前回、前々回のエントリーで、太平洋戦争時と、石山戦争時代の浄土真宗の違いを比較してみた。
石山戦争の時代にはあった、あの不惜身命の恩徳讃の精神が、なぜ、近代以降、見られなくなったのか。
答えは明瞭である。
教えていることが変わったからだ。
教えが変われば、当然、聞き求める者の姿勢も変わる。
三世因果を認めず、後生の一大事を説かず、死後の浄土も地獄も否定し、往生の肝腑である「一向専念無量寿仏」の教えまで捻じ曲げ、その上「善をするな、勧めるな!」の大合唱で、かつての浄土真宗の同行と同じになれるものだろうか?
今日、東西本願寺で、正しい親鸞聖人の教えが説かれているなら、戦時中のことを今さらほじくり返して、あれやこれや言う必要もないことである。だが、種々の圧力に屈し、教えが曲がったまま今日に至り、正しい親鸞聖人の教えを説くと、浄土真宗であるはずの人たちに、〃後ろから刺される〃という今日的状況がある以上、昔ながらの本来の姿を取り戻すため、教えが変わっていった経緯を書こうと思うのである。
石山戦争の時代にはあった、あの不惜身命の恩徳讃の精神が、なぜ、近代以降、見られなくなったのか。
答えは明瞭である。
教えていることが変わったからだ。
教えが変われば、当然、聞き求める者の姿勢も変わる。
三世因果を認めず、後生の一大事を説かず、死後の浄土も地獄も否定し、往生の肝腑である「一向専念無量寿仏」の教えまで捻じ曲げ、その上「善をするな、勧めるな!」の大合唱で、かつての浄土真宗の同行と同じになれるものだろうか?
今日、東西本願寺で、正しい親鸞聖人の教えが説かれているなら、戦時中のことを今さらほじくり返して、あれやこれや言う必要もないことである。だが、種々の圧力に屈し、教えが曲がったまま今日に至り、正しい親鸞聖人の教えを説くと、浄土真宗であるはずの人たちに、〃後ろから刺される〃という今日的状況がある以上、昔ながらの本来の姿を取り戻すため、教えが変わっていった経緯を書こうと思うのである。
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