは一日目のがよかったな。新鮮だったから?
「Link」曲間のメンバー紹介では、二日間のべ7時間ドラムを叩き続けている自分に一言でユッキー「まだまだ叩けます」、すげ~ス。そういえば、1階席の中央前の方の今日はセンターステージに近くて、ドラムの生の音(アンプを通さない)が聴けたのがちょっとうれしかった。シンバルのみね。馬車(人力車?)で移動のときもかなり近く通ったし。一発ギャグでテツはハンカチ王子やってました。ケンは早口言葉で「ブス大爆発」いうてた。ハイドはブレイクダンスをやってました。いや、本当に“ブレイク”ダンスだったな。

ほんで、今日は二日早めのケンの誕生日祝いってことで、ハッピーバースデーを合唱。ギター型のケーキやった。

ラスト「虹」で客席は七色のサイリウムで彩られた。揺れるサイリウムはアーチを描き、ラルクのメンバーからはまさに無数の虹がかかっていたように見えたことでしょう。

最後テツは無数の黄色いアーチ(バナナ)を客席に投げていました。大サービスや。。

L'Arc-en-Ciel。。

「ark」と「ray」がスペシャルエディションが出て、ソロ作品リリースして、初期のシングルのPV集「CHRONICLE 0」が出て、LIVE完全版DVD5枚組みが出て、そんで来年の夏はラルク全国ホールツアー。盛りだくさんやな。

二日間の夢空間、現実に戻りたくない。
頭の中はラニバーサリー。。

セットリスト

1.the Fourth Avenue Cafe
2.Caress of Venus
3.Vivid Colors
4.Lies and Truth
5.夏の憂鬱
6.all dead
7.White Feathers
8.Neo Universe
9.HONEY
10.STAY AWAY
11.metropolis
12.winter fall
13.あなた
14.trick
15.メドレー
 HEAVEN'S DRIVE
 DIVE TO BLUE
 LOVE FLIES
 花葬
 finale
 浸食
 Anemone
 flower
 snow drop
 HEAVEN'S DRIVE

16.Driver's High
17.いばらの涙

~EN~
18.DUNE
19.Voice
20.New World
21.自由への招待
22.叙情詩
23.killing me
24.Ready Steady Go
25.Link
26.新曲
27.虹

ラルクアンシエル15周年LIVE

2006年11月26日 | 音楽
東京ドームは人で溢れかえっていた。タイムマシンに乗るために、、

東京ドームがタイムマシンに変わるというムービー演出。ラルクアンシエルの15年を振り返る、まさに音楽時間旅行だ。最初に飛んだのは1994年。

いきなりセンターステージから登場。「the Fourth Avenue Cafe」。目の前や目の前。いきなりセンターとは、やられたね。
メンバーはカートに乗ってメインステージへ。ハイド・ユッキーのカートのが速え~かった。
「Caress of Venus」「Vivid Colors」。なつかし~と思いながら(リアルタイムで聴いてないんだけどね)。
ハイドMC「今日は15周年ということで、みなさまにご奉仕しますので、ご主人様」。ご主人様、、このあとケンやテツもご主人様発言をすることに、、。ラルクやな~。
「Lies and Truth」「夏の憂鬱」なつかし~つって。
「White Feathers」。11月も終わり、冬です。

続いてタイムマシンが飛んだのは1998年。私が音楽に目覚め、ラルク好きになったのがこの年。B'zのベストが史上最大のセールスを記録し、浜崎あゆみがデビューした98年は、シングル3枚同時、2枚連続発売など次々と話題を生み出したラルクの年だった。そして99年はアルバム2枚同時、ラルクが音楽業界のトップに君臨していた時期である。

「trick」では全員ひとりずつヴォーカルをとった。こんなんできるんはラルクだけやろ。「STAY AWAY」では、あいかわらずテツがバナナを投げていたよ。「Pieces」、この曲を生で聴けてよかった。
メドレーHEAVEN'S DRIVEDIVE TO BLUELOVE FLIES花葬finale浸食Anemoneflowersnow dropHEAVEN'S DRIVE。お腹いっぱいやね。「finale」ではハイドの背後から貞子が出てきた。応援にかけつけて%#×▽。「flower」ではハイドさん、吹いたハーモニカを客席へ投げていた。欲すい。
アクセル音が鳴り響き「Driver's High」。超盛り上がり。続いて「Shout at the Devil」。やばい、このコンボ。サイコー!!
そして本編終了。

