生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

説得性の無い「温暖化」論/モチモチ感が好き

2010年08月18日 10時42分05秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月18日-2
説得性の無い「温暖化」論/モチモチ感が好き

 暑い夏。米が豊作であることを願う。ただし、熱中症にならないように気をつけよう。
 モチモチ感を愛好し、さらには米粉でパンを作ることを流行らせよう。
 
 
 朝日新聞2010年8月18日の社説(3面)は、「温暖化対策 受け身脱し自前の戦略を」で、

  「地球規模の気候変動を実感させられる夏である。……
 地球温暖化の進行はこうした異常な気象、気候のブレを頻発させる」。

とある。「気象、気候」の「、」は、および、なのか、あるい、はなのか? あるいは、「異常な気象または気候、あるいは両方」なのか。
 気象なくして気候なし、つまり気候は長期統計的なもの(にすぎない)だと思うが、気象と気候は違いますという立論をしている場合があるから、区別すべきではないか。しかしひょっとして、「異常な気象、または気候のブレ、を」なのかもしれない。
 気候変動が実感されるものだとして、しかし実感しているのは、気象での変動であろう。どうも、よくわからん。
 そもそも、地球温暖化 global warmingという語では、極端現象などを含むようには見えないので、(衝撃性はかなり無くなるが)気候変動〔変化〕 climate changeという語に言い換えてきたのではなかったか。

 さて問題は、
  「地球温暖化(の進行)は、こうした異常な気象を頻発させる」のかどうか、
  「地球温暖化(の進行)は、こうした異常な気候のブレ(??)を頻発させる」のかどうか、

である。大衆に向かっての表現文ということかもしれないが、主張内容が一意に解釈できない。(おそらく当方の科学素養 science literacy〔日本語としては科学的素養と言うのがまともだと思うが、英語と対応づけるために、直訳にした〕が無いからだろう。)。

 また脱線気味になった。単に温暖化と捉えるのがまずいのであって、暑くなったり寒くなったりの幅が大きくなるとか、季節外れ的に大雪になるとか、局所的に急に大雨になるとか、といった、異常気象、あるいはその原因として想定される気象システムの、人にとっての、あるいは人間社会にとっての不都合である(或ることを想定することと、それを確証すること(作業)は別のことである)。

 科学や科学技術に関係する社説では、別途に紙面を用意するとかして、解説と文献を示すべきである。地球温暖化に関して、意見の異なる幾人かによる総説を掲載し、さらに相互批判と議論をして、少なくとも二人の大きく異なる論者による整理した論文を掲載したらどうだろうか。これは、日本学術会議が、色々とすべきことだろう。4月30日の公開シンポジウムの後、どんどん取り上げるべきである。エコカー減税だけでも数千億円の支出にもなるのだから。
 
 ところで、二酸化炭素削減の評価として、すべて製造物の生活環で考えているのだろうか(生活環評価 life cycle accessment)? (原子力発電所の放射性廃棄物製造については、生活環評価にかけるとどうなるのだろう? あるいはリスク評価は? 文献は?) 温暖化気体が問題だとして、それらの排出「速度」で考えているのだははどうなるのだろうか?

 いつのまにか、また脱線。
 (災害はこれまた様々な社会的要因などが絡むが、)「異常」気象が生じることは、問題だとする。
  <地球温暖化は、異常気象を頻発させる>
ではない言明として、
  <異常気象の頻発は、二酸化炭素排出などの人為的要素による地球温暖化によるのではない>
を取り上げる。産業革命が起きる前のいわゆる温室効果ガスの濃度が低い時期に、気温の変動が大きいことがあれば、<地球温暖化は、異常気象を頻発させる>は(その程度に)反確証される。

 (厳密に書こうとすると、ややこしい表現になってしまうのは、推敲不足と修行不足……)

 (あかん、振れの大きい気象は二酸化炭素排出による温暖化ではないとする、広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』に戻らねば……)



広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』/科学交達 science communication

2010年08月18日 00時40分44秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月18日-1
広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』/科学交達 science communication
 
 昨日の新聞の広告欄に載っていて知った、広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』。買い求めた、またもや大気汚染しつつ。
 
  〔2001年1月のIPCC第三次報告書に掲載されたホッケースティック状の〕「グラフがデタラメであることは、発表当初から私にはわかっていた。……しかし……特にドイツの自然保護運動家たちが、……放射能を出す原発も徹底的に攻撃していたので、……CO2温暖化説が蔓延しても軽視してきた。その私の判断が、大間違いであった。」(広瀬 2010: 30頁)。
 
というわけで、それが本書の執筆の動機の一つらしい。
 
 
 ところでなぜ、日本では新聞やテレビでほとんどクライメート〔気候〕ゲート事件は報道されないのだろうか?
 単に(少なくとも結果的には) <よらしむべし、知らしむべからず> であろう。あるいはひょっとして、両論併記の方針で温暖化懐疑論を掲載したら、多くの人は迷ってしまうのではないかという心遣いなのかもしれない。
 
 日本学術会議主催の公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」において、科学コミュニケーションを専門とするらしい横山広美氏は、2010年4月30日に「IPCC問題が問いかけるもの:科学的作業、情報・倫理、科学者の行動規範」パネルディスカッションで、以下のように発言した。
 
  「また、IPCCの先生方がおっしゃったように、これは大きな事実に反することではなかった、という結論があったのにもかかわらず、欧米では非常に大きな問題になったと。そういうことはですね、先ほどご紹介したような政治的な背景が、やはり、かなり強いからであるという風に理解しております。

それに対してですね。日本ではあまり大きな話題にはならなかった。それは、やはり問題を問題として取り上げるのがメディアの対応だとは思いますが。これは、おそらく、大きな問題ではないんだという、メディア側の判断が働いて、大きく取り上げなかったという。

まぁ、そうしたことをですね。ひとつメディア側の本件に関してはですね、大事な見識であったのではないかと。わたくしは、この件に関しては、メディアの皆さんを高く評価したいという風に、僭越ながら、思っております。

それでですね。例えば、その両論があった場合、対応する議論が専門家の間で巻き起こっている場合にですね。両論併記をされると、どういう問題があったのかということを。」
 (100430_nihongakujutu_06_paneldiscussion.pdfより。
http://nagatsuki07.iza.ne.jp/blog/entry/1608578/)

と、述べた。
 プロパガンダ〔宣伝〕はどちらの陣営だってやるだろう。異論を報道して(科学的)議論を起こし、出来る限りデータにもとづいて、個々の議論を交通整理し、より良い結論を出す手伝いをするのが、報道メディアの使命の一つだと思うが、そうとは考えないらしい。
 このような現行のメディアよいしょ的態度、自分の頭でかんがえなくても良いです的方針は、科学コミュニケーション論での模範なのであろうか? そうではあるまい。このような発言が出てくるのはなぜかを、科学コミュニケーション論から論じるとどうなるのだろうか? 
 
