54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

3週間の空白

2005年08月26日 | ハコ
え~ブログを更新せず、その間に見に来てくれた延べ数万人の読者には申し訳なく思います。
毎日バイトで大変だったんですよ。深夜はバイトで昼は暑くて眠れない。睡眠不足の日々、蓄積する疲労。休日はまるまる睡眠に費やして勉強するヒマも遊ぶヒマもない。というわけでブログなんて書けるわけもなく。レポートも書けるわけもなく。ダメダメです。昨年もそうだった気がする。学習してない。繰り返される歴史。

学生なのだから学ばなければいけないと思う。夏休みというのは、勉強を休む期間ではなく、十分に与えられた研究期間なのだ。しかしながら私はバイトに追われ勉強どころではない。ウチが貧乏なので私が働かなければ学費を払えないのだ。
大学の授業料は高すぎる。そのせいで私のような有能な人材が才能を発揮できるにいる。これは知的財産の損失であろう。授業料を高くすれば短期的に見れば儲かるかもしれない。しかし長期的に見たとき、それは学生の学習機会を奪い、将来の可能性を狭めてしまい、その人が将来生み出しうる利益を損ねてしまう。
金持ちから高い授業料をとるのはかまわないだろう。金持ちはいくらでも金をもっている。しかし貧しい家庭から高い授業料をしぼりとるというのはどうだろうか。なぜ金持ちと貧乏が同じ金額を払わなければならないのか。家計の二極化が進む中でその問題はより顕著になるであろう。収入に応じて授業料を変動させてはどうだろうかと思うのだが。
いやそれにしても授業料は高い。パソコンも高い。パソコンが一家に一台といわれるようになって需要は増えるから高くても売れるからだろうけれど、高くて買えない私がいる。パソコンを売って十数万円の利益を得るよりも、パソコンをタダで提供して、そのパソコンを活用してビジネスをさせたほうが、長期的に見て利益は大きいと思うのだ。だから、国家として教育やパソコンの普及に予算をもっとかけてほしい。歳出を減らすことよりも、歳出を増やして歳入を増やすという方法があっていいと思う。

まあ、私の貧乏話になってしまいましたが、貧乏なら大学に来るなという感じですか。ダウンタウンの松本さんやナインティナイン矢部さんをはじめ、お笑い芸人には貧乏だった人がたくさんいる。大学になんか行かなくても成功なんていくらでもできる。貧乏人にはそういう道が開けているのだから、私は無理に大学に行かずにお笑い芸人を目指すべきかもしれない。

ブログは一応続けます。夏休み中はペースが落ちると思いますが。郵政民営化が否決されて衆議院解散、911総選挙についてとか書きたいんですけどね。書けたら書きます。勉強してないと書きましたが、キリスト教、エネルギー、六占星術、株の個人投資、ポピュラー音楽における「パクリ」といったところの本を読んでたりします。これらについてもおいおい海底高価なと思っております。

ばい菌と共生

2005年08月05日 | パラソル
え~、暑くて死にそうです。溶けそうです。どうかエアコンをつけないでください。あなたがエアコンを使うと、エアコンのない私の部屋がどんどん暑くなっていくんです。あなたが涼んでいる分だけ私は暑さに悶え苦しむのです。
本当に、エアコンは冷気を出すと同時に熱気も出しているんですよ。部屋は涼しくなるけど、その代わりに外がどんどん暑くなる。それでヒートアイランド現象みたいなことになる。エアコンがこれほど普及してしまったらもう戻れそうもないけど、なんとかならないものかね。
では本題。

「流体生命論」から第2弾です。
「<キレイ>が地球を破壊する」藤田紘一郎さん、聞き手:吉岡洋さん。
人間はハエやゴキブリを「汚い」「不快」だからといって殺している。それでいて、佐世保の小学校の小6女児殺害事件などが起こったりすると、人間の命は尊いと教えなければならない。不快だといってほかの生物を殺しておいて、どうして人間の命は尊いと教えられるのか。
雪印乳業食中毒事件以降、あらゆる食品に防腐剤や殺菌剤が入るようになったが、それによって体内の有効な細菌まで殺してしまう。「不潔」なゴミを燃やしてダイオキシンを出したり、一日着ただけの服を洗剤を使って洗ったりして環境ホルモンに影響を与え、人間の生殖細胞を弱らせている。