アンコール何やるんだろうな。「虹」はもちろんやるとして、他なにやるやろ。あれ、最近の曲はやんないのかな。「READY STEADY GO」あたりをやって「虹」か。
などと考えていたら、、アンコールはハンパなかったぜ。

タイムマシンは1991年へ。俺のまったく知らない時代。そのころの僕は6歳くらいやった。
馬車(人力車?)に乗ってラルクがメインステージからセンターステージへ外回りをゆ~っくり移動。ろうそく持った黒ずくめの従者を引き連れて。それはまるで葬列。さて、何を葬ったのだろうか。

センターステージで「I'm in pain」。ラルク最初期の曲らしい。この曲を知らん人も多かっただろう。それをドームの真ん中でやるというのは、15年間ラルクをみつめ続けてくれたコアなファンに捧げるプレゼントだろう。そして「dune」。やっぱりラルクってすごい。

帰りも馬車(人力車?)でゆ~っくりと。葬列の途中で演じられた過去のラルク。それは死者を蘇らせる儀式だったのかもしれない。

タイムマシンは1991年から長い長い時間を飛んで2006年へ。一度死んだラルクは再び蘇った。新しい音を手にし、パワーアップしての完全復活。

「New World」「自由への招待」。超盛り上がり。新生ラルクには単純に盛り上がれるパンクなシングル曲が多い。
前日はユッキーの誕生日。そこでハッピーバースデーを合唱。ユッキー、愛されてるな~。
そして「瞳の住人」。美しいメロディ。高いところも唄いきって、今日のハイドは調子いいね。
「killing me」ではハイドが客席に下りて乗り出して歌ってた。すごいぜ。「Ready Steady Go」そして「Link」。アンコールどこまで行くんだ??すごすぎる、15周年!
「Link」の曲間にメンバー紹介。ユッキーの一言。もう一言はドラムの連打。一番きらめいていた瞬間だった。テツのバナナ投げ。一口食べたのを投げてた。もう一本はいつもより遠くまで飛んでました。ケンの速弾き。もういっちょでは、アイアンメイデン弾いてた。ハイドのものまね。日本昔話のおじいさん。「おらぁ~だんごもちがくいてぇ~」。続いてのお題はドラえもん。「しずかちゃ~ん、ぼくこんなになって、、」なんかエロい。

テツMC。「今日来た人は宇宙一幸せやな~。」次やる曲は宇宙ではじめて演奏する新曲。
スローなきれいな感じの曲。

ハイドMC。「この会場には15歳未満の人もいるのかな?いるね。君たちが生まれる前からやってるんだよ~。感慨深いですな。」次でラスト、「虹」。
「時は奏でて~想いは溢れる~~~~???」演奏中断。ベースがなんかあかんかったらしい。「15年やってたらこんなの慣れっこですよ」とハイド。気を取り直してもう一回。ギター弾きながらケンも笑ってた。15周年ライヴのラストでこれかい、、せっかくの「虹」なのに微妙な心持ちになっちゃったな、と思ってたけど、やっぱりだんだんと「虹」に入り込んでいって、やっぱり「虹」は「虹」なんだなと、ラルクはラルクなんだな、と思った。

セットリストこれ↓

1.the Fourth Avenue Cafe
2.Caress of Venus
3.Vivid Colors
4.Lies and Truth
5.夏の憂鬱
6.all dead
7.White Feathers
8.trick
9.HONEY
10.STAY AWAY
11.metropolis
12.winter fall
13.Pieces
14.Neo Universe

15.メドレー
 HEAVEN'S DRIVE
 DIVE TO BLUE
 LOVE FLIES
 花葬
 finale
 浸食
 Anemone
 flower
 snow drop
 HEAVEN'S DRIVE

16.Driver's High
17.Shout at the Devil

~EN~
18.I'm in pain
19.dune
20.New World
21.自由への招待
22.瞳の住人
23.killing me
24.Ready Steady Go
25.Link
26.新曲
27.虹