 
 さて、ユニクロは冬用の暖かい下着を、冷房対策のためという需要があるので、夏にも売り出すという。たとえば部屋全体を冷やしておいて、身体は暖める。ここまでおかしくなってしまった日本社会。(むろんユニクロに責任はありません。安いので愛用しております)
 それにしても、何かを製造することは、多くの二酸化炭素と廃熱をどこかで出すことだろう。
 省エネはかけ声だけだったのか。地下鉄、新幹線、地下街、デパート、ホテル、喫茶店、レストラン、どこもかも寒すぎる。
 どこも例外無く摂氏28度以上に冷房設定するか、とりわけ都会は冷房を止めて、水を撒くとか諸々の工夫をする。そして、原子力発電を止める。火力発電も少なくする。
 真剣に石油依存から脱却したいならば、養老孟司氏が言うように、元から絶つのが確実である。エネルギー対策として石油を輸入したとしても、たとえば半分は備蓄し、後の半分だけで賄う。そのため、自動販売機は全廃する。コンビニとテレビ放送は夜10時まで。ラジオ放送は夜12時まで。など。
 
 
[H]
広瀬隆.2010.7.21.二酸化炭素温暖化説の崩壊.集英社新書.[y700+] [B20100817]


新美康明『日本人は世界一間抜けな美術品コレクター』再読

2010年08月17日 00時27分13秒 | 美術/絵画
2010年8月17日-1
新美康明『日本人は世界一間抜けな美術品コレクター』再読

 明治期、fine artは、美術と訳された。工芸は、fine artでないものとされて、部門が別とされた(要文献=多木ほか 2007)。fine artを、純粋芸術 pure artに近いものと解釈とする手もあるだろう(この「純粋」というのが問題であるが)。通常の工芸は、応用美術という位置となる。著作権保護法の対象外となったりする。

 2008年9月22日に読了した、新美康明『日本人は世界一間抜けな美術品コレクター』を、昨日、おっと一昨日になってしまった、から再読し始めた。
 かつて読んだときの索引づくり的走書きは、

******* 表表紙裏に書き込み
 p.69~ 村上らはアートではない
 p.70~ 村上を批判
 p.77 △ 原価をはるかに超える値がつく理由=利害を越したところで創造されたから。
 p.96
 p.118 美術の評価
 p.118 抽象美術
     1. 生き方の物語性
     2. 造形美、概念美。2は恣意的。
 p.146 生産コストとの関係
 p.148 美術品所有のメリット
 p.166 ホッとくつろぐ
 p.204 価値観と金との関係。〔価値観を育むには批評ではないか?〕
 p.211 岡倉天心の言う日本美術の特質は無限の暗示性
 p.217 美術品価格=経済的価格〔←?〕+精神的満足価格
 p.224 『にっけいあーと』

******* 裏表紙裏に書き込み
 問題点を色々挙げているが、一言で言えば、
  1. 仁義なき金儲け主義〔つまり経済ルールを変えたりして権力をふるうこともあり得る〕、と、
  2. 過当競争。
*******

で、それらの内容は何なのか、また何を考えていたのか、皆目記憶に無い。

 また、パソコン内には、

作品の価値
 「作品の価値は、技量来歴 past achievement 以前に、作品の力でいかに人を感動させるかにある」(新美康明 2008.6: 173)。

という引用文を作成していた。

 さて、

  「村上や奈良の作品が「ファインアートか」と問われれば、私ははっきり「ノー」と言いたい。」(新美 2008: 69頁。7頁では、ファインアートを純粋美術と括弧書きしている。)
 
とあって、具体的な立場を鮮明にしている。
 
 
[N]
新美康明.2008.6.日本人は世界一間抜けな美術品コレクター:本当に価値あるものへの「投資」とは?.光文社.[y952+] [B20080915, Rh20080922]

[T]
*多木浩二・藤枝晃雄(監修)/尾崎信一郎ほか(編).2007.9.日本近現代美術史事典.東京書籍.[y9,500+] [Oc702.16]



Thunderbirdの(勝手な)自動改行を止めさせるには

2010年08月16日 22時13分57秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月16日-5
Thunderbirdの(勝手な)自動改行を止めさせるには

 わたしは無料メールソフトであるMac用Thunderbirdを使っている。
 いつだったか、突然なってしまったが、入力していると、19文字くらいで自動的に改行されてしまう。短すぎてどうも具合が悪い。
 専門家に訊くと、すぐに返事が来て、その通りしたら解決した。
 以下、解決方法である。

Thunderbirdメニューから
環境設定>詳細>一般
とクリックして行き、
「設定エディタ」ボタンをクリックする。

すると、「動作保証対象外になります!」という画面が出るが、かまわず、あるいはひるまずに(前はここで引き返した。ただし、次の画面に行ってもわたしにはmailnews.wraplengthの値の問題とは分かるはずがない)、下のほうの「細心の注意を払って使用する」のボタンを押す。

すると、
上部のフィルタの空欄にカーソルが位置するので「mailnews.wraplength」を入力するか、
mailnews.wraplengthまでスクロールする。

このmailnews.wraplengthの欄の右端に値が表示されているが、わたしの場合(どういうわけか)38であった。それで19文字くらいで改行あるいはラップされるのであった。
この欄をダブルクリックすると、入力欄が出るので、そこに0を(あるいは好みで76とかを)入力すれば、めでたしめでたし、解決した。

なお、関連することが、
http://forums.mozillazine.jp/viewtopic.php?p=35816
にあるとも教えていただいた。

感謝。


祝算之介詩集/龍

2010年08月16日 18時42分11秒 | 詩 poetry
2010年8月16日-4
祝算之介詩集/龍

 わが蔵書の『祝算之介詩集』の目次では、龍、夜の伽、挿話、鬼(158頁の方)、に○が記されている。
 「ひたひた」とか「みしみし」は、千田光の詩
http://www.k4.dion.ne.jp/~rainbow3/senda/contents.htm
を連想する。岩成達也『レオナルドの船に関する断片補足』も、擬態語を配置して独特の効果。
 
 『龍』(12-13頁)を抜粋する。
 
 
   龍
 
 
          はやて               のろし
夜になると、私の心に疾風が捲き起る。いきり立つ神経の狼煙が、めらめらと私の理性に燃えうつる。
 
 〔……〕
                          かけら
私の影法師は、さながら傷ついた龍だ。龍は私の悲しみの破片をくわえて、ばさばさと身もだえする。私は木の葉のように*〔檀の旁を偏として、頁の旁の字。「ふる」と読むと思う〕える。龍よ。こんな夜、小さな私は何をしたらいいのだろう。
 
