その様なうわさや雰囲気が一部の子どもの間に流れているようです。
事実、「忘れ物」をした子に対して説教したりお仕置きすることはほとんどありません。
その事をさして「先生は忘れ物をしても、あまり怒ったりはしない」ということは間違いではありません。
しかし、「先生に怒られなかったから、これからも忘れ物をしよう」と考える子はおそらく一人もいないだろうと思います。
ですから、アナイとかカライとか言われても、当事者である本人の気持ちが最も重要なのです。
子どもたちの一言一句は私たち教員にとって、自らの教育実践を問い返す貴重なものですが、それらの言葉によって表現された背景は何か、その時の心情はどうなっているのかと考えると、つかみどころがない様な子どもたちも意外と見えてくるものです。
ところで、「アマイ」と考えた諸君に私からちょっと一言だけ申し上げておこう。
アマイ!、いいではないか。
喜べ、喜べ。
君たちはもう、低学年ではないのだ。
「先生に◯◯◯されるから・・・忘れてはならない」という発想・考え方は捨ててほしい。
もちろん、その逆に「・・・忘れても、先生に◯◯◯されないから平気だ」という考え方ともお別れしてほしいと思います。
自分で考え、自分で行動する。
そうです、君たちは一歩一歩大人に近づいているのです。
大人になってしまってからでは遅いのです。
大人になると、誰も文句を言ってくれません。
その時に、「何も言われないからいいんだ」なんてのんきな赤ちゃんみたいな事は言ってられなくなりますね。
「アマイ」ととらえた諸君は、そのアマサを十分に味わってもいいだろう。
ただ、虫歯になっても知らんぞ。
それが怖くて今度は「カラさを求める」なんてことにならん様にな・・・。
そもそも、他人の作った料理ばかり食べていないで、たまには「自分で調理すること」が大切だと思うよ。
それだけ君たちは鍛えられて来たであろうし、またこれからも「自炊」できるように私も鍛えていくつもりだ。
さあ、5の2の君たちよ、まだ敢えてアマサを求めますか?
よく考えてみてください。
(1981年5月8日:転勤先の初めて担任した学級通信より)
-S.S-