終わったら22時。18時30くらいに始まったような、、3時間30分!長い。こんな長い盛りだくさんなライヴははじめてだ。BOOWYの「CASE OF BOOWY」4時間が頭をよぎったけど。
ラニバーサリーすごいわ。「Blurry eyes」と「あなた」聴きたかったな~というのは欲張りですね。ラルク名曲多いな。こんなに聴けるのはこれが最初で最後かもしれんな。行って良かったよ。
ラルク最高。。

帽子かぶってたハイドさんはミック・マーズみたいだった。。







降りはじめの空

2006年11月24日 | クリエイティブな思考への挑戦
降りはじめの空が雪にかわる
降りはじめの空が雪にかわる


ほっかほかのふとん ずっとくるまれてたい
ちぢこまるからだ よわむし子猫ちゃん

外がこわくて ふとんが恋しくて
ひとりぼっちの部屋 外は雪げしき

降りはじめの空が雪にかわる
降りはじめの空が雪にかわる


青春の空 こころが冷たくて
春なのに雪 やる気もねむっちゃう

寒空のした 震えるからだ
こころをつつむ ふとんが恋しくて

降りはじめの空が雪にかわる
降りはじめの空が雪にかわる


外でみんなが こっちを見てるのに
そっぽをむいちゃう ふとんが恋しくて

降りはじめの空が雪にかわる
降りはじめの空が雪にかわる

降りはじめの空が雪にかわる
降りはじめの空が冬にかわる


雪だるまをつくって遊びましょ
雪合戦してみんなで遊びましょ

そりすべりしてみんなで遊びましょ
おしくらまんじゅうみんなで遊びましょ

冬はあたたかい。。

クロマニヨンズ聴いてたらマイナスターズを思い出してね。
クロマニヨンズの「くじらなわ」で、くじらとかきりんとか出てくるところは、マイナスターズの「ジラフ」とか思い出して。
「くま」では、三村さん(三田村P)のツッコミ「クマ、クマ、コラ!」思い出して。
おもろいです。

明日は東京ドームでラルクアンシエルの15周年LIVEだ。。

ファイヤー

2006年11月23日 | クリエイティブな思考への挑戦
氷の国で炎を燃やせ
ファイヤー ファイヤー ファイヤー
氷の国で魂燃やせ
ファイヤー ファイヤー ファイヤー

冷えきっている 凍りついてる ひび割れてる

氷の国で炎を燃やせ
ファイヤー ファイヤー ファイヤー
氷の国で魂燃やせ
ファイヤー ファイヤー ファイヤー

氷の時代 氷の心 ひび割れてる

ファイヤー ファイヤー ファイヤー
ファイヤー ファイヤー ファイヤー

氷の時代 氷の翼 炎を燃やせ
氷の心 氷のビッグバン 魂燃やせ

燃やせ 燃やせ ファイヤー
燃やせ 燃やせ ファイヤー
燃やせ 燃やせ ファイヤー
燃やせ 燃やせ ファイヤー

燃える小宇宙(コスモ)。。

甲本ヒロトの影響を色濃く受けております。。

ザ・クロマニヨンズ」を聴きまして、あいかわらずだなあって。いつも同じ音楽。でも感情が直接伝わってくる。言葉がメッセージになる。
土星にやさしくしたいなあ。。

ノイズ

2006年11月20日 | パラソル
今日の私たちの生活は、無制限に送られてくる人工的な情報を受け入れることに多忙で、それを咀嚼することにさえ倦んでいる。
私たちは、いま、個々の想像力が自発的に活動することが出来難いような生活環境の中に置かれている。眼や耳は、生き生きと機能せず、この儘、退化へ向かってしまうのではないか、という危惧すら感じる。
今日、文明先進国から、嘗てのようには、強い個性をもった芸術が多く現れていないのは、見出したり、聞き出したりする能動的な行為を、人間が、他の機械的手段(技術)に委ねてしまったことに由るからではないだろうか。
(引用:武満徹『私たちの耳は聞こえているか』)