 〔……〕
 
===
 
祝算之介.1972.6.1.祝算之介詩集.327pp.思潮社.[y1,200] [B19720913]
 
岩成達也.1969.4.10.レオナルドの船に関する断片補足.69pp.思潮社.[y800] [フランス装。初版は活版で箱有り]
岩成達也.1969.11.1[復刻版].レオナルドの船に関する断片補足.69pp.思潮社.[y800] [フランス装。写真製版で箱無し] [B710204, B711214]
http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20051105/p1

抽象絵画を讃えて2/造形心理学と抽象

2010年08月16日 16時48分26秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月16日-3
抽象絵画を讃えて2/造形心理学と抽象

 「人間と環境との相互作用で人間行動を解釈していこうとする近年の相互作用主義の図式
  ρ(i) x S(j) →β(ij)
においては、x の部分が強調される。Sには人間の作った環境も含まれる……から、人間もその行動も人工物の多大な影響を被っているといえる。心理学が……人間文化の歴史性に関与し、さらに解釈だけでなく予測と制御の学になろうとするならば、当然、現代の芸術を研究解明し、未来の芸術を予測する科学にもなれるはずである。造形心理学が「抽象」をテーマとして研究するようになったのは、このような心理学全体の動向を映しているのであろう。」(村山 1988: 192頁)。

  「デザインの前衛たることは人びとの欲求、感情、動機、嗜好を先取りする必要があると思うので、……これを採集する方法をもたなければならないだろう。……心の科学であろうとするならば、心理学は芸術の直観がとらえた現状と未来の方向性に敏感であって、そこから科学的課題を引き出さねばならない。……
 一つの方向は、例えば形成原理としての空間、力動的バランス、構造の研究、あるいは素材と表現、製作技術に関するより間接的な貢献といった表現の分析に関与する領域がある。」(村山 1988: 193-194頁)。
 
 造形心理学が進むべきもう一つの方向は、芸術と人間とのかかわりに対するアプローチだとして、それは精神分析学が開拓した分野であり、認知心理学が寄与する領域だとする。
 そして、村山(1988)は、新しい伝統として、抽象を取り上げるのである。

  1. 「絵画はいかに具象的な絵画であっても、そもそも抽象である」(村山 1988: 194頁)。理由:具象絵画も、「三次元で時間的存在である対象を二次元に凍結させる」からである。
  2. 具象絵画はまた、シンボルである(村山 1988: 194頁)。
  3. 「キュービズムは、古典的透視画法空間を破壊し、空間そのものを再構成した」(村山 1988: 194頁)。
  4. 「絵画の三次元対象の表象の問題の追求と、その解決法としての表象と言う枠組みから離れ、三次元世界を再現すべき義務から解放された」(村山 1988: 194頁)。
   〔ここの表象という語で何を意味または指示しているのかわからないので、論理とその具体的なところが理解できない。前の「表象」と後ろの「表象」は、同一内容を指しているのだろうか?〕
    背景として、写真などの再現技術の進歩を挙げている。
  5. 「三次元の再現ではなく、逆にカンバスをいかにオブジェ化するかという問題が設定された。この視点から、三次元を分断し再構成するという、新しい三次元の見方と表象法が提案されたのである。」(村山 1988: 195頁)。

 カンヴァスをオブジェ化するとはどういうことか? 三次元の再現とはどういう関わりになるのか? 「この視点から」の文は、キュービズムについての話だと思うが、そうすると、カンヴァスのオブジェ化とどうつながるのだろうか。
 次いでモンドリアンが取り上げられる。待ってました!
 
 
[M]
村山久美子.1988.6.視覚芸術の心理学.vii+200pp.誠信書房.[y2,940] [B20100710]


属概念 genus concept[草稿]

2010年08月16日 15時24分47秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月16日-2
属概念 genus concept[草稿]

 標語:各自、考えよ。

 属と種の関係は、『歴史』(メカニズム的に多義的)だけでは構築できない。
  属タクソンは、種タクソンの定義的諸性質の共通項として定義される。
  これを、(潜在的反応的性質も含む)諸性質を持つ生物体メカニズムの生成および維持(崩壊は(またひょっとして維持も)そのタクソンに属する生物体の絶滅という生態学的問題である)として解釈する。

 属システムは、実在するか?
  種システムと同様に、実在するとしても、存在の検出はかなり未来でも無理。
  すると、発生過程での推論が有力な一つ。

 種位階 rank〔rankを階級と訳すのを廃棄する〕で化石の予測、属位階で化石の予測
 Proceratiinae
  Proceratium
   [Proceratium=Sysphinctaとなることの予測]
  [Discothyrea]
   W.L. Brown、Clark、Taylor、Bolton、Wardの亜科概念の変遷

 Myrmicinae
  Strumigenys
   W.L. Brownの属概念の変遷、Dacetoniniの分類
   BoltonのPyramicaをめぐる論拠
  Pristomyrmex pungensの職型雌と職蟻とDiacamma sp.の胸部

 発生過程での開閉的転換または分岐のメカニズムと等価クラス
 システム分岐に位階を付与する根拠
 カスケード機能をもたらすメカニズム
  DNAの機能的単位(分子)が、パラメータとして参照されるメカニズム。
   値=0、は除去の場合と、下位システム変更による抑制または物質的欠損
  それはいかにして、可能になったのか、つまりシステムに組み込まれたのか。
  パラメータそのものの変更、またはパラメータ参照的変更、両者が同一の場合。
 上位パラメータ=システムのメカニズム的制御?
 
