程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

鳥山頭ダムと日月潭

2017-06-02 20:38:54 | 花おりおり

烏山頭ダムは台湾南西部にある嘉南平野を灌漑するために、日本の植民地時代に台湾総督府が1920年から10年かけて建設した灌漑用ダムです。ダムは面積1,000ヘクタール貯水量は1億5千万トン、完成時の1930年頃は東洋最大のダムでした。総面積15万ヘクタールの農地に16,000km(万里の長城総延長の2倍)の水路が張り巡らされて嘉南平野は台湾最大の穀倉地帯になりました。

 ダム建設を指揮した八田興一(はった よいち)は当時としては新しい三つの方法を取り入れた

 ① セミハイドリックフィル工法(湿土堰堤式工法)の採用

 この工法は、地震の多い台湾では当時最善の方法でした。コンクリートの土台を中心部にだけ用い、大量の土砂をその上に盛り水の力を利用して粘土や細かなど土砂を落ち着かせ土堤を作るものです。

 ② 大型土木機械の使用

 当時ではほとんど使われていなかったスチームショベルやエアダンプカーなどの大型土木機械を47種類取り入れた。

   

   

 ③ 工事で働く人と家族のため病院・学校・映画館などもある街を作った。その一角には八田興一の家族が住んでいた家が復元されている。

   

八田興一は日本人と台湾人の差別を一切しなかった。八田興一の銅像と夫妻の墓はダムを見下ろす場所に現地の人の手で建てられ、毎年5月に盛大な墓前祭が行われている。

ダム湖一帯は景観が良いので行楽地になっているが。そのなかに八田興一の業績を讃える記念館があります。

   

八田興一 

1886年石川県金沢市生まれ 帝大工学部土木科卒後台湾へ赴任 1942年5月フイリッピン赴任中の船が撃沈されて死去。

 

日月潭

 日月潭は、周囲3.3kmの人造の淡水湖、東側は太陽の形なので日潭・西側は月の形をしているので月潭と称されている。台湾屈指の観光地として有名ですが、もともとは電源開発のため大正8年に海抜2400メートルの山中を堰き止めて貯水した電力発電のためのダム湖です。朝は湖面から靄が沸き立ち靄が晴れると遥かに連なる山々を背景とした雄大な湖の美しさはさすが台湾随一の景勝地でした。

   

   

拉魯(ラル)島

サオ族は祖霊の宿る地と崇め「ラル」と呼んでいた。かつてはかなり大きな島だったが日月潭の水嵩が増して島の大半は水没した。住民は移住させられ無人島になった。1990年大震災の地形変動でわずかに頂部が残るだけとなっている。

   

 取水口

日月潭は山の向こうにある川の水を取水しています。トンネルを掘る工事が難工事だったとか。

湖面の水位はが朝夕かなり上下しているそうです

   

遊覧船に乗る

 

   

   

   

烏山頭ダムも日月潭も日本の植民地政策の一環として建設されたものですが、いまも台湾の人々に貢献しているのに感動しました。

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