パソコンの前で文章を考えてもなかなか考えが浮かんでこない。
紙と鉛筆で考えるほうが断然文字が浮かんでくる。
だから私は一度紙に書いて文章をつくってから、パソコンに打ち込むようにしている。

パソコンの前だとアイディアが浮かんでこないのは、パソコン本体の冷却ファンの雑音が原因ではないだろうか。あるいはディスプレイから発せられる光。
人工的な(不自然な)音と光が人間の思考を遮ってしまうのではないだろうか。
パソコンに限らず、テレビを見ているときやテレビゲームをしているときなど、自分が単純思考に陥っているという実感がある。

また、夜のほうがさまざまな考えが浮かんできやすいのは、昼に比べて夜のほうが人工的な雑音が少ないからではないだろうか。

やはり「無制限に送られてくる人工的な情報」が人間の思考を鈍らせているように思われる。

人工的な“ノイズ”に囲まれた現代社会においては、人間の想像力はどんどん失われていっているのではないだろうか。
短絡的な考えしかできず、簡単に過ちを犯してしまう。

人間が本来もっている機能を他の機械的手段(技術)に委ねることによって、人間の機能はどんどん弱体化してゆく。
たとえば、化学物質による殺菌によって衛生的になる一方で、人間の抵抗力免疫力は低下している。
これは進化ではなく退化だ。

この世界はカオス的であり、それが崩壊するにはほんの小さなきっかけで十分である。
これはマイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』でマルカム博士が言った言葉である。。

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あ、あ~、なんか嫌な感じ♪
これを打ち込んでる間も脳が単純思考に陥っている感じがしています。
ゲーム脳というのかね、、

冷却ファンうるせー。。

ザイコー

2006年11月20日 | クリエイティブな思考への挑戦


どっちがいいですかね?
僕としては目の前にある生の絵が一番いいんですけど。わかんないと思いますが。
生の絵には生気が宿っているとでもいいましょうか、、
やってみたらいいと思います。
僕はイラスト書いて写メとってパソコンに送ってフリーソフトで編集してみたんですけど。
目の前にある絵とパソコンのディスプレイに映っている絵は全然違う印象を受けました。

ということはですね、本に載っている絵画なんてやっぱり全然ダメで、
やっぱり美術館行って生で見なきゃいかんってことですね。
改めて思いました。

別にこんなこと書くために描いたわけじゃないんだけど、、

ザイコーは「ドラゴンボールAF」に出てくる悟空の隠し子らしい。。

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最近睡眠時間が不規則すぎて死にそうです。
ある哲学者はいいました。
規則的な生活を送ることこそが人間にとって最も重要なのだと。

生活リズムが不規則な現代社会が崩壊していくのはもっともなことなのだ。。



イマジネーションの宇宙

2006年11月16日 | イマジネーションの宇宙
1リットルほどの容積のブヨブヨしたピンク色の塊が生み出すイマジネーションはすごい。

科学が未だに透け透け眼鏡を開発できていないというのに、そのピンク色のブヨブヨは目の前の女を素っ裸にしてしまう。さらには人体模型から骸骨人間にまで、自由自在である。

そもそも私が生きているこの世界WORLDも、私の頭の中にあるピンク色のブヨブヨが生み出すイマジネーションの発露の一つの形態なのである。

世界はひとつではない。

人の数だけ、イマジネーションの数だけ、世界は存在する。
可変可能な、無限のイマジネーション宇宙。

ビッグバンを想像してみてほしい。
大爆発が起こり、その輝きの中から無数の銀河が飛び出してゆく。
宇宙は急速に広がり、輝きは薄れ、熱は冷めてゆく。

この宇宙を創ったのは神?

いや、あなたのイマジネーション。

あなた誰?
あなたは私。
私は誰?