 
文献
Dubois, A. 1988. The genus in zoology: a contribution to the theory of evolutionary systematics. [Memoires du Museum national d'histoire naturelle. Serie A, Zoologie] 122pp. Blackwell Scientific Publications. [ISBN: 9782856531518]

森下正明.1955.属数と種数の関係について.生理生態 6: 118-126. 〔森下正明生態学論集第二巻 pp.441-457. 思索社 1979に再録〕.[帰無仮説=random絶滅]


画廊またはギャラリーの分類1

2010年08月16日 10時33分43秒 | 美術/絵画
2010年8月16日-1
画廊またはギャラリーの分類1

 galleryとは、大辞泉とプログレッシブ英和中辞典によれば、「回廊、廊下」、「(公共用の)細長い部屋」とあり、そこから派生したのか、「画廊、美術品の展示場、美術品陳列室[館]」とある。

 欧米でのギャラリーの分類(白川 2001: 35頁, 38頁)を、適宜言い直すと。

  a. 美術仲介商 dealer gallery。作品をほかの画廊またはギャラリーや収集者 collectorに仲介する(だけ)の者。dealerには美術商という訳があるが、仲介することで利益を得るのが本質的な業態ということだろう。
  b. 商業画廊 commercial gallery。すでによく売れる対象となっている物や売り絵と呼ばれる作品を売る者または店。
  c. (いわゆる)画廊 (so-called) gallery。上記のどちらも(どちらか?の場合もある?)しつつ、「文化活動としての美術に肩入れし、なおかつ将来の市場を見込んで先物取引的な眼を持って、新人作家、そしてその作品を社会、市場に投げ込んでゆく、いわゆる「ギャラリー」と呼ばれるもの」(38頁)。
 
 明治から1970年代頃までは、日本のギャラリーはこれらのどれにも属さないが、あえて言えば、明治期以来のデパートや小画廊の活動は、aとbの混合型だと言えるかもしれない、としている(38頁)。日本が欧米と異なるのは、国際的な市場取引上に成立していない点だとする(38頁)。1970年代以降に数多く出現してきた貸画廊は、ほとんどが市場性を欠落させたものだったと言う。
 
 さてここで、ウィキペディアでの画廊の分類を参照しよう。
 
 
[S]
白川昌生.2001.11.美術、市場、地域通貨をめぐって.259pp.水声社.[ISBN-10 4891764538] [y2,800+].

展示空間、白方体 white cube、額縁、抽象の発想

2010年08月15日 23時57分39秒 | 美術/絵画
2010年8月15日-7
展示空間、白方体 white cube、額縁、抽象の発想


 美術体験が、「この世界の生活の自然な延長」(ハリー・コブ;下記の村田により引用)として行なわれるか、それとも、美術館という大仰な場所で緊張状態で行なわれるか、どちらもありでいいだろう。人々の多様な感性からすれば、どちらもあり。
 新しいものを作ろうとするならば、これまでに無いものを作ろうということになる。生活を豊かにするものとしての美術作品は、どのようなもので、それらはどのような状況で楽しまれればよいのか。

 村田 真「美術の基礎問題 連載第13回」から引用する。

  「ジョセフ・ジオヴァニーニがいうようにホワイトキューブが「ニュートン的宇宙」に似ているとすれば、もう一歩進んで「アインシュタイン的宇宙」をめざす展示空間が出てきてもおかしくはない。つまり、美術に普遍的な見方や絶対的価値といったものはなく、見る者の立場によって相対的に変化するという視点である。この視点はモダンアートの行きづまりに端を発しており、それは結果的にMoMAの推進したホワイトキューブの「罪」を告発することになった。」
 
  「美術家にとって最良の展示空間とはなにかといえば、自分の作品がよりよく見える空間にほかならず、その最大公約数はやはりホワイトキューブに落ち着く。しかしそうはいっても、美術家の意向ばかりを尊重していては美術館の運営が成り立たなくなる……。こうして美術館、建築家、美術家の三つ巴は続くのである。」
 (村田 真「美術の基礎問題 連載第13回」:
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/serial/0105/murata.html)
 
 
 しかしそもそも、或る作品が最良に見える空間は、一意には決まらない。不釣り合いもまた一興とすると、……。そこは、作者や展示者の決断であろう。もとより、作者または展示者にとって、展示しやすい空間とかはあるだろう。多くの人の資金を使うのなら、そこは最大公約数的なものになる。
 
 日常的空間ではない、異空間を楽しむというのも、あってよい。
 さらに引用したい。

  「MoMAの絵画コレクションには最小限の枠がつけられているだけか、さもなければ額縁は取り払われてしまっている。
 もっともこれは、ホワイトキューブが額縁の役割を代行したというより、20世紀初頭に誕生した抽象芸術が額縁をなくす契機となった、というべきだろう。なぜなら抽象は絵画から3次元的イリュージョニズムを消し去り、絵画そのものが非再現的な平面性を主張するようになったため、あえて額縁をつける必要がなくなったからである。これは抽象彫刻における台座にもいえることだ。そして、額縁や台座を失った抽象芸術にもっともふさわしい空間がホワイトキューブだったのである。」 (村田 真「美術の基礎問題 連載第13回」:
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/serial/0105/murata.html)
 
 
 もとより、人物、静物、あるいは風景にしろ、三次元的存在物である(と想定される)。二次元的平面上にそれらを存在するように見えさせることは、われわれの見え、あるいは見なし方、あるいは錯覚にもとづいている。画面に再現することになんの意味があるのか? そう疑問をもつ者は、外界に存在する具体物を描くことを止めようと考える(かもしれない)。その場合、何を描くのか? 個々の要素は具体物だが、配置や組み合わせが現実にはあり得ないように描くか(幻想的)、心象といった内面的なものか(内面表出的)、がある。
 しかし、具体的対象を描くこと自体が錯覚を利用するわけであり、そこで一足飛びに、そのような類いのことは止めると決意しよう。二次元ならば二次元自体で、絵具ならば絵具自体の性質で勝負!、である。
 具体と抽象とは、一つの軸の両極である。1/4具象やら半抽象とかを考えることが可能である。しかし、発想あるいは考え方という観点からは、飛躍的あるいは切断的なものが、(一部の)抽象にはある。
 しかしまた、感性の問題という側面がある。一つの作品とは、総合的なものであり、人によって解釈は多様である。そして、すでに出現したものと同様の物には感心しないとすれば、なんらかの意味で新しい作品を探すしかない。あるいは作者は、作るしかない。
 ではどのように考えるのか? 美術史を参照するというのも一つの手段である。ただし、美術史的総括もまた、批判的に摂取しなければならず、また創作に結びつくとは限らない。美的判断をすること(さらにはそれらの歴史と作品の歴史の記述)と絵画の創造の間には、隙間がある。逆に、美術史的総括することもなく、独創的な作品が産み出されることもある。



IPCC地球温暖化論の非科学度と反科学度1

2010年08月15日 21時29分15秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月15日-6
IPCC地球温暖化論の非科学度と反科学度1

 島村英紀『地球温暖化」ってなに?』を、ざっと半分ほどを読了した。全体としては、科学は多数決ではない、としてデータや論理性について検討しているが、それほど強い主張をしていない。あとがきでは、クライメート〔気候〕ゲート事件を取りあげて、

  「科学」とは、客観的なデータに基づいて、正しい結果を得るはずのものだ。それなのに、偏見に基づいて結果をゆがめるのは許されない、という論理はそれなりに正論である。(263頁)