そんなことが述べられていましたが、「清潔志向」が危険だということはどれだけ浸透していないのだろうか。私は「清潔志向」によって免疫機能が衰えるという話を何回も聞いているので耳タコなのですが、世間一般の認識はどうなのか。いろんなとこで言われてるから私としては浸透し始めてきている気がするのですがね、うちの家族をみるとまだまだ、石鹸で手を洗ったり、トイレには「消臭たまご」、虫が出てきたら殺虫剤と、清潔志向です。私に対して不潔だと言ってくる。お前らの方が清潔すぎるんだよ!石鹸で手を洗うと、手のひらの有益な細菌まで殺しかねない。少しくらいばい菌が入ってきたってふつうは問題ないだし、ひどくたって腹壊すくらいでしょ、問題ないんだよ。殺菌しすぎて免疫弱って病気にかかった方がよっぽど問題だろう。そんなわけで、私は清潔志向ではないけれど、でも汚いものには触れたくない傾向はある。泥んこ遊びなんてしたくないもん。これってまだまだ清潔志向が染みついてるってことなんでしょうか。

清潔志向なら清潔志向でばい菌を全部殺せれば問題ないわけですよ。免疫機能がどんなに衰えたって、ばい菌を全てこの世から消せれば免疫なんて必要ないわけだから。でもばい菌を絶滅させるなんてこと人間にできるだろうか。どんなに強い殺菌剤をつくったって、耐性を持った新しい菌が生まれて、また強い殺菌剤をつくって、また耐性を持った菌が・・・っていつまでも終わらないよ。イタチごっこ。赤の女王。だからさ、共生するしかないよ。共生することを強制することを今日せい!
私の部屋の中は虫だらけで、そういう意味じゃ共生できているといえる。

化学反応による自己

2005年08月04日 | パラソル
日本記号学会の「流体生命論」を読みまして、なかなかおもしろく読めました。そのネタで今日は書こうかなと思います。

川出由己さんの「記号論的生物像」では、ゾウリムシがある温度や塩濃度の条件の場所から別の条件に移されると、元の条件に近いほうへ移動するという性質を挙げて、まるでゾウリムシが自らの快・不快に応じて行動しているかのように、情動や意図の原初形をもっているかのように振舞っているようだと述べられている。生物個体は、たとえ単細胞生物であっても、主体的に生きているのだと。

私としては、ゾウリムシが意識をもって行動しているとは思えない。そこには化学的な反応があるだけのように思える。ナメクジに塩をかけると溶けてしまうが、これはナメクジ内の水分が外の塩分濃度を下げようと外に出てしまうからであり、化学的な反応である。同じように、ゾウリムシの場合は、ある条件に適した状態にあるゾウリムシの体内の化学物質が、元の条件の方に移動しようとするという化学的な反応であるように思える。
さらにいうと、人間も意識をもってなくて、化学的な反応をしているだけだと思う。いや、意識というものが化学的な反応というべきで。私はあるレポートのために精神病についての文献を読んでいたのだが、そこで思ったのは、精神というのは脳内の化学物質で制御されているということだ。たとえばノルアドレナリンが増加したりセロトニンが低下したりすると不安になったり、ドーパミンがでると快感を得たりする。それを利用して、ノルアドレナリンを抑える薬やセロトニンの分泌を促進する薬で不安を抑制したりするわけである。だから感情というのは化学反応によって生まれる、というか化学反応である。
そんなわけで、人間は主体的に生きているように見えるが主体的ではない。「何かを食べたい」という情動が起こったとき、それは体内の糖分濃度が低下したりした化学的反応であるのはいうまでもないが、「今は仕事中だから我慢しよう」と理性によって行動を抑制するのも、システム化された脳内ネットワークを化学物質が移動して導き出した反応であり、化学的な反応なのだ。自分が主体的に考えていると思っても、実は化学的に結論づけられた反応なのだ。考えても見てほしい、自分は今までにいろんな場面で同じように考え行動してきただろう。たとえば、このブログの記事をひとつひとつ構造分析すると、どれも同じような構造になり、いつも同じ思考法をとっているということが見えてくるだろう。これは私の個性でもなんでもなくて、できあがった神経回路が導き出す化学反応なのだ。それはまったく主体的な行動だとはいえないことである。