私もまたイマジネーションの発露の一つの形態。

私がイマジネーションをつくっているの?
イマジネーションが私をつくっているの?
私=イマジネーション。

可変可能な、無限のイマジネーション宇宙。

夢は純粋なイマジネーションのWORLDである。
そこに形作られているすべての空間、すべての事物、私自身。

夢と現実の違いは些細なもの。
記憶が呼び起こすイマジネーションか、外界の刺激が呼び起こすイマジネーションかの違い。

外界とは、イマジネーションの宇宙である。

つまり生命とは、自己組織的なイマジネーションの発露の一つの形態である。
生命=イマジネーション。

イマジネーションが消失したとき、生命も途絶える。
宇宙も死ぬ。

しかし、イマジネーション一つで宇宙は輝きを取り戻す。
生命が満ち溢れる。

可変可能な、無限のイマジネーション宇宙。。

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ATフィールドは誰にも侵されない聖域。心の光。
ATフィールドは心の壁。
ATフィールドが人を傷つける。
ATフィールドが人の形を形作っている。

ATフィールドから解き放たれたとき、全人類はLCLの海となり、唯一つに統合される。
自分と他人との境界のない世界。
どこまでも自分。
傷つけあうことのない、安全な世界。
もろくて弱い心を補完しあう。
人類補完計画。

だけど、そこには僕がいない。。

現代のドラキュラ

2006年11月14日 | クリエイティブな思考への挑戦
今が戦国時代ならいいのに、、、


ある夜、私は街で現代のドラキュラと出会った。
ドラキュラは現代でも生き残っていた。
しかし、、、

容姿端麗の美男子というイメージとはまったくかけ離れたものだった。
腐りかけのミイラみたいな、ガリガリにやせ細ったしわしわの老人。

現代社会は、警察組織やセキュリティ設備が整いすぎていて、ドラキュラもなかなか人間の血を吸うことができないのだそうだ。
そういうわけで、現代のドラキュラは野良猫や鼠の血を吸ってなんとか飢えをしのいでいるという状態だという。
しかしそれも限界、、、

今にも発狂しそうな見開かれたギラギラとした目を見て、私はあまりにもかわいそうになったので、私は自分の血をドラキュラに差し出そうと提案した。
ドラキュラは本当にいいのか?と聞いてきたが、私は「献血みたいなものさ。月に一度はここに献血に来るよ。」と言った。

しかしそれが失敗だった。

ドラキュラに血を吸われた者はドラキュラになってしまうとは、、、

警察やセキュリティの充実した現代社会においては人間の血を誰にも気づかれずに吸うなどということは不可能。
私は今、強烈な飢餓感に襲われている。
血の匂いが恋しい、、、

今が戦国時代ならいいのに。。

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Youtubeで聖闘士星矢とハレのちグゥにハマってます。

スカパーとか絶対あかんと思ってたんですよ。
見てしまうから。
24時間もアニメやってたら24時間みてまうからね。
そしたらYoutube。
時間関係ないし、見放題やし。(たしかに探すのはめんどいけど、、英語ならまだしもラテン語だったり韓国語だったりするけど。)
テレビが登場したとき、全国総白痴化なんて言われておったけど、
アニメみまくりの最近の僕はどんどん馬鹿になってる気がする、、、

しかしなぜ昔のアニメの方が今のアニメより魅力的なんでしょうか。
作品のクオリティが高かったのか、それともただ単に懐かしい思い出に浸っていたいだけなのか。
過去回帰。これはルネッサンスなのか。

子どもたちの読書離れは進みます。
よい作品に触れなければよい精神は育まれない。
現代の大人がよい作品でない以上、過去の作品だけがよい教師になれるのではないでしょうか。
そしてその過去とは、私が懐かしがっている過去ではなく、もっともっと過去なんじゃないか。
夏目先生、どう思いますか?

千円札を見たら野口さんだった。。

チルドレン

2006年11月12日 | クリエイティブな思考への挑戦
夜、、、夜は嫌いだ。

静かな夜、心臓の音が聞こえる。

僕はなんで生きてるんだろう、、、



明るくなろうと思ったんだ。

無口な自分は、嫌いだから。

でも、うまく笑えないんだ。

笑うっていうのは、人間特有のもの。

僕は人間じゃないのかな。

――僕たちは人間だから笑ってるんじゃない。

――楽しいから笑ってるんだよ。


みんな僕のこと嫌いなんだ。

誰も僕のことなんか必要としていないんだ。

――君は誰かのこと好きになったことあるかい?

――君は誰かを必要としているかい?

助けてほしいんだ。

僕を、助けて、、、

――君は誰かを助けてあげられたかい?