と述べ、「それなりに」を挿入させた部分を受けて、「科学者である私の見方は少し違う。/研究費がなければそもそも研究ができないし、大学や研究所のポストがなければ、やはり安定して研究をするための環境が得られない。……よくできる科学者ほど誘惑は多いのである」(263頁)と続く。おやおや、である。なにを言いたいのかよくわからないほどである。(おそらく、身にふりかかったことが関係して、このような文言になっているのだろう。)
 ならばいっそ、職業的科学者は廃止したらどうだろうか? 政府予算の、偽装的分捕り合戦は無くなるだろう。日本国民にエコ意識はかなり浸透したようだから、直感的ないしは直観的に、とりわけ核分裂型原子力関係の研究者は真っ先に事業仕分けすべきであろう。
 
 いくつか、要約して抜き出す。
 
A. 気温データ
 A1. マンのホッケースティック曲線は、IPCC第4次報告書の要約からは消えて、(まず誰も読まないような)本文にだけ幾つかの研究結果の一つとして載っている(51-52頁)。
 問題は、「これらの研究のどれもが、マンの結果と同じように、あてにならない要素を含んでいることだ。データは連続ではないことがほとんどだし、たとえば年輪のように研究の対象になったデータと気温との数値的な関係が十分にはわかっていないことも多い」(53頁)。

 〔なお、グリーンランドという名称は、懐疑論派からは、かつてはその名称通りに草が生える暖かなところだったのだという話に持ち出すものである。それに対して、それは単に希望的に名づけられたもので草原があったことは無いというように述べた本があったように思う。この著者の記述によれば、10~14世紀の温暖期には、アイスランドの人々が移住して農業をやっていた(52頁)、とある。〕

B. 氷河期の定義
 B1. 現在の地球は、氷河学の「南半球と北半球に氷河がある時期」という定義からは、氷河期である(58頁)。
 B2. 氷河期のなかでも寒い時期は氷期と言い、比較的暖かい時期は間氷期と呼ぶので、今は氷河期のなかの間氷期である(58頁)。

C. パラメータ化
 C1. (大気や海や陸を空間的に分割した単位の)箱の中の小さな現象が箱の中の平均値に与える影響をパラメータとして人為的に推定して与えることである(88頁)。
 C2. パラメータ化無しで計算できず、パラメータ化による推定は、物理法則とは違うものに頼っているので、不確実性を残さざるを得ない(88-89頁)。
 C3. 気候シミュレーションモデルの原型である大気海洋結合大循環モデルが開発されたのは、1960年代末である。そのときの計算では極端な寒冷化や温暖化が現われた(88頁)。

[S]
島村英紀.2010.7.「地球温暖化」ってなに?:科学と政治の舞台裏.263pp.彰国社.[ISBN: 9784395010240] [y2,100] [B20100813, zRh20100813]

書籍備忘録20100815-0816

2010年08月15日 20時01分05秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月15日-5
書籍備忘録20100815-0816

[I]
*池田宗彰.2010.7.物質・生命・心理とは何か(社会・人文科学序説):〝物理学〟からの統一説明.?+421pp.御茶の水書房.[ISBN: 9784275008893] [y9,030] [生命論]

[N]
*ぬで〔木偏に勝〕島次郎.2010.2.生命の研究はどこまで自由かー科学者との対話からー.224pp.岩波書店.[y2,520] [池内了、長谷川眞理子、勝木元也、田川陽一との対話を通して考える。]

[W]
*ウォーバートン,ナイジェル.(栗原泉訳 2010.7)哲学の基礎.266pp.講談社.[メチエ][y1,785] [Warburton, Nigel.] [第1章 神/第2章 正しいこと・正しくないこと/第3章 政治/第4章 外界/第5章 科学/第6章 心] [哲学]

*鷲谷いづみ・椿宣高・夏原由博・松田裕之.2010.2.地球環境と保全生物学(現代生物科学入門 第6巻).208pp.岩波書店.[y3,150]


森健二 展:光年の導 1973-1981

2010年08月15日 17時55分09秒 | 美術/絵画
2010年8月15日-4
森健二 展:光年の導 1973-1981

 2010年8月15日。
 森健二 光年の導 1973-1981 GUIDANCE OF LIGHT YEAR <KONEN NO SHIRUBE> 展/きたくま文化蔵/十勝清水町字熊牛。

 ショパンの早すぎる別れの曲が、聞こえてきた。大きな体育館に、ついたてのようなパネルに絵画をかけての、ぐるりと四方向の展示。中央に二人がけくらいの小さなしゃれたソファ(昨年はもっと大きなソファだった)。前にはテーブル。ゆったりできる。。。
 
 3年続いての3回目。今回は初期のほうの作品になるのだろう(最初の個展は1967年。http://dp50277157.lolipop.jp/wordpress/?page_id=16による)。作品はおよそ5つの類型に分けられよう(むろん当方の主観的分類)。いずれも、感覚的に好み。入口の左の2つは一つの類型に入るが、大きな達成となっている。
 入って左の面の真ん中あたりの絵が、他とはかなり異なっている。画面真ん中あたりの黒い部分の右方の縁とその周囲との接続部の形態または色彩処理に少し違和感があるが、一番の収穫だった。
 
 技法としては、油絵具を入れた注射器で細い線を描く(と某先生に教えてもらった)。その線は、直線的、少し曲線的、そして円形、あるいは入れ子状にして等高線のように配置する。きわめて細い直線状に並べて面をつくってもいる。そして、おそらくまた注射器でやっているのではないかと思うが、点々と置いていったような要素。かなり時間がかかるだろう。
 画面の基調色あるいは背景色は黒が基本で、結果としては黒い面は少なくなるにしろ、それの効果で光る、あるいは輝いて見える。
 他の形態要素とそれらの要素の配置によって、全体は宇宙的になる。
 
 作品目録では14個となっているが、100号が16個、100号2つを横にして縦長にしたものが1つの17個を数えた。いずれも、まったくのところ、一見の価値あり。その後か前に、しみず温泉フロイデの露天風呂から、十勝平野(の一部)を眺めるのも一興。
 
 ここも、小学校跡を利用しているもので、いくつか並ぶ部屋(旧教室)には、森健二氏の星的宇宙のもの4つをはじめ、多くの作者の絵画や書などが展示されている。
 
 なお、この森健二展は、7月31日から8月29日までの毎週土曜日と日曜日に開いている。
 帯広市内で森健二氏の絵画を見たいとすれば、十勝毎日新聞社の玄関ホールを入って左上のほうにて、見ることができるかもしれない(少なくとも1-2年前にはあった)。
 