川出さんはゾウリムシのような単純な生物にもfeelingというものがあり主体的に行動しているという考えを出したが、私は逆に、人間のような高度な生物にもfeelingなどは存在せず、ゾウリムシのような単純な生物と同じように化学的な反応をしているだけであると考える。高度な生物においては化学的な反応が体のいたるところで起こり複雑に影響しあっているため、その実態が見えにくく、feelingが働いていて主体的に行動しているなどということになるのではないだろうか。

Berryz

2005年08月02日 | ハコ
「ジュビロ磐田VSレアルマドリード」ではベッカム~と叫ぶやつがいたりして、愛国心がないな~と思って。久しぶりにサッカー見たけどジュビロが若くなってる。前田、カレンロバート、成岡、村井ですね。藤田はいつのまにか名古屋に移籍してて、ナゴヤって!まあジュビロがいい具合に世代交代してくれるといいんだけど。レアルマドリードのワールドツアーって、国境がないというかスケールがでかいというか、そのうちレアルの銀河系ツアーなんてやったりして。
「日本VS北朝鮮」はどっちも負けてしまって、リードされてるときになんとか点を取ってほしいと応援しているとき、愛国心あるな~と思って。でも負けちゃった。サッカーも6ヶ国会議も。
K-1GPinHawai決勝「ゲーリーグッドリッジVS藤本祐介」ではグッドリッジを応援しちゃって、やっぱ愛国心ねぇなと。グッドリッジはかっこいいよね、全部KOしちゃって。ジェロムレバンナにしてもレイセフォーにしてもそういうとこが好き。KOこそ格闘技の醍醐味でしょ。

今頭ん中で流れてる音楽はBerryz工房の新曲「21時までのシンデレラ」。ハロモニと月刊MelodiXで二回聴いたもので、エンターテインメント性の高い曲だな~と、なんかみんな大きくなったな~などと思いながらね。夏焼雅,嗣永桃子,菅谷梨沙子といったところが好きですね。つんくさんはベリーズに関してはデビューからずっとクオリティの高い曲を作ってるなと思いますね。いろんな音を使ってたりするところとか、アレンジャーの仕事かもしれませんが。いつかモーニング娘。を超えていくんじゃないでしょうか。小学生のころからやってますから、経験値は高いでしょう。
モー娘は最近ダメでしょ。「色っぽいじれったい」でラテンなダンスでアートっぽいことをしようとしても、だれも喜ばない。もっと「ザ☆ピース」とか「恋愛レボリューション21」とかエンターテインメントな曲をやってほしいね。まあモー娘はお笑いとして残っていってほしい。ガキさんや亀井の急成長が個人的には評価したい。

頭ん中に流れてる音楽はほかに、HINOIチームの「KING KONG」と上戸彩の「風をうけて」。なんかアイドル話ばかりで申し訳ない。私はアイドルオタクです。私が最近よく行く場所は秋葉原です。

多重人格的視点

2005年08月01日 | パラソル
太っちょのステータスだのハゲのステータスだの書いたけど本当ではないよね。肥満は健康に悪いというのは本当だし、踊れるデブより動けないデブのほうが多い。ハゲが優れてると書いたけど、レオナルド・ダ・ヴィンチやバッハはみんな長髪だし、B'zが一番いい感じだったのは稲葉さんも松本さんも長髪のときだった。
ただ、痩せっぽちすぎるのも健康に悪いし、ハゲを気にしすぎるのもよくない。髪を短くしたらやる気が出てきたってのも実際あるでしょ。
ようは見方の違いなんで、ある見方をすればこっちがよくて、別の見方にしたらあっちがよくて、それでどっちも本当なんだよ。よく名探偵が「真実はいつもひとつ」なんていうけど、真実なんていくらでもあると思うね。見方しだいで何通りにでも解釈できてしまう。その解釈はどれも真実であり、真実でないというか。真実はたくさんあるか、ひとつもないかどちらかでしょ。真実がひとつだけというのはない。
で、私としてはできるだけたくさんの見方で物事を見れたほうがいいと思うわけですよ。だからパラレルワールドなのであって。ただ、いろんな視点を自分の中につくりだしてしまった私は多重人格である。