いつも同じことばかり考えてしまうんだ。

だけど何もわからないままなんだ。

何も変わらないままなんだ。

僕は、僕なんだ。


朝、、、誰もいない朝、冷たい空気。

鳥の鳴き声が聞こえる。

また今日が始まる。。


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汚い醜い人間模様を描いたドラマを見る。
子どもたちの心はすさんでゆく。

確かに世の中きれい事ばかりではない。
でも、子どものうちは、
判断力に乏しい子どものうちは、
きれいな美しい夢物語を見せるべきではないか。

ファンタジーを知ることなく、リアルばかり見せられた子どもは、
リアルが当たり前だと思って成長する。
きれい事は幻想に過ぎないと思っている。

でも、きれい事を理想を求める心が必要なんじゃないか。
汚いリアルに心を痛める心が必要なんじゃないか。

優しさに触れて涙を流す経験が必要なんじゃないか。。


エヴァンゲリオン見て苦悩して、フルーツバスケット見てジーンとした。
思い出の中の名作アニメ。
今やってるアニメはどうなんだろう?
最近のアニメは見る気がしない。。

ニヤリ

2006年11月10日 | クリエイティブな思考への挑戦
ニヤリはネコ科の哺乳類。
足裏には肉球が発達し、音をたてずに歩く。夜行性で、瞳孔は円形から針状まで大きく変化する。長いひげは感覚器官の一つ。
古代エジプト以来神聖な動物とされる一方、魔性のものともされる。

笑いとは、楽しかったり、嬉しかったりなどを表現する人間特有の行動の一つ。

だから彼女のニヤリとした表情は、人間が使う意味での「ニヤリ」ではない。
しかし私は敬意を込めて、彼女を「ニヤリ」と呼んだ。

私は彼女の、顔の筋肉が弛緩し和やかな表情になる「ニヤリ」が大好きだった。
初めて道端でニヤリと出会ったとき以来、私はいつもニヤリと一緒にいる。
どこにいくときもニヤリと一緒。なにをするときでもニヤリと一緒。
ニヤリだけが私に微笑みかけてくれた。


ある日の散歩道、私は横断歩道の向こう側にいる一人の女の子に目がいった。
女の子は私に微笑みかけた。
誘われるように、私は横断歩道を渡った。
ニヤリもあとからついてきた。
私が横断歩道を渡りきったとき、背後でクラクションが鳴った。
振り向くと、大型トラックが走ってきていた。
あわててニヤリの方を向いた。
ニヤリはトラックの方を向いて固まっていた。
そして、私の方を向いてニヤリと笑った。
その刹那、トラックがニヤリをはねた。

トラックは走り去った。私はニヤリに駆け寄った。
ニヤリは死んでいた。もう表情はなくなっていた。沈黙。
もう二度とニヤリを見ることはできなかった。私はうなだれた。
そんな私を、女の子はそっと支えてくれた。

その女の子が、現在の私の妻だ。
彼女はいつも私にニヤリと微笑みかけてくれる。

もしかすると、ニヤリは私たちを結び付けてくれた、天使だったのかもしれない。。


笑み、、、顔の筋肉が弛緩し、リラックスした和やかな表情。
人間だけでなく、一部の動物も、極度に緊張した顔の筋肉をほぐすためにこのような表情になる。。


そこに微笑があるならそれだけでいい。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

喜怒哀楽のうち、楽以外の感情が欠落している瀬田宗次郎。
笑ってさえいればどんなことでも耐えられる。
笑いとは、人間特有の防衛反応なのだ。

泣いたり怒ったりしているうちはまだいい。
しかし、笑ってしまうようになっては、痛みは深い。

近年、お笑いブームが続いている。。

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!」(碇シンジ)

ニジユウジンカク

2006年11月06日 | クリエイティブな思考への挑戦
「ニジユウジンカク」

おそらくを彼女は唄う 絶対を私は求める

相反する心が同居している
右心室から流れ出た血液が 左心室へと戻ってくるように
交わることはないけれど お互いを感じている

共有された身体がどちらへ行くかはわからないけれど
私は私 一人の私

彼女の進む道が正しいとは思わないけれど
私はどこへも行けない イキタクナイ

おそらくを彼女は唄う 絶対を私は求める
嘘で着飾る彼女 真実を抱きしめる私

でも、、、
私が抱きしめていたのは、虚構の真実、、?