 森健二氏の(?) ホームページ
http://morikenji.jp/wordpress/

 もりけん帯広会
http://www.mytokachi.jp/moriken/


美術と市場

2010年08月15日 10時40分51秒 | 美術/絵画
2010年8月15日-3
美術と市場
 
 白川(2001)は、市場によって近代美術になったと考える。
 そこで、市場への提案として、白川昌生氏は、1999年12月にモリス・ギャラリーで、「オープンサークル・プロジェクト〔開円企画、開団企画、開円団企画〕」と題する個展を、行なった。自分の小品に、10,000~40,000円という安い価格設定をしたという(白川 2001: 34)。
 その趣旨または狙いは、「作家、コレクター、ギャラリーの三者の連携を社会に公開していく自覚されたアートシステムの提案」ということで、
 
  1. ギャラリー〔〔商業〕画廊〕は、作家に公的な場と価値形成の制度を提供する。
  2. コレクター〔収集者〕は、美術作品としての成立を支え、その価値を支持保存する。
  3. 作家〔作者〕は、価値の可能性を作品によって問いかける。
    (白川 2001: 35)
 
 そして、作品売買の際には、三者の署名がつけられた証明書が発行され、それを作品と並べて展示した。証明書もいわば作品の一部だという。「いわば」という意味が解釈できないが、なんであれ、証明書は作品に対してのことだから、対象化、つまりメタの位置に立っている。証明書も作品の一部だとみなすことは、その新たな全体は、2階の構造を持つことになるが、もとよりそれは、そうみなした場合のことである。
 
 ところで。
 画讃は、同じ画面に存在する或る絵(たとえば水墨画)について言及したものだから、対象化の位置に立ちつつ、しかしたとえば同一の掛け軸の画面に存在するから、或る掛け軸の画面として絵と画讃は一つのまとまりを持つと見なされやすい。では付箋をつけるのはどうか。
 あるいは、タルムードのように、本文がまんなかに位置して、外周へと注釈がついていくものはどうか。

 
[S]
白川昌生.2001.11.美術、市場、地域通貨をめぐって.259pp.水声社.[ISBN-10 4891764538] [y2,800+].

Zero BookJ-[Z]

2010年08月15日 01時08分59秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月15日-2
Zero BookJ-[Z]

*ズック.(佐藤恵子訳,2008)性淘汰:ヒトは動物の性から何を学べるのか.白揚社.[]

ザークル,C.1949.(篠崎喜人監修,1952)ソヴェトにおける科学の死.385pp.ヘラルド社.[y400]

ザイマン,J.1980.(竹内敬人・中島秀人訳,1988)科学と社会を結ぶ教育とは.20+293pp.産業図書.[B980113, y2,600]

ザイマン,J.1994.(村上陽一郎・川崎 勝・三宅 苞訳,1995.12)縛られたプロメテウス:動的定常状態における科学.ix+383pp.シュプリンガー・フェアラーク東京.[B2010, y2,200+]

ザイマン,J.2000.(東辻千枝子訳,2006.2)科学の真実.xv+351+76pp.吉岡書店.[B20071011, y3,990]

ザヴァツキー,K.M.1961.(高橋 清・松岡広雄訳,1975)種の研究.305pp.たたら書房.[y1700]

ザデー,L.A.1987.(菅野道夫・向殿政男訳,1992)ザデー・ファジィ理論.xxii+796+iv pp.日刊工業新聞社.[B000118, y12,000]

ザハヴィ,A.1997.(大貫昌子訳,2001)生物進化とハンディキャップ原理.430pp.白揚社.[B010625, y3,600]

ジー,A.1986.(杉山滋郎・佐々木光俊・木原英逸訳,1989)宇宙のデザイン原理-パリティ・ゲージ・クォーク.438pp.白揚社.[y2,900]

*ゼキ,S.(河内十郎訳,1995)脳のヴィジョン.16+376pp.医学書院.[B2007-*, ]

ゼキ,S.1999.(河内十郎 訳,2002)脳は美をいかに感じるか:ピカソやモネが見た世界.日本経済新聞社.[B20020305, y3,500]

ゼブロウィッツ,L.A.1997.(羽田節子・中尾ゆかり訳,1999)顔を読む:顔学への招待.viii+345pp.大修館書店.[B990713?]

ゾラ,E.1981.元型の空間.xi+301pp+12.法政大学出版局.[]

全国自然保護連合(編).1974.自然保護の手引き.viii+154+11pp.昌平社.[H, y680]

全国自然保護連合(編).1989.自然保護事典1.山と森林.382pp.緑風出版.[y3,800]

全国若手哲学研究者ゼミナール.1994.哲学の探求:第22回全国若手哲学研究者ゼミナール報告・論文集.144pp.全国若手哲学研究者ゼミナール.[B20000617, y1,000]

全林野労働組合(編).1970.樹海からの告発 《林業黒書》.iv+227pp.全林野労働組合.[]

Zero BookJ-[Y]

2010年08月15日 00時59分38秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月15日-1
Zero BookJ-[Y]

*山村則男.1986.繁殖戦略の数理モデル.vi+177pp.東海大学出版会.[y1,800]

*山本健一.2000.意識と脳:心の電源としての意識.224pp.サイエンス社.[y2,200]

高階秀爾.2008.11.日本の現代アートをみる.講談社.[B]

好井裕明・桜井 厚(編).2000.フィールドワークの経験.248pp.せりか書房.[B001004, y2,400]

野生動物救護研究会(編).アニマルレスキュー教本野鳥編.24pp.エコ・ネットワーク.[B000917]

イエイツ,F.A. 1966.(玉川八州男訳,1993) 記憶術.519pp.水声社.[B990524, y6,000]

イエイツ,F.A. 1979.(内藤健二訳,1984) 魔術的ルネサンス-エリザベス朝のオカルト哲学.334+xii pp.晶文社.[y2,300]

山岸 宏.1975.現代の生態学.ix+232pp.講談社.[y1,600]

山岸 宏.1977.成長の生物学.v+196pp.講談社.[y1,900]

山岸 宏.1982.現代の生態学.ix+224pp.講談社.[y2,500]

山岸 哲・斉藤千映美・S.グッドマン・N.マーチン・江口和洋・H.ランドゥリアマハズ・F.アンドレオーネ・川又由行(編).1999.マダガスカルの動物?その華麗なる適応放散?.xxiv+364pp.[W990715, y4,200]

山岸 哲・樋口広芳(共編).2002.これからの鳥類学.506pp.裳華房.[B20020816, y6,500]

山岸 哲(編).2002.アカオオハシモズの社会.v+264pp.京都大学学術出版会.[B20020626, y3,400]

山岸 哲(編著).1997.鳥類生態学入門:観察と研究のしかた.vii+185pp.[B970430, y2,500]

