程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

終わり良ければ。

2014-02-01 18:13:33 | 随想

 過日92歳の従姉があの世へ旅立った。

身体が弱ってはいたとはいえ、前夜は家族と食事し、孫娘が見たときは寝ていたという。2時間ほどして娘が起こしに行ったときこと切れていた。

昨年10月に従妹と連れだって訪ねたとき会話もはずみ、このようすならまだ長生きできると思ったのに。

 葬儀は、子ども・孫夫婦・ひ孫など20数人のほかご近所の方々も大勢来てくださって、90を超えた老女の葬儀としては盛大だった。
従姉は経師屋を営む伯父の家へ、伯母の連れ子として入った。一人娘だったので、昭和18年ごろ婿養子を迎えたが、すぐ出征して戦死。戦後伯父も亡くなり、伯母と赤ん坊と3人で大変な苦労をした。
 
戦後の混乱期に友達が勤め先とその会社のおんぼろ社宅を世話してくれた。それから数年して結婚相手も紹介してくれた。従姉と結婚した人は沖縄の人・熊本で除隊されたため、アメリカ占領下の沖縄に帰れなくて、東京へ来ていた。悪条件どうしの結婚だったが、従姉の夫Tさんが良い人だったのが、幸運だった。その後沖縄の家族は無事だったことが分かったものの、沖縄に帰ることこと叶わず、長男の責任感と沖縄への望郷の念で、Tさんは生涯苦しんでいた。
 
 従姉より2歳年下の私の姉は、認知症が進行している。従姉の言によれば「Rちゃんはしっかり者で人の面倒を見るタイプ。私は頼りなくて面倒をみてもらうタイプ」 私もそう思う。
 
従姉は子どもに囲まれ、大往生した。子どものいない姉は、私の息子・嫁、アメリカという遠くにいる娘とその子どもに大事に思われて幸せと思う。
 
人生の終末それぞれさまざま、従姉のように最後を迎えたい思うこと・切実です。
 
コメント (3)
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