生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2009年5月

2010年08月23日 00時02分40秒 | 美術/絵画
2010年8月23日-1
美術修行2009年5月

 2009年5月10日。09年山岳画展 山景探訪/NHK帯広ギャラリー。

 2009年5月15日。北海道立近代美術館所蔵 高橋博信浮世絵コレクション I部 ぶらり江戸めぐり/北海道立帯広美術館。

 2009年5月23日。第28回おびひろ市民芸術祭 帯広版画教会展/帯広市民ギャラリー。

 2009年5月23日。第28回おびひろ市民芸術祭 笛吹きピータン 音楽の庭 フルート・チェンバロ・ピアノコンサート/とかちプラザレインボウホール。

 
 2009年5月30日。元永定正展/三重県立美術館.最終日前日。
 9:40-。86歳。略歴に、「1955年 吉原治良の誘いを受け、具体美術協会に参加」。「ミッシェルタピエ氏に捧ぐ」とある。
 元永氏の口癖、「一寸先は光」。

 常設展示室(3)の2007年度収蔵作品の舘勝生(1964-2009)「June.7.2007」が爽やかで色もある。

 11:15 芸術情報室にて、「現代美術と日常」という李禹煥へのインタヴュー記事を、芸術批評誌『リア』no.11(2005.9月)に発見。「アートは知識人のやることであり、常に疑問符を提示すること、それが「発言」することなのです。」(7頁)とあった。

 永見隆幸「ギャラリストの決断力と実行力」に、

  「普通の商品は、ある程度普遍性を獲得しているものならば、手間暇かけたものはよく売れる。然るに芸術作品は心を動かすものなので日常の生活空間にあると存在感が大きすぎて困ることがある。良いものほど訴える力が大きいのでその傾向はますます強くなる。売り絵などは心を動かされてないから邪魔にならないので飾りとして売れる。」

 では、感動するような映画を放送するテレビ、あるいはレンタル作品の映像を見るモニターはどうなのか。一時的なもので、いずれ日常に戻るから、ということなのか。
 あるいは、(あるとして)心を揺さぶられる詩集を読む場合はどうなのか。本であれば、読むのを止める、さらには閉じればよい。
 つまりは、絵画は視覚に訴えるものなので、室内に置けばおのずと目に入る。それは、視覚空間からの刺激として落ち着かない要因となるかもしれない。
 やはり癒し系、たとえば緑が基調のもの。希望が湧くようにするには、黄色系か。
 あるいは、画面の前に開閉式カーテンをつけるというのはどうか。

 
 2009年5月30日。芥川紗織展/一宮市三岸節子記念美術館/500円。池田龍雄氏の講演「芥川紗織とその時代」を聴いた、面白かった。染色は退色するのか。
 トゲトゲの鉄線のような輪郭の、河原温の作品二つ。
 三岸節子「自画像」、ほほえましい。「さいたさいたさくらがさいた」93歳、尋常ではない、鬼気あり。
 
 2009年5月30日。上村松園・松篁・淳之 三代展/ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場/800円。「焔」を当初のように、蜘蛛の網の糸を今の銀色で描くと、現物の黒っぽい網よりも頼りなく、迫力がない。あるいは模写すると、筆の勢いが無くなるのか、あるいは、気合い(これはなんだろう?)が入っていないのか。