山形浩生.1999.新教養主義宣言.293pp.晶文社.[B000216, y1800]

山元一郎.1972.空虚と実験:近代科学の精神とその論理.308pp.法律文化社.[y2,500]

山元大輔.1997.行動を操る遺伝子たち.126pp.岩波書店.[B970604, y1,000]

山元大輔.2001.遺伝子の神秘:男の脳・女の脳.235pp.講談社.[B011105, y840]

山元晧二.1985.階層理論に基づく生物の進化:前進的進化へのアプローチ.421pp.リサイクルジャーナル社.[y4,500]

山口 進.1999.クロクサアリのひみつ.31pp.アリス館.[B990902, y1,300]

山口 椿・代々木 忠.1999.至高体験?そのメカニズムと変容.276pp.徳間書店.[B20030***=y350*, y1,600, 「楽しい猥談をしょう」(山口・代々木,1999: 212)としても,末期資本主義あるいは拝金主義の破綻を論じることになってしまう.それは,現場を見つめ,問題の「根っこを探っていくと」(山口・代々木,1999: 212),そうなる.]

山口昌哉.1972.非線型現象の数学 基礎数学シリーズ11.iv+172pp.朝倉書店.[B720403, y1,000]

山口昌哉.1986.カオスとフラクタル-非線形の不思議.197+2pp.講談社.[y540]

山口昌哉監修.1986.現代科学の術語集-相対論からAIDS, カオスまで.237pp.駸々堂.[y1,200]

山口清三郎(編).1953.生物の歴史.322pp+5.毎日新聞社.[y320]

山口裕美.2002.10.現代ア-ト入門の入門.光文社.[ISBN:9784334031657; B22071125
Rh20080726, y787]

山口裕美.2006.芸術のグランドデザイン.223pp.弘文堂.[Oc702.16, Rh20090324, y2,625]

山根正気・幾留秀一・寺山 守.1999.南西諸島産有剣ハチ・アリ類検索図説.xii+831pp.北海道大学図書刊行会.[B000210, y25,000(y21,660)]

山崎 清・尾崎一彦・山田耕作・稲岡宏蔵・原 三郎・中西克至.2008.4.環境危機はつくり話か:ダイオキシン・環境ホルモン、温暖化の真実.283pp.緑風出版.[B20080529, ]

山崎利彦.1995.ただ今子育て中につき本日休診.239pp.草思社.[R970324y, y1,600]

山本 啓.198*.ハーバーマスの社会科学論.???pp.勁草書房.[]

山本 悟・田辺晃生.1984.科学と認識構造.xiii+349+7pp.昭和堂.[B000511, y2,400]

山本 弘.2007.12.“環境問題のウソ”のウソ.楽工社.[B20080115, y1,260] [トンデモなくしょうもない本]

山本 尤.1985.ナチズムと大学-国家権力と学問の自由.192pp.中央公論社-中公新書.[y520]

山本健治.1996.たかが掃除と言うなかれ優良企業が凡事を徹底する理由.254pp.日本実業出版社.[s20040508, y1,500]

山本護太郎・伊藤猛夫.1973.水界動物生態学II-生態学講座16.2+88pp+12.共立出版.[]

山本護太郎・伊藤猛夫.1973.水界動物生態学I-生態学講座15.2+95pp+6.共立出版.[]

山本護太郎・竹内拓司.1969.現代生物学.5+264pp.森北出版.[y650]

山本祐治.1986.リス-樹の上のやんちゃ坊主.123pp.自由国民社.[y1,200]

山岡悦郎.1998.哲学的探求??パラドックスの分析から価値論へ??.vii+219pp.晃洋書房.[B, Su]

山岡謁郎.1996.現代真理論の系譜-ゲーデル,タルスキからクリプキへ-.256pp.海鳴社.[B981222, y2,200]

山岡亮平.1995.アリはなぜ一列に歩くか.ix+194pp.大修館書店.[B951001, y1,545]

山下 昇.1967.新版地球化学序説.x+251pp.築地書館.[y680]

山下弘文.1998.諌早湾ムツゴロウ騒動記:二十世紀最大の環境破壊.pp.南方新社.[]

山下次郎.1978.エキノコックス-その正体と対策.246pp.北海道大学図書刊行会.[B20020413, y1,800]

山下正男.1985.論理的に考えること.xii+194+2pp.岩波書店.[B990723, y740]

山折哲雄・安田睦彦.葬送の自由と自然葬.234pp.凱風社.[B000508, y1,500]

山川偉也.1977.人間とイデア.6+368pp.法律文化社.[y3,500]

山川偉也.1996.ぜノンの4つの逆理.302pp.講談社.[B960419, y2,500]

山川雄巳.1998.数理と政治.305pp.新評論.[B990805, y3200]

山村恒年・関根孝道(編).1996.自然の権利.xi+284pp.信山社出版.[B960702, y2,900]

山村則男・早川洋一・藤島政博.1995.寄生から共生へ-昨日の敵は今日の友.229pp.平凡社.[B951026, y2,400]

山村雄一(編).1975.免疫I-岩波講座現代生物科学13.vii+***pp.岩波書店.[y2,200]

山村雄一(編).1975.免疫II-岩波講座現代生物科学13.vii+213-436pp.岩波書店.[y2,200]

山村雄一(編).1975.代謝異常-岩波講座現代生物科学16.xi+284pp.岩波書店.[y2,200]

山中健生.1976.進化生化学序説.vi+96pp.講談社.[y1,500]

山中栄一.1993.世界哲学体系II-インド哲学・ギリシャ哲学.iv+409+16pp.東方出版.[B960426, y3,200]

山鳥 重.2002.「わかる」とはどういうことか:認識の脳科学.236pp.筑摩書房.[B20020812, y720]

山田 健.1997.今日からちょっとワイン帳.254pp.草思社.[B010306, y1,400]

山田真弓(監修).2000.動物系統分類学 追補版.xii+451pp.中山書店.[W000801, y36,000]

山田慶児.1982.混沌の海へ-中国的思考の構造.349pp.朝日新聞社.[y1,200]

山田慶皃.1999.西洋近代科学と東洋の方法.58pp.れんが書房新社.[B990713, y500]

山田國廣(編著).1994.里山トラスト:一本の木が地域と都市を結ぶ.246pp.[W980605, y2,421]

山田秀雄・舟山聡.1999.セクシュアル・ハラスメント対策.170pp.日本経済新聞社.[B000111, y830]

山田辰美.1999.ビオトープ教育入門:子どもが変わる 学校が変わる 地域が変わる.250pp.農文協.[W990727, y2,000]