やっぱり私は孤独り、、、

              亜久間 果実

二次YOU人格、虹有人格。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

自分のことを書いた詞ではないけれど、彼女は私に似ていると思う。

椎名林檎の「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」を聴いております。
MMとSS。無罪から勝訴へ。
シンメトリー。。

エヴァンゲリオンにハマっている最近。
テレビシリーズと劇場版をすべて観終わりました。youtubeで。
碇シンジみたいな心境になってしまいました。

で、エヴァンゲリオン名言タイピングがおもしろい。。

Look atからLook aroundへ

2006年11月04日 | パラレル
カゴの中の鳥、オリの中のライオン、そしてハコの中の人間。

人間は囚われの身だ。ハコの中に閉じ込められている。
家の中、学校の中、会社の中、店の中、車の中、電車の中。

狭いハコの中で、人間は「見る」行為を制限されている。
ハコの中では遠くを「見回す(Look around)」という行為は阻害され、
何か特定のものを「見る(Look at)」ことばかりを強いられる。
テレビやパソコンの画面、黒板やホワイトボード、教科書や書類、、、
見て、見て、見て、見て、、、近くにあるものばかり、、、

子供のころ、授業中に窓の外ばかり見ていたのは、遠くのものを見たいという欲求からだったのかもしれない。


目の前のものを見るということに慣れた人間は、遠くのものを見るという能力が低下している。
目先のことしか見えない。

環境破壊や株価の暴落、犯罪の増加が起こる。
先のことを見通す目を持っていないから。
夢を持てない子どもたち、そしてニート、、、
目先の快楽に気をとられてしまう。
遠くに目を向けて、未来に向かって努力することができない。

Look aroundできない。Look atだけ。
そのうち人間は、本当に目の前にあるものしか見えなくなるんじゃないか。
自分の網膜しか見えない。
周りのことなど何も見えず、自分のことしか見えない。
『すべての網膜の終り』。


―――それを変えるのよ。

そんなの、無理だよ、、

―――そうやってすぐ無理だとあきらめてしまうのは、遠くを見回そうとしないから。
壁ばかりをみつめていても何もはじまらない。見回すのよ。
扉はもう少し遠くのほうにある。


僕は風景画を描き始めた。遠くまで見渡せるような、広大な風景の絵を。
絵を見るという行為はLook atだけど、そこからLook aroundできるような。

Look atからLook aroundへ。。


「この絵には引き込まれるような魅力がありますなあ、、、はて?」
評論家たちは絵をじろじろと見ていた。
Look atの盲者。

しかし、、、

「おい見てみろよ、この絵!」「うわあ、すげえ!」
「こんな景色、どこ行ったら見れるのかな?」「山の上じゃない?」
「じゃあ、今度の日曜日、一緒に山登りしようぜ!」

Look atからLook aroundへ、、、
視線を変えたら別世界。。

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「われわれ成人は、見回すのではなくて見ることに大半の時間を費やしている。」(ギブソン『生態学的視覚論』)

ギブソンというと、レスポール。Tak Burst。
でもそっちのギブソンは無関係。

『すべての網膜の終り』はマーティン・ケリー監督の映画の仮タイトル。
人工的色盲者の青年がラスヴェガスの色彩に擬態する天使をみつけるというストーリー。


夢で逢えたら、、

2006年11月01日 | パラレル
夢の中で好きな異性に会ったという経験はないだろうか。
あるいは、別に意識していなかった異性が夢の中に現れたら、なんだか急に気になりはじめた、とか。
異性でなくとも、好きな芸能人やミュージシャンなどに夢の中で会ったということは。

今回は、「夢」の話。

夢の中で会うというのは、想像上の出来事ではなく、“本当に”会っているのだ。

以前書いた「瞬間移動の理論的考察」を思い出してほしい。
これはフロイト的な夢ではなく、量子力学的な夢なのだ。

人間は眠りに就き、意識を失うと、その物質的存在は波動関数に還元される。
身体の物質的存在があいまいになる。
もちろんこれは、他に観測者がいない場合に限られる。
もしも誰かがその人の寝顔を眺めていたりしたら、存在は確固たるものとして存在する。
誰かの目の前で人間が消えるなんてことは99.99999999、、、%起こりえない。
しかし、たった一人で眠っているとき、人間は“可能性の波”になる。

