静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

聖道・外道におもむきて

2010-06-25 21:49:38 | Weblog
 親鸞聖人は、
「聖道・外道におもむきて余行を修し余仏を念ず、吉日・良辰をえらび、占相・祭祀をこのむものなり、これは外道なり、これはひとえに自力をたのむものなり」(一念多念証文)
とおっしゃっています。
「聖道・外道におもむきて」とは、聖道仏教の寺や、神社などに行って。
「余行を修し」とは、座禅をしたり、拍手打ったり、賽銭を投げたりする行為をいう。日の善悪を信じたり、占いなど、これらを皆、外道と断定されています。

 蓮如上人は、外道を信じている者は皆、無間地獄へ堕つると厳戒されています。
「更に仏法にてはなし、あさましき外道の法なり。これを信ずる者は永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり」(御文章)

 また経典には、神に仕えた者の恐ろしい結果を、
「一度、神を拝んだ者は、五百生の蛇身を受け、現世に福報は更に来たらずして、後生は必ず三悪道(地獄・餓鬼・畜生界のこと)に堕す」
とも教えられています。


 戦時中、天皇はじめ神への不敬は、国体に反する重罪と見なされ、いかに厳しい弾圧、拷問にあったかは、これまで見てきたとおりです。
本願寺に真に親鸞学徒の自覚があったなら、それでも護法の鬼となって聖人のみ教えを護り抜いたでしょう。その結果として、教団は解体、建物も破壊されたかもしれませんが、教えは純然と残されたに違いないと思います。
教えさえあれば、世の中の〃狂気〃が過ぎ去った時、再び、信仰の芽は吹き、多くの人々が親鸞聖人のみ教えの元に集まってきたはずです。

 ですが、「往生の肝腑・骨目」である一向専念のみ教えをねじ曲げ、国家神道を受け入れ、権力者の〃提灯持ち〃となることで、寺と教団は形としては残りましたが、もはやそこには親鸞聖人の教えは消滅し、戦後、アメリカ軍の手によって「国家神道」が解体されても、本願寺が真の浄土真宗に立ち直ることは二度となかったのです。
 
「真実の仏法者にとって、念仏者にとって、命懸けて護らねばならぬものは国法でもなければ、世間体でもない。もちろん、名誉でもなければ、財産でもない。それはただ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけなのである」

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