山田哲治・島本 功・渡辺雄一郎(監修).1997. 分子レベルからみた植物の耐病性:植物と病原菌の相互作用に迫る.細胞工学別冊 植物細胞工学シリーズ 8 [B000214, y3,600]

山内志朗.1995.普遍論争:近代の源流としての.292+90pp+xii.哲学書房.[B960613, y6,900]

山内得立.1974.ロゴスとレンマ.x+378+3pp.岩波書店.[y3,200]

山内宥厳.1981.二人ヨーガ楽健法.183pp.アボック社.[y1,900]

山之内 靖.1996.システム社会の現代的諸相.xiii+352+6pp.岩波書店.[B970221, y3,500]

山之内 靖.1997.マックス・ヴェーバー入門.iv+246pp+2.岩波新書.[B971023, y630]

山脇直司.1999.新社会哲学宣言.viii+205+40pp.創文社.[B000612, y3,300]

安間繁樹.1976.野生のイリオモテヤマネコ-原生林の闇に生きる-日本の野生動物6.xii+286pp.汐文社.[y1,200]

安間繁樹.1985.アニマル・ウォッチング-日本の野生動物この列島に棲む113種の動物の野生の姿を追う.271+xxvi pp.晶文社.[y2,300]

安間繁樹.2001.琉球列島:生物の多様性と列島のおいたち.195pp.東海大学出版会.[B011030, y2,000]

安井 稔.1978.言外の意味.vii+215pp.研究社出版.[y1,400]

安岡高志・滝本 喬・三田誠広・香取草之助・生駒俊明.1999.授業を変えれば大学は変わる.302pp.プレジデント社.[B000111, y1,800]

安成哲三・米本昌平(編).1999.地球環境とアジア:岩波講座 地球環境学2.xv+302pp.[W990616, y3700]

安川 一(編).1991.ゴフマン世界の再構成:共在の技法と秩序.254pp.世界思想社.[B990212, y1,950]

安田 雪.1997.ネットワーク分析:何が行為を決定するか.x+219pp+20.新曜社.[W980206, y2,266]

安田徳太郎.1976.思い出す人びと.315pp.青土社.[y1,200]

飲茶.2006.12.哲学的な何か、あと科学とか.277pp.二見書房.[Oc104, Rh20080629, y1,575]

吉元由美.2002.愛する気持ち、愛されたい気持ちの伝え方.250pp.三笠書房.[B20020626, y1,143]

*吉井仁実.2008.9.現代アートバブル:いま、何が起きているのか.230pp.光文社.[Oc702.07, Osk702.07, Rh20090626, y740+]

吉井良三.1970.洞穴から生物学へ-NHKブックス125.224pp.日本放送出版協会.[y380]

吉野正敏.1961.小気候-極地気象学序説.274pp.地人書館.[y1,000]

吉永良正.1992.ゲーデル・不完全性定理-「理性の限界」の発見-.293pp.講談社.[OUL410.96]

吉永良正.1996.「複雑系」とは何か.講談社.[B090930, Rh971005, y660]

吉岡 斉.1982.テクノトピアをこえて-科学技術立国批判.270pp.社会評論社.[y1,700]

吉岡邦二.1973.植物地理学-生態学講座12.2+84pp+4.共立出版.[]

吉川研一.1992.非線形科学-分子集合体のリズムとかたち.177pp.学会出版センター.[y3,000]

吉川公雄.1973.社会性昆虫 とくにカリバチを中心として-生態学講座21.2+130pp+12.共立出版.[]

吉川弘之.1990.概念の設計から社会システムへ.91pp.三田出版会.[y1,000, Rh910114]

吉村 誠, 家長 百合子 & 鐙 聡(編著).1995.インターネット ホームページデザイン.317pp.翔泳社.[B950726, y2,400]

吉村元男.1986.都市は野生でよみがえる.204pp.学芸出版.[y1,200]

吉田民人.1990.自己組織性の情報科学-エヴォルーショニストのウィーナー的自然観.xii+296pp.新曜社.[y3,800]

吉田民人.1990.主体性と所有構造の理論.xiii+373pp.東京大学出版会.[W980708, y4788]

吉田民人.1990.情報と自己組織性の理論.xii+295pp.東京大学出版会.[y4,000]

吉田民人・鈴木正仁(編).1995.自己組織性とはなにか-21世紀の学問論にむけて.vi+271pp.ミネルヴァ書房.[B960510, y2,800]

吉田夏彦.1980.感情人間・論理人間-考えを筋道立ててまとめるために.268pp.ごま書房-Goma select.[y1,300]

吉田貞男・宮川清彦.1985.情報文化論.9+315+15+7pp.法律文化社.[y3,000]

吉田敏治.1967.生存競争.197pp.古今書院.[y600]

吉田文和.1980.環境と技術の経済学-人間と自然の物質代謝の理論.xv+250pp.青木書店.[y2,000]

吉福伸逸(監修).1986.アメリカ現代思想 I.科学,心理学,フェミニズムからセラピーまで.244pp.阿含宗総本山出版局[瞑想第9号].[y1,800]

吉福伸逸(監修).1986.アメリカ現代思想 II.科学,心理学,フェミニズムからセラピーまで.258pp.阿含宗総本山出版局[瞑想第10号].[y1,800]

吉福伸逸(監修).1986.アメリカ現代思想 III.科学,心理学,フェミニズムからセラピーまで.10+252pp.阿含宗総本山出版局[瞑想第11号].[y2,000]

吉里勝利(編).1996.再生-甦るしくみ.188pp.[B991228, y3,400]

吉良竜夫.1973.生態学からみた自然.295pp.河出書房新社.[y750]

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ヤップ,W.B. 1972.(塩川久男訳,1976) 人間・自然・破壊.iv+218pp.共立出版.[y1,600]

ヤブロコフ,A.B. 1980.(山岸 宏・高畠雅映訳,1982) 表形学入門-付録・ヴァヴィロフの研究.212pp.蒼木書房.[y2,500]

ヤンツェン・ガロ & ラマ・ロサン・ガンワン.(平岡宏一訳,1994) チベット死者の書.236pp.学習研究社.[B990226, y1,750]

ヤング,A.M. 1976.(プラブッダ, S.P.訳,1988) われに還る宇宙-意識進化のプロセス理論.xxxi+422pp.日本教文社.[y2,600]

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野生生物情報センター(編).1988.知床からの出発-伐採問題の教訓をどう生かすか.302pp.共同文化社.[y1,200]

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湯川秀樹(監修).1973.現代物理学の基礎2-古典物理学II 岩波講座.vii+382pp.岩波書店.[y1,400]

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米沢富美子.1990.ランダムな構造に秩序をみる.87pp.三田出版会.[y1,000]

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