さて、波動関数になった人間はどこにでも存在しうる。
夢の中で人は、自分の家だけではなく、どこか別のさまざまな場所に出現しうる。
知らない街、知らない図書館、知らない屋敷、、私は一度“恐竜パーク”と呼べるような場所に行ったことがある。
しかしそれは“夢の中”というけれども、実際に存在しているのである。

意識が完全に眠っているノンレム睡眠時には、人は夢を見ない。
そこからレム睡眠に移行して、意識が半分覚醒したとき、人は夢を見る。
意識を取り戻し、自分自身を観測したとき、波動関数は収束し、身体は再物質化する。
これは「夢」とはいうけれども、現実である。超現実。

「夢」とは、睡眠と覚醒の中間にある半覚醒状態の意識が存在する現実である。

ただし、その意識は半分眠っている状態なので、その物質的存在は極めてあいまいである。
たとえば、夢の中で高いところから落ちても死ななかったりする。
それは身体の物質的存在があいまいなので、地面との衝突の際にその物質的存在が拡散するからである。

さて、ここまでよろしいかな。
夢は現実である、という話。

ここからは、「夢で逢えたら」の話。
「意志は量子に干渉する」を思い出してほしい。

夢の中で誰かと会う、というのはまったくの偶然ではない。
その人の意志が影響した結果である。

たとえば、私が“恐竜パーク”に飛んだのは、ちょうどそのとき「ジュラシック・パーク」に心を惹かれていた影響であろう。(ちなみに、その夢の中で私は、巨大な恐竜(ティラノザウルスではない)から逃げていた。暗緑色に濁った河に飛び込んだら、ワニがいるのに気づいて急いで岸に上がったり(私は泳げないのだが)。なんとかパークから出ようと思ったら、柵がめちゃめちゃ高くて(3メートルくらい)、一生懸命上ったり、した。)

だから、夢の中で誰かと会うというのは、会いたいと思ったから会ったのである。
自分、もしくは相手、あるいは両思い。
そしてその相手は想像上の存在ではなく、実在である。

相手も眠りに就き波動関数となって、そして意志の干渉のもとに同じ場所に具現化した。
だから“本当に”会っているのである。

ということは。
私は夢の中で何度かB'zのLIVEを見たことがある。
あるときは、気づくと部屋の外から爆音が聞こえて。窓を開けると、目の前のビルの屋上でB'zがLIVEをやっていた。
あるときは、どこかの体育館でB'zがLIVEをやっていて、私は最前列でそれを見ていた!
あれは現実だったのだ!!
目の前に稲葉さん!松本さん!

ということは。
私はある日の夢の中で、ダウンタウンの松本さんと爆笑問題の太田さんという現実ではありえない組み合わせのビッグ2とスリーショットで歩いていた。
松本さんも太田さんもすごいトークを繰り広げて私を笑わせた。
そしてなにより、私の一言が松本さんを笑わせたのが一番印象的だった。
あれも現実だったのだ!!

これらは、私がB'zや松本さんや太田さんに会いたいという強い意志があったから実現したのであろう。
とりわけ、夢の中でのB'zのLIVEというのは、多くのB'zファンの意志が関わっている。
まさに夢のLIVEである。

シュレーディンガーの波動関数、そしてコペンハーゲン解釈。
それらによって生み出された量子力学的「夢」、超現実。
夢で逢えたら、、

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脳神経は現実と想像を区別できない。
特に、思い出される記憶は、夢の記憶も現実の記憶も等価である。
私は幼いころの記憶で、あれは現実だったか夢だったか判断できない記憶がいくつかある。

何でも好き勝手できる夢の中で思い出つくってもいいじゃないか!
B'zの夢もそうだし、あるいはイルカの夢もそう。
夢の中で食べるごちそうはたしかに美味を知覚させた。

そんなわけで、私は今日も夢を見る。。