「梅-1」 バラ科 ☆2月1日の誕生花☆
花言葉は… 高潔な心・澄んだ心・上品・忍耐
今朝の最低気温は午前6時の3.1℃。 最高気温は午後3時の----℃。
午前中に一時小雪がぱらつきましたが、すぐに回復し青空が広がりました。
散歩に出ようとしていた9時前、空が暗くなり雪が降り始め、風も出て来ました。
散歩に行こうか止めようか迷いに迷って中止に(汗。
すると10時ごろには青空が覗き、日も差して来ました。 なんだかなぁ。
今日の花は 「ウメ(梅)-1」 です。
各地から 「梅」 の便りが届けられていますね。 泉州地方は1月中旬までは暖かく、
咲き始めは早かったのですが、ここに来てこの寒さ… 開花が遅れているようです。
この辺りで一番最初に咲き始めるのは、包近の道路沿いの 「梅」 で、1月初旬には
咲き始めます。 自動車の交通量が多いので暖かいのでしょうね。 しかし写真に撮って、
花を拡大して見ると、花弁に排気ガスの煤が点々と付いている事が多いのです(残念。
この辺りには、あちこちに梅の実を採る梅畑が有るのですが、まだ殆んどの木は
蕾のままです。 品種の違いも有るのでしょうが、街中の日当たりの良い庭に
植えられている「梅」は、5分咲き程度の木も見られます。
もう10日もすれば満開の 「梅」 が見られる事でしょう。 その頃にまたアップします。
“梅一輪一輪ほどの暖かさ” と云いますが咲き始めた梅を見ると “春近し” を感じます。
♪梅は咲いたか~桜はまだかいな~ ですね(笑。
梅の原産地は日本とする説と、中国とする説がありますが、どうも奈良時代に
遣隋使が中国から持ち帰ったとする説が有力なようです。
歴史物語 “大鏡” に伝わる “鶯宿梅”…
【天暦年間(947~956)、村上天皇が毎年咲くのを楽しみにしておられた
清涼殿の梅が春を目前に枯れてしまいました。
残念に思った天皇は新しい梅の木を探すようにお命じになりました。 しかし…
なかなか枯れた梅の木のような立派な木は見付かりません。
ようやく… ある屋敷に枯れた梅の木に勝るとも劣らない梅の木を見つけ、
さっそく掘り起こして清涼殿に植え替えました。
天皇はたいそう喜んですぐに見に行かれました。
そこで… 梅の一枝に、文が結んであるのに気付かれました。
その文には… 「勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問はばいかに答へん」
(帝のご命令なら致し方ありませんが、毎年やって来る鶯に “私の宿は何処に?”
と問われれば、なんと答えれば良いのでしょう)と、美しくしっかりとした文字で
書かれていました。
驚いた天皇は… その梅の木のあった屋敷の素性を調べさせました。
すると… その屋敷は、紀貫之の娘の家で、父の愛した梅の木を大切にしていたと
いう事が判りました。
天皇はこの木に “鶯宿梅” と名付け、元の所に戻すように命じられたという事です。
旧屋敷跡にはお寺が建てられ、今も京都の相国寺林光院に、その梅の木が残って
いるそうです】
今夜7時から自治会館で “ボランティア会議” が有ります。
帰りが遅くなりそうです。 と云う事で早い時間の更新になりました。
今日の歩数 0歩。
花言葉は… 高潔な心・澄んだ心・上品・忍耐
今朝の最低気温は午前6時の3.1℃。 最高気温は午後3時の----℃。
午前中に一時小雪がぱらつきましたが、すぐに回復し青空が広がりました。
散歩に出ようとしていた9時前、空が暗くなり雪が降り始め、風も出て来ました。
散歩に行こうか止めようか迷いに迷って中止に(汗。
すると10時ごろには青空が覗き、日も差して来ました。 なんだかなぁ。
今日の花は 「ウメ(梅)-1」 です。
各地から 「梅」 の便りが届けられていますね。 泉州地方は1月中旬までは暖かく、
咲き始めは早かったのですが、ここに来てこの寒さ… 開花が遅れているようです。
この辺りで一番最初に咲き始めるのは、包近の道路沿いの 「梅」 で、1月初旬には
咲き始めます。 自動車の交通量が多いので暖かいのでしょうね。 しかし写真に撮って、
花を拡大して見ると、花弁に排気ガスの煤が点々と付いている事が多いのです(残念。
この辺りには、あちこちに梅の実を採る梅畑が有るのですが、まだ殆んどの木は
蕾のままです。 品種の違いも有るのでしょうが、街中の日当たりの良い庭に
植えられている「梅」は、5分咲き程度の木も見られます。
もう10日もすれば満開の 「梅」 が見られる事でしょう。 その頃にまたアップします。
“梅一輪一輪ほどの暖かさ” と云いますが咲き始めた梅を見ると “春近し” を感じます。
♪梅は咲いたか~桜はまだかいな~ ですね(笑。
梅の原産地は日本とする説と、中国とする説がありますが、どうも奈良時代に
遣隋使が中国から持ち帰ったとする説が有力なようです。
歴史物語 “大鏡” に伝わる “鶯宿梅”…
【天暦年間(947~956)、村上天皇が毎年咲くのを楽しみにしておられた
清涼殿の梅が春を目前に枯れてしまいました。
残念に思った天皇は新しい梅の木を探すようにお命じになりました。 しかし…
なかなか枯れた梅の木のような立派な木は見付かりません。
ようやく… ある屋敷に枯れた梅の木に勝るとも劣らない梅の木を見つけ、
さっそく掘り起こして清涼殿に植え替えました。
天皇はたいそう喜んですぐに見に行かれました。
そこで… 梅の一枝に、文が結んであるのに気付かれました。
その文には… 「勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問はばいかに答へん」
(帝のご命令なら致し方ありませんが、毎年やって来る鶯に “私の宿は何処に?”
と問われれば、なんと答えれば良いのでしょう)と、美しくしっかりとした文字で
書かれていました。
驚いた天皇は… その梅の木のあった屋敷の素性を調べさせました。
すると… その屋敷は、紀貫之の娘の家で、父の愛した梅の木を大切にしていたと
いう事が判りました。
天皇はこの木に “鶯宿梅” と名付け、元の所に戻すように命じられたという事です。
旧屋敷跡にはお寺が建てられ、今も京都の相国寺林光院に、その梅の木が残って
いるそうです】
今夜7時から自治会館で “ボランティア会議” が有ります。
帰りが遅くなりそうです。 と云う事で早い時間の更新になりました。
今日の歩数 0歩。