波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

秋・夕焼け 第二の終わり方

2018-10-27 15:24:13 | 超短編


秋夕焼け
いま帰路につく
旅列車

発車ベルが鳴り続けていた。九州南端の都市から、東京へ向かって発つ特急列車である。発車ベルを押しやるように、ひとりの中年男が車内に飛び込んできた。彼は空席を探して小走りに足を運んだ。空席はあったが、男が目指しているのは、列車の進行方向が見通せる席のようだった。
 四人がけのボックスに、進行方向を向いた空席のある、つまり彼の希望をみたす席を、ようやく見つけて、
「この席よろしいでしょうか」
 と前の席の女に声をかけた。
「どうぞ」
 とささやくような声がして、果たしてそれがはっきり諾意であったのかどうかも分からないまま、席を取ると、開いた窓から身を乗り出し、写真を撮りだした。シャッターを切っては、次のシャッターを切る慌ただしい動作を繰り返した。男は写真を撮りながら、彼に席を与えてくれた女への感謝を、早口に繰り返していた。
「いや、助かりました。N市に来てずっとこの夕焼けを狙っていたんですよ。昨日、一昨日と曇りでしたからね」
 男はそんな言葉を吐きながら、いったい何枚の写真を撮りまくったのだろう。
 デジタル写真とは言え、そんなに準備があるのだろうかと、女のほうが不安になっていた。
 彼は七八分は、そんな無理な姿勢をとりつづけていたはずだ。自分ではまくし立てながら、女には一言も喋らせなかった。
 夕日は完全に没してしまい、その残光も薄れた頃、男はようやく緊張から解かれてシートに背をつけた。はじめて乗客になったのである。
「秋の夕焼けというのには、なかなか出会うことは難しいのですよ。東京からずっと、秋の夕焼けを追い続けて、ついにここまで来てしまいました。ここに来ても、最後の最後まで夕焼けは現れなかった。発車のベルが鳴って、それが消える段になって、雲が薄れてくれて、電車が動きはじめて正体を現わすなんて、どういったらいいのか、不幸中の幸いで、恵みですね、これは」
 男がこう言ったとき、女はぎくりとした。何となれば、女は恵みという名前だったのである。男はまだ女の顔をまともには見ていなかった。したがって、恵みと言われて頬が赤くなったことも、捉えられてはいなかった。

「本当にN市もこのところずっと、雨と曇りのお天気でしたものね」
 と女は言った。これがはじめての発声である。
 男は女に言われて、我に返ったようにはじめて女の顔に見入った。若い。同じボックスに向かい合わせていて、いいのだろうかと、躊躇われるほど若く、そして美しい。
 男はわけのわからぬ諾い方をして、救いを求めるように言葉を発した。
「と言われるところを見ると、九州のこの都市にお住まいなんですね。羨ましい。ぼくは幼い頃から、この街に憧れを抱いていました」
 と男は嘆息するように言った。
「お言葉を返すようで申し訳ないのですけれど、私は高校を卒業するまで、修学旅行で離れる以外、ずっとN市に生きていたんです。行くところは、図書館とデパートと書店だけ。私は極端に言えば、その数箇所の雰囲気に浸って生きていたようなものです。だからこそ卒業したら、新しい空気を吸いたい、新しい色に染まりたいと、心に願っていたのです。
 でも、そんな私に用意されていたのは、N市と関わりのあるものばかり。親が私に用意したものは、N市の人とのお見合いばっかり。今回の帰郷もそうでした。N市にある大学の助教授。母はその人と私が会うために、ツーピースまで揃えて待ち構えていたのよ」
 恵みは話し込んでいきながら、ふとツーピースの色合いが、目の前のカメラマンの探している夕焼けと、どこか一致してはいないかと、気になりだした。しかし気になると、よけいのめり込んでいき、その色を探らないではいられなくなってきた。彼女は足元のスーツケースを開くと、デパートのレジ袋に入った品物を引き出していた。カメラマンは、何をするのだろうと、好奇の目を光らせている。
 恵みは放胆な気持ちに動かされ、その包を膝の上にのせた。動悸は慄きと言えるものに変容し、恵みはレジ袋の端にある部分をつまみ出していた。
「この色一色なんですよ」
そう言って、男を見上げた。
 彼は緊張に包まれ、その色に見入った。男は言葉もなく目を瞑った。どんな声が漏れてくるか、恵みは呼吸を整えて待った。男は思わせぶりに沈黙しているのではなかった。
 女の手の中に夕焼けを見ていたのである。夕焼けでもこれから輝きを放つ夕焼けではなく、鎮静していく夕焼けだった。あまりにも求めていた夕日と重なってしまい、ことばが出てこなかったのだ。
「それこそ、ぼくが求めていた輝き出す夕日ではなく、鎮まっていく淋しい夕焼けです」
 恵みは感情に揺さぶられてレジ袋を抱え込んで突っ伏す状態になっていた。しばらくそうしていた。
男はただ彼女の動きを見ていた。そのうち彼女はふっと立ち上がると、車両の廊下を包を抱えて歩き出した。
 化粧室から戻ってきた彼女は、彼を充足させる夕焼けに染まっていた。
 鎮まっていく夕日、と彼は心の内に叫んだ。
「私普段着のまま、電車に乗って来てしまったのよ」
 と恵みはあっさり言った。彼の探していた夕焼けと一致したことが、何より嬉しかった。
おわり

「第二の終わり方」

「私、次に停車するY駅で降りて、そこに嫁いでいる姉に母を慰めて欲しいと頼むつもりだったんです。ですがこのまま乗ってあなたとご一緒したくなったわ。ご迷惑かしら。お洋服のボタンが取れていたり、袖口にホツレがあったりして、お一人暮らしと思ったのですけど、ご迷惑だったかしら」
 女は中年男に悲壮な顔を向けた。一か八かをかけたのである。
「いえ、ご推察の通り、ぼくは一人暮らしです。大学の助教授のような肩書きのないV新聞のフリーカメラマンです。V新聞にはたまーにグラビア写真を載せています。「ヒカリ列島きのうきょう」ご存知ですか」
女は大きく頷いて、
「知ってます。私の愛用の記事でした。実家には切り抜き写真もあるはずよ」
「よかった。我々カメラマンにとっては、過ぎ去る風景だけが宝ですからね」
 男は言って、デジタル写真に収めた中から一枚を選んで、女の着衣の腕のあたりに運んだ。見事な秋の夕景が入っている。
「近くこれが載ると思います。そっくりでしょう、あなたの着ているツーピースの色合いと。ぼくがずっと狙っていた記念の一作ですからね。長い努力の恵みですよ」
「あら!」
 と女が叫んで、その口を押さえた。顔が赤く染まってきた。
「ここに出てしまいましたか。恵みさんは。自分で口にしておきながら、全く気づきませんでした」
「そっくり同じ色だわ」
女はデジタル写真の夕焼けと、自分のツーピースの色合いを見比べて、そう言った。
 男は恵みという名前の衝撃にとらわれていた。
「ふーん、恵みさんでしたか」
「そうよ、私は恵みよ。私とあなたの間には、言葉の壁なんてなかったの。たまにあなたの口から飛び出す、秋の夕焼けには、滅多に出会えないとか、不幸中の幸いだ、これは恵みだとか。さっきも、今じゃなく、さっきよ」
「さっき? そうでしょうね。その言葉の恵みには、いや恵みさんには、多くあずかってきたんだから」
恵みが堪えかねて笑い出してしまった。
「それ変よ。恵みって言葉があるのに、それにいちいちさんをつけたりしちゃ。私の名前に勝手に拝借しているんだから」
彼は編集部によく言われる自分の弱さを突かれた気がした。
それは大変失礼しました。何度もその言葉をつかいながら、恵みさんとは気づかずにいました」
いいのいいの、そんなこと。失礼なんて、一つもないわ。。あなたが鎮んでいく夕焼けを狙っているのだって、分かっていたわ。そのほうがあなたらしい。年齢なんて必要ないの。それなのにどうして、そんなに深刻な顔なさるの?」
「そう心配していただくのは、嬉しいのですが。このまま乗っていく列車の軌道を修正しなくていいのかと、考えたのですよ。だって、お姉さんにあなたがお母さんの意に添えなかったことを慰めてくださるように、頼むつもりだったのでしょう。それが取り止めとなると、お母さんを慰める手段がなくなるじゃないですか」
「そっか」
 と恵みは初めて額に皺を寄せた。
「だから、ぼくたちは、次の駅でN市行きの電車に乗り換えましょう」
「そっか、そうよね。あなたって優しい。私好きよ、あなたが」
 恵みは言って、ぽんとカメラマンの手の甲を打った。それからひょいと、カメラマンの隣の席に移ってしまい、恵みの全体重を彼の腕に委ねた。